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ヴェネツィア ときどき イタリア

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カイロに次ぎ最大、トリノ・エジプト博物館

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日本でも一昨年から昨年にかけて、特別展の巡回展が行われたので、ご覧になったかたもあるかもしれない。

古代エジプトの遺産を、当地カイロ博物館に次ぐ規模で所蔵しているのは、パリのルーブル博物館でも、ロンドンの大英博物館でも、またベルリンでもニューヨークでもなく、実はここイタリア、トリノ・エジプト博物館。
なぜイタリアなのかはともかく、なぜローマでなく、トリノなのかというと、それは私も今まで、映画博物館などと同様に、1861年、イタリアが近代国家として初めて統一された際の最初の首都だったからだと思っていたのだが、この博物館の歴史はその前から始まっていたらしい。




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同館の簡単なガイドブック(I capolavori del Museo Egizio di Torino)によると、最初にトリノにエジプトの発掘物がやってきたのは1628年のこと。サヴォイア王カルロ・エマヌエーレ1世が獲得したブロンズ製の「イシアカの祭壇(Mensa di Isiaca)」で、1723年には、ほかのさまざまなエジプトの品とともに、トリノ大学に納められたという。
以降、欧州列強のほかの国の例にならって、何度かエジプト発掘(強奪?)の機会を利用し、レパートリーを増やしていった。

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エジプトでも、世界の注目を大いに集めたのは、ナポレオン。1798年、軍事侵略した際に167人の賢者も伴い、古代エジプト文化の、初の本格的調査に乗り出した。のちに、古代エジプト文字の解読のきっかけとなった「ロゼッタ・ストーン」(ロンドン、大英博物館)もこのときに発掘されたもので、ナポレオン失脚後、ほかの多くの発掘物とともに、大英帝国の所有となった。

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このナポレオンの発掘調査に、ベルナルディーノ・ドロヴェッティというトリノ人が参加していた。2回の滞在の間に、彫像やパピルス、ミイラなど・・・せっせと個人名をつけて、イタリア宛に送った。そのコレクションは、サヴォイア、ルーヴルに断られたあと、結局、同じサヴォイアでも当時サルデーニャ王だったカルロ・フェリーチェに売却している。

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船と馬車を乗りついでの長旅の間に、ずいぶん多くのものが破損したりしたらしい。だがこうして、ともかくエジプトの遺産がトリノに集まった。
ヒエログリフ解読の第一人者シャンポリオンも、このトリノで研究に励んだらしい。

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よくも悪くも、ナポレオンをきっかけに、ヨーロッパではエジプト・ブームがおきていた。各地で博物館ができる中、トリノでようやく博物館ができたのは1831年のこと。

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1852年には、ローマの博物館からも、エジプトの発掘品がこちらに移された。

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1942年、第二次世界大戦中、博物館は閉館を余儀なくされ、かつ、すべての所蔵品をトリノから35kmほど北にある、アリエ城に「疎開」させた。
1945年、全ての所蔵品はトリノに戻され、翌年、ふたたび博物館として一般公開。近年の一部修復工事などを経て、現在にいたっている。

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エジプトの政権交代が伝えられた。
先月末には、暴動が市内の博物館の一部にもおよび、ミイラが壊されたとの報道もあった。
もっとも、

ツタンカーメン王の副葬品など貴重な文化財を収蔵する考古学博物館は、同日夜からの暴動で放火された与党、国民民主党(NDP)に隣接。延焼の危険もあったが、デモ隊が手をつないで囲み、延焼や略奪から守っていたという。
(1月30日 共同通信
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011013001000156.html)

かの国の政治についてはコメントできるほどの知識を持たないので、ただ、これ以上の混乱がなく新しい国づくりが進んでいくことを願うばかり。

(写真はすべて館内で撮ったものですが、本文とは対応していません。)

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11 feb 2011
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by fumieve | 2011-02-12 22:40 | ほかのイタリア
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