Museo della Ceramica
Palazo Sturm, Bassano del Grappa
バッサーノ・デル・グラッパの町で、ちょうどあの橋のいいフォト・スポットになったのは、陶磁器博物館の前だった。
蒸留酒「グラッパ」のバッサーノはまた、陶器の生産地としても知られている。ブレンタ川右岸の丘から産出される良質の粘土のため、すでに紀元前より焼き物が作られていたとされるが、記録に残されているのは17世紀後半になってから。
それによると、ポンテ・ディ・ブレンタにあるマナルディ工房が、1669年から1719年のあいだ、ヴェネツィア共和国の領土内で唯一、マヨリカ焼の独占製造を認可された、とある。一方、1719年、バッサーノから数km南西に下ったところにある小さな町、ノーヴェ(Nove)のジョヴァンニ・バッティスタ・アントニボンが、日用の陶器を作るモレット工房の共同経営者となる。
時代は、ヨーロッパが長いことあこがれだった東洋の「磁器」の製法をつきとめ、各国がその製造に夢中になったころ。マヨリカの需要が激減するのにともない、閉鎖を余議なくされたバッサーノのマナルディと対照的に、早くに磁器にのりだしたノーヴェのアントニボンは時代の潮流に乗ることになる。
不思議な三角形の階段を上がって、まるごと小さな劇場のような寝室を通りぬけると、実際の展示が始まる。
16世紀前半、ヴェネト地方の椀。
こんなお遊びも楽しい。(わかります・・・?)
ノーヴェ(Nove)のアントニボン工房(Antonibon)。1750-60年ごろのマヨリカ
焼、多彩色。オリエンタルの模様にインスピレーションを得つつ、独自に発展させたもの。
同、アントニボンのフルーツ・バロック・シリーズ。おおらかで明るい色の野菜や果物が楽しい。1770-1800年ごろ。
イタリア・マヨリカ最大の産地、ファエンツァの「日本の花」シリーズ、1760-1770年ごろ。
ジノリの初期の磁器。
タイルいろいろ。
17世紀後半、オランダのデルフト焼。
アントニボン工房、「ミニバラとぶどう」シリーズは、ぶどうがほんのりぷつぷつになっていてかわいい。19世紀中盤の陶器。
そしていよいよ、磁器の間へ・・・。
うーん、欲しい・・・。アントニボンの名品たち。
ヴェネツィアの、ジェルミニアーノ・コッツィ工房。1775-1800年ごろのカフェ・セットは、専用のカップボードごと展示。
ブルーのラインと、小花の金彩のみの、実は一番使いやすそうなシンプルなシリーズは、アントニボン工房の、19世紀初期のもの。
部屋も展示もゴーカな一室に着いたころには、すでに例のごとく時間ぎれで小走り鑑賞・・・(涙)。
バッサーノ焼の大きな壺もひそかにすてき。1890年ごろ。こんなのが、さりげなく部屋の片隅においてあるような家、いいなあ・・・。
ふたたび、しっくい天井のロココな部屋。
ひゃあー
民間普及品。これもなかなか味わいがあっておもしろい。
春眠暁を覚えず、は古今東西一緒らしい。
ずーっと昔、一度だけ行ったノーヴェの陶磁器博物館にも、また行きたくなった。
2 maggio 2010