多くの世界遺産を抱えるイタリアに今年6月、また新たにユネスコ世界遺産が加わった。「イタリアにおけるロンゴバルド人の支配地」(I Longobardi in Italia. I luoghi del potere)というのがそれで、6世紀から8世紀にかけて、イタリア半島の中で数カ所を支配したロンゴバルド族の関連遺跡や遺産を指定したもの。どこ
か1つの町や地域ではなく、イタリア各地に点在する7つの町を合わせての指定になっている。
ロンゴバルドという民族と、ユネスコ世界遺産指定に関しては、JAPAN-ITALY Travel On-line「イタリア世界遺産の旅」で、牧野宣彦さんが早速詳しく説明をされているのでそちらを参照いただきたい。
http://www.japanitalytravel.com/sekaiisan/longobardi.html
元修道院に、モザイク発掘現場までくっつけてしまったこの
サンタ・ジュリア博物館は、中世の教会も1つ、まるまる中に抱き込んでいる。
サン・サルヴァトーレ教会(Chiesa di San Salvatore)。753年、ロンゴバルド王、アストルフォはブレシャ公国を治めるデジデリオ公爵にこの地を与える。デジデリオとその妻アンサは、女子修道院とともに、この聖堂を建造した。
デジデリオはその後ロンゴバルド王となるが、カール大帝(シャルル・マーニュ、Carlo Magno)に敗れる。ロンゴバルドはこの地の支配を失うが、教会と修道院は、修復の手を加えられつつ、存続した。
広大な展示面積の、複雑な見学コースの最後に、ハイライトとしてたどり着くのがサン・サルヴァトーレ教会。
初期の教会建築によく見られるような、縦長の長方形に半円のアブシスのついたバジリカ型、2列のアーチで区切られた、3廊式。
中世初期と言っても8世紀のロンゴバルド末期の建築に、まず、9世紀のカロリング朝時代に既に手を加えられており、その後さらに数世紀に渡り改築が繰り返されている。特に主祭壇に向き合う壁やそれに並ぶ礼拝堂などは、15世紀ルネサンス時代のフレスコ画が色鮮やかに残っている。
だが、ここの主役やロンゴバルド。
よく見ると、まず、アーチを支える柱の柱頭に、特徴が見られる。1つは、レースのように透かし彫りになったもの。これはラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂やヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の外側に見られるもので、コスタンティナポリ(現イスタンブール)で多様されたために、ビザンチン様式と呼ばれる。
もう1つは、まさにこのロンゴバルドのオリジナルとも言える「せみ」型。アカンサスの葉をモチーフにしたコリント式から究極に抽象化したようなこの形は、彼らやほかの騎馬民族の装束に見られるアクセサリーの形を思わせる。柱頭のほうも「せみ」と呼んでいいのかどうかわからないが、アクセサリーのほうは通称「せみ型」と呼ばれているので、それに習いたい。
さらに、このサン・サルヴァトーレが世界遺産であるそのゆえんは、このアーチの下側を飾る漆喰。
1つは、植物をモチーフにした、クラシック様式に近いもの、もう1つが、彼らの彫刻美術で繰り返し使われているような組紐模様になっている。今残るのはわずか数カ所だが、かつてはすべてのアーチがこれで覆われていたはず。
そして、ここで絶対に絶対に見逃してはならないのが、孔雀のレリーフ。
その形から、これも建材の1つ、とくにティンパヌムであったと思われるこの彫刻は、彼らの美術表現の特徴である浅浮き彫り。わずか10cmほどの厚さの大理石に彫られた孔雀は、様式化されたぶどうのつるに囲まれながらも十分に写実的で大変美しい。また追って紹介したいと思うが、ロンゴバルドの彫刻というと、人や動物も写実的というよりは様式化、簡素化した、いわばプリミティブな表現が特徴的なだけに意外。
ヴェネツィア、トルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ聖堂で見られる祭壇柵の孔雀ともよく似ており、彼らが、ローマ後期からビザンチン文化の影響も受けていることを伺わせる事例とされている。
浅浮き彫りというのは、もともと好きな分野ではあるのだが、とくにこの孔雀は、日本の工芸品を思わせる。繊細かつ完璧なデザインで、見れば見るほど美しく、ため息・・・。
まるで建築展の模型展示のように見えるのは、やはり彫刻装飾の施された建材の数々。そんな展示の仕方も面白い。
また、クリプタ(cripta、地下聖堂)には、小型だがさらに楽しい柱頭が残っており、これも必見。
(続)
27 settembre 2011