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ヴェネツィア ときどき イタリア

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サン・セルヴォロ 精神病院博物館

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Museo di Manicomio di San Servolo

(かつては)マニコミオ(manicomio、精神病院)の代名詞のようでもあったサン・セルヴォロ島(Isola di san Servolo)。
だが、もともとこの島が、最初から精神病院であったわけではない。
1715年、ヴェネツィアがオーストリアと組んで対トルコ戦争を開始。そのとき、ヴェネツィア共和国は、カステッロ地区に兵士たちのための病院を作った。が、そこはすぐに手狭になり、新たに目をつけられたのが元修道院だったサン・セルヴォロ島。ここを新たに、軍属病院とした。





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「きちがい(pazzo)」患者が、最初に入院したのは、1725年。以後、30年の間に、60名弱の「患者」が入院している。もっとも、実は入るのにはそれなりの金額を必要としたため、この時期に入院している「きちがい」は、貴族や有力家庭の出身者だった。軍病院に併設された、お金持ちのための一種の療養所という感じだろう。

1797年、ナポレオンがヴェネツィアを占領すると、事態は変化する。支配者はすぐにフランスからオーストリアに移るが、その「きちがい」療養所は、名目上誰でも入れる、公共の精神病院となった。
それはそのまま、1866年にヴェネト州が統一イタリア王国に併合されたあとも続く。

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1978年、「バザリア法」施行によって、イタリア全国のほかの精神隔離病棟とともに、このサン・セルヴォロ島の病院も閉鎖された。

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現在は、ヴェネツィア県などの施設になっているほか、かつての精神病院の姿を記録するための博物館となっている。

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博物館見学は、18世紀の薬局(farmacia)から。
科学的な精神医学がまだ存在しなかったこのころは、精神病院の薬局とはいっても、ほかの薬局とそう変わるものではなかった。19世紀初めの原材料、および調合リストに記されているのは、ごく一般的な、アルコールやお酢、あるいはたくさんのハーブ類。それも、アロエやカモミールなど、今でもお馴染みのものも多い。

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面白いのは、実際はここがヴェネツィア共和国の薬剤センターの役目を果たしていたそうで、ここで調合した薬剤が、本島内の薬局に卸されていたそう。だから、よく見ると、薬壺にも、ヴェネツィアのシンボル、有翼のライオンが描かれている。

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博物館棟に入る。最初のイントロダクションでは、歴史的経緯が説明されている。

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こう言っては何だが、意外と面白いものもある。
例えば、温水治療法。

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左は残念ながら写真だけだが、右のシャワーはなんと、上からだけでなく、周りのぐるぐるの部分にも小さな穴が開いていて、四方八方から水が出るようになっていたらしい。・・・いまどきの最新型のシャワーのよう。うちのちょろちょろシャワーよりずっと気持よさそうだ。

もちろん、そんな楽しい(?)治療だけではない。その同じ部屋には、一方で、手錠や指なし手袋など、患者の身体的自由を奪う道具も展示されている。

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また、1930年代に考案されたという、電気ショック療法機などは見るだに恐ろしい。

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もっとも、そういった道具が使われるようになるのは、時代がかなり下ってからのことで、実際には、それぞれの能力に応じて、仕事や作業を行わせていたらしい。畑やもちろん、豚舎もあり、のちには牛も飼っており、島の中で自給自足が成り立っていたのと、タイポグラフィーから木工作業まで、さまざまな工房もあり、それも治療の一環とみなされていたらしい。まあ、農地もついた刑務所のようなものだろう。
かなり本格的な船の模型などは、さすがヴェネツィアというべきか。

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一種の音楽療法的なことも、試されていたらしい。

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一方でもちろんここは、当時「ハイテク」を駆使した病院であった。

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写真機が発明され、それがある程度簡単に使える道具となると早速導入し、患者の写真を撮った。カルテにも写真を貼ったのだが、それ以外に、それぞれの患者の、入院時・退院時の比較写真アルバムを作っていた。もちろんそれは患者のためではなく、なにしろ、「頭がおかしい」のは、頭のカタチがおかしいとか、何かそれが表情にも表れているとか、物理的・身体的な要因があると思われていたから、その調査の一環なのだが。
いわゆるビフォー&アフター写真だが、明らかに変化のみられる患者もいれば、わざとらしいものもある。だが、ちょっと意外なことに、アフターのほうがふっくらとしている患者が多い。

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それは、とくに19世紀、ヴェネト地方でペラグラ(pellagra)という病気が多発したことにもよる。一種のヴィタミン欠乏症で、初めは皮膚病のような症状からやがて精神に異常をきたし、死に至ることもあるこの病は、パドヴァやトレヴィーゾなど、とうもろこし農家の農民たちが、それだけを作って、それだけを食べていたことに起因する。
当時は、まだそこまで解明されていなかったらしいが、入院して、肉や野菜を含むバランスのよい食事をすると見違えるように回復し、数カ月で退院していく例が多かったらしい。もっとも、家に帰って、元の食生活に戻ると再発する危険性が高いのだが。再入院、ということもあったようだが、彼らの、明らかに太っているだけでなく、色つやのいい顔を見ると、複雑な気分になる。
だが、それだけではない。

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ともかく、「脳」の、どこかに異常があると考えていた当時の医者たちは、病院で患者が亡くなると、頭蓋骨から脳を取り出して研究した。

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頭の大きさを測る道具。

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顕微鏡もいち早く導入された。

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博物館棟から出て、教会の脇にあるのが、解剖室。

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博物館見学は要予約、ガイド制。

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14 gennaio 2011
by fumieve | 2011-01-15 18:49 | 見る・観る
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