開幕から2カ月も経ってようやく、メイン会場の1つ、ジャルディーニ(Giardini)を回った。
その名の通り、隔年開催のビエンナーレ。より歴史も古く、規模も大きい国際美術展の間の年に、同じ会場で建築展をやっていることもあって、アートと建築の境界は何なのか、という話が毎回のように持ちあがるが、今回、少なくとも、この各国パビリオンの並ぶジャルディーニ会場の中はとくに、より建築的な展示が目を引いた。
中が狭く、天井も低く作りこんであるために入場制限を行っている英国館。(Mike Nelson, "I, Impostor")行列したわりにたいしたことなかった、と複数の声を聞いていたが、予想に反して結構よかった。(朝一番に行って並ばずに入り、ゆっくり見学できたのが功を奏したのかもしれないが。)
大英帝国の名残りたっぷりの堂々たる建物、いつもは大きな作品を展示したり、複数の作家を合同で見せたりしている建物を、見事に暗く砂埃にまみれた、タリバンのアジトのような空間に変身させた。(ともかくその作り込みがすごい。)
すぐ手前のドイツ館が、今回の金獅子賞。
これも元々天井のものすごく高い建物をそっくりそのまま、教会の内部のような仕立てに。Christoph SchlingensiefによるFluxus Oratorio A Church of Fear vs. the Alien Within という作品で、2010年8月に亡くなった作家の遺作となった。
私の写真では様子がうまく伝えきれないのだが、これもいろいろと凝っていて、アイディア賞といったところか。もっとも、作家への敬意を表して、ということもあるだろう。
建築的というテーマからは外れるが、「アイディア賞」といえば、今回、アイディア賞的な作品では圧倒的な力を見せつけたのが米国館。(Allora & Calzadilla, "Gloria")
まず、そもそも建物の前にどかーんと置かれた、本物の戦車。ひっくり返ったそのキャタピラの上で、ルームランナーする人、という構図は、開幕当初から話題で、各メディアがこぞって紹介していた。残念ながら開館時間中ずっと走っているわけではなく、私もこれまでタイミングを逃していたのだが、今日はほかを見学していたら、突然ものすごい騒音が。何かと思ったら、戦車のキャタピラーが回り始めたのだった。まあ確かに、面白いといえば面白い。数年前のアメリカでは表現できなかった「アート」だろう。
驚くのはその音。見る(聞く)前までは、「ときどきしかやってないなんて、怠慢じゃないの~?」と思っていたのだが、前言撤回。私もひとしきり写真を撮ったあとは、この耐えがたき騒音から逃れるべく、一番遠い方へと場所を移したのだが、どこまでも追いかけてくる騒音。・・・アメリカよ、メイワクすぎる・・・。
でも米国館は、館内の展示ではその「音」を使ったアイディア賞。パイプオルガンの、鍵盤の代わりについているのはなんと本物のATM。自分のクレジット・カードを使ってキャッシングすると、その操作に合わせて派手にオルガンが演奏される、というわけ。ばかばかしいけど、楽しいアート。
その米国館、戦車の向こうで我々を出迎えてくれるのは、日焼けサロン実施中の自由の女神さま。こういうアメリカ、悪くない。
本題に戻って、オーストリア館。(Markus Schinwald, コミッショナー Eva Schlegel)
もともと横向きに細長く、入口が真ん中にあるために左右がくっきり分かれてしまう、場合によっては使いづらい構造の建物。中をさらに、天井の高さはそのままで通路をさらに狭く、迷路のように仕切った。その狭さでも、足元が開いていると案外圧迫感が少ないことも発見。
今回、最も見事だったのはギリシャ館。(キュレター Maria Marangou、"Diohandi") もとの建物はレンガ造りでいかにもビザンチンな、つまり個性の強いファサードなのだが、全面、板で覆って隠してしまった。
中に入ると、果たしてどんな現代アートが・・・という期待や不安を一切裏切って、これまた見事に、究極にシンプルな空間。水をたたえた室内に、「く」の字型の渡り廊下。それだけ。この潔さはすごい。
楽しかったのはオランダ館。("Opera aperta/Loose Work", キュレター Guus Beumer)
(勝手に)名付けて「鏡の国のアリス」。上って下りて、また見上げて・・・とどこからどう見たら面白い写真が撮れるか(それも自分が映り込まないように!)、ついつい長居してしまった。
実は今回、鏡を使った作品や展示が多かったのも特徴の一つ。そのあたりはまた、追って紹介していきたい。
2 agosto 2011