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ヴェネツィア ときどき イタリア

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バーリの2つの大聖堂

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イタリアはどんな小さな町や村に行っても必ず教会がある。ヴェネツィアやローマに限らず、ちょっとした町ともなるといくつもの教会があって、それに慣れないカトリック信者でない私たち日本人はちょっとびっくりしてしまう。

シチリア東部にあるラグーザは、そんなたくさん教会がある中でも、イブラ地区(旧市街)と新市街と呼ばれる地区とそれぞれに大聖堂があって、どちらも18世紀に建てられたシチリア・バロックの2つの聖堂がまるで対峙しているかのようだった。もっとも、実際には、お互いに直接見えてはいないのだが。

このバーリでは、海に向かってぽっこり突き出た旧市街、決して広くないその中に、2つの大きな聖堂が建っていた。




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1つは、先日紹介した、地下にモザイクのある「カテドラーレ(cattedrale、司教座大聖堂)」
中の大きな空間を保つための厚い壁、質素すぎるくらいに見えるファサードは、典型的なロマネスク建築。2段式のアーチで区切られた3廊式の本堂も、これまた簡素すぎるぐらいだが、よくみると色違いの大理石の柱がアクセントになっていて美しい。

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そして、歩いて5分もかからないようなところにもう1つあるのが、バーリの名を知らしめているのが聖ニコラ大聖堂(Basilica di San Nicola)。

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ギリシャ出身、小アジアのローマ属州リュキアで司教だったニコラが、イタリアでは特に「バーリのサン・ニコラ(San Nicola di Bari)」と呼ばれるのは、もちろんここに当の聖人の遺体があるから。(ヴェネツィアではニコロ(Nicolo'))
1087年3月中旬、バーリの62人の船乗りがリュキアにあるミラに赴き、その聖人の遺体を奪ってきたというのだから、ヴェネツィアの聖マルコとまったく一緒。東西にはさまれながらも独立した国家であることを誇示したかったヴェネツィアと、一方で、数年前にノルマン人に征服されたあと、ビザンティン由来のアイデンティティーを再認識したかったというバーリと、目的もまあ似たようなもの。そして、持ち帰った大切な遺体を安置し、奉るために大きな聖堂を建てたのもまた同じ。唯一の違いは、遺体を持ち出すのに豚肉とキャベツで包んだとは伝わっていないぐらい。

一修道士が建て始めた聖堂が完成を見るのは約1世紀後の1197年。
以来、船乗りや漁師、殉教者、ロシアの守護聖人である彼を求めて、多くの巡礼者が集まるようになった。また、サンタクロースの起源でもある。
町の司教座聖堂とときをほぼ同じくして、もう1つ大きな聖堂ができているのはまさにラグーザと同じ。

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3廊式なのはカテドラーレと一緒。だが、こちらは15世紀に補強のため追加されたという横向きにも大きなアーチが入っているために、より豪華というか複雑な印象を埋める。その中で、私が一番気になったのはこちら、司祭席。

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ガイドも何も持たず、ふらりと行ったので、その場ではたださらりと見学しただけなのだが、帰ってきて資料(Bell’Italia 2003年11月号)など見ていたら、中には、中世ロマネスク建築といえば欠かせないモデナの大聖堂のファサードを飾った彫刻家、グリエルモによる作とする説もあるらしい。プーリアを代表するロマネスク彫刻で、リアリズムの中に北方の影響が見られるとか。

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残念ながらこれ以上近づけないので、特に後ろ側がよく見えないのが残念だが、教会は美術館のようであってもそうではないので仕方がない。それよりも、その椅子の下から輪のように広がる床の大理石模様もすばらしく、この椅子はやはりここにあるべきものだと思う。

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わずか2時間足らずの駆け足観光(そのうち30分以上はモザイクの部屋に・・・)、そういえば肝心の聖ニコラがいるはずのクリプタ(地下聖堂)も見なかった。
このバーリをはじめ、ロマネスク教会がたくさん残るというプーリア州。またゆっくり訪れたい。

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5 mag 2011
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by fumieve | 2011-05-06 07:09 | ほかのイタリア
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