人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

ヴェネツィア映画祭67・2~「ノルウェイの森」公式上映ほか

ヴェネツィア映画祭67・2~「ノルウェイの森」公式上映ほか_a0091348_9404539.jpg


ノルウェイの森(日本、133’)
監督 トラン・アン・ユン
出演 松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子
www.norway-mori.com

イタリアでは、初版「Tokyo Blues」というタイトルで翻訳出版された、村上春樹氏の大ベストセラー小説「ノルウェイの森」。
原作を読んだのは、もう何(十)年も前のことで、はっきり言ってほとんど何も覚えていない。ただ、背景に大学紛争があったことと、東京に住む学生の心の葛藤の物語だった・・・ぐらいしか意識に残っておらず、何も考えてもいなかった映像の美しさに驚いた。ワタナベとナオコが偶然再会して、毎週歩きまわる、その東京の公園の広くて緑の濃いこと。ナオコが滞在する「京都」の療養所の、山奥深く雄大なこと。そして、ナオコが死んだあと、ワタナベが泣く、日本海と思われる海の荒涼たる姿。
日本に感心を持つイタリア人もずいぶん増えたが、トウキョウとキョウトと、ステレオタイプなイメージしかない外国人たちにとっては、かなり意外な背景なのではないか。
そしてもう1つ、こちらはむしろ、期待通りともいえる音楽。タイトルのビートルズ以外は、「音楽はノスタルジーが強すぎるから」という理由で、あえてオリジナルにしたという監督の作戦が見事にはまっている。確かに、1つ1つ、思い入れのある音楽ではなく、この映像、この物語のための音楽だから、余計なバイアスがかからずに、自然と調和している。
周りに翻弄されながらも、どんな状況においても、淡々とした口調で話すワタナベを演じた松山ケンイチさん、悲しい運命を背負い、壊れていくナオコの菊地凛子さん、そして、ちょっと勝気で優等生なミドリには、初映画という水原希子さん。それぞれ当たり役で、これを見てしまうと、ちょっとほかの配役は考えにくい。

今日の公式上映では、終了後、観衆から大きな拍手を受けた。




ヴェネツィア映画祭67・2~「ノルウェイの森」公式上映ほか_a0091348_9421792.jpg


La pecora nera(イタリア、93’)
監督 アスカニオ・チェレスティーニ
出演 アスカニオ・チェレスティーニ、ジョルジョ・ティラバッシ、マヤ・サンサ

「・・・隔離精神病棟が、楽園だとは決して言っていない。施錠した建物に閉じ込め、手足をしばって自由を奪うこと、食事や排せつ、最低限の権利すらないがしろにされるということはつまり、人格から権利まで、人からすべてを取りあげるということ。その意味で恐ろしいところだった。
が、すべてを取りあげた者に残るのは感情。・・・」

ヴェネツィア出身の精神科医、フランコ・バザリアの尽力により、イタリアでは、隔離精神病棟が1978年以来禁止されている。
だから、なのかもしれないが、その割に、このテーマに触れる映画などが結構多いような気がする。

タイトルのpecora nera(ペコラ・ネーラ)は「黒い羊」という意味だが、「白い羊の中の1匹の・・・」という意味を言外に含み、みにくいあひるの子というか、はぐれものというか、はみ出しもの、のようなニュアンスを持つ。
養鶏を営む祖母と、羊飼いの父親の貧しい家庭に育ったニコラは、まずその出自のために、小学校のときからクラスの中でもハミダシモノだった。典型的な「イタリアの母」像からはかけはなれた、ひからびて精神病棟の中のベッドに横たわる母をいやいや見舞うそんな少年時代と、やがてなぜか精神病棟の中に住む現在とを、行ったりきたりしながら進み、やがて、その理由が明らかになる。
重いテーマのようだが、すごいのは、彼がコメディー役者(監督)だということ。
なにしろものすごいスピードで、ものすごくしゃべって止まらないのは、まさにキ×××。聞き取るのが大変だった(笑)。



Miral(米、仏、伊、イスラエル、112’)
監督 Julian Schnabel
出演 Willem Dafoe, Vanessa Redgrave, Hiam Abbass


ホワイトハウスで今日、イスラエルとパレスチナ自治政府が直接和平交渉を再開したというニュースが届く中、あまりにもタイムリーな上映だった。

正直のところ、日本人には大変わかりにくいパレスチナ問題が、この映画を見ると大変よくわかる。
イスラエル建国直後に、内戦でみなしごになってしまった子どもたちの集団にたまたま会ってしまったところから、養育院、果ては学校を創立して多くの子どもたちの教育に人生のすべてをささげることになったHind。そこへある日、父に連れられてやってくるMiralは、不幸な生い立ちにも関わらず、信心深く寛容な父と、強い信念を持つHindの愛情に育まれてたくましく成長する。
愚かな戦争の犠牲になるのは、常に女性と子供だ、と言うSchnabel監督は、ユダヤ系米国人。何か自分がしなければ、そういう思いでこの映画を手掛けたそう。
原作は、現在、ジャーナリスト、作家である、パレスチナ出身のRula Jebrealの小説。
彼女が脚本も書いた他、イスラエルでの撮影に立ち会うなど、製作段階でもずいぶん力を貸したらしい。
それにしても、以前の「ペルセポリス」といい、昨年このヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞したWoman without menといい、抑圧された社会から飛びだした女性たちが、こうして自国の問題に向きあう作品が目立つのは、やはり喜ぶべきことなのだろうか。

2 settembre 2010
by fumieve | 2010-09-03 09:46 | 映画
<< ヴェネツィア映画祭67・3~共... 第67回 ヴェネツィア映画祭、開幕 >>