順番が前後してしまったが、
レッチェのドォーモのクリプタ(cripta、地下聖堂)の案内などを読むと、「
オートラントの大聖堂のクリプタを思い起こさせる」と紹介されていることが多かった。
そのオートラント大聖堂のクリプタは、帰ってきてあたらめて、とくにモザイクをじっくり眺めるために買ってきた本を見たら、「コスタンティノポリス(現イスタンブール)のYerebatan Sarayl(日本語で地下宮殿、イタリア語ではCisterna Basilicaで、地下聖堂または講堂)のレプリカとなっている」とあり、びっくり。
あわてて10年前のアルバムをひっくり返してみたのだが・・・
(暗いところなのでボケボケだが、せっかくなので自分の思い出のために載せておくことにする。こちらのほうは、とくにこのメドゥーサの頭で知られている。)
もっとも、本家のほうは大理石と花崗岩でできた柱が336本、こちらは一本石の柱42本と規模はぐっとこじんまりしているし、もちろん本家本元と違って、水もない。
大枠はそんなわけでビザンティンの影響を受けているとして、柱頭の種類はビザンティンどころか、もっと多岐にわたる。
アンチョコによると、こちらはペルシャ風、鷲の柱頭。
こちらはおなじみビザンツ6-7世紀、4面それぞれ違う模様になっている。
ビザンツのぶどう。
ビザンツ6世紀、蛮族の影響がみられる、通称「セミ型」の応用。
編み籠の上に鳥、ビザンツ5-6世紀。
ちなみに、網模様というかレース模様の柱頭は、ラヴェンナ、ヴェネツィアなどで「ビザンチン様式」として見られるが、この籠の上に鳥、というのはちょっと珍しいように思う。
真横から見ると、双頭のライオンが左右を向いているようでもあり、斜めから見ると妙に内股のライオンのようであり、ともかくちょっと妙なこのライオンの柱頭はなんとイスラム風。
このハッスル・マッスル系(注:ここで勝手に命名)柱頭もかなり変わっており、四ツ角は人間だと思うのだが、その間から頭をのぞかせているのは、ライオン?それともおじさん???
角の一人はどうやら女性で、写真ではわかりづらいが、くっきりと長いまつ毛がぱちぱちしていた。これは6-7世紀のエジプト式らしい。
さらにこんな人頭鷲体も。(アンチョコにないものは詳細不明)最もこれが一番、中世ロマネスクらしいと言えるかも。
ほかにもちろん、もっとクラシックな、いわゆるイオニア式、コリント式、その融合スタイルなどもある。
中には柱の胴体部分も浅浮彫になっているものも。
壁には一部、12-13世紀のフレスコ画も残っている。
クリプタ(Cripta、地下祭室)はどうしても採光が悪いために難しいのだが、写真がほとんどまともに撮れていなくて、この状態で紹介するのも非常に残念だし、我ながらかなり悔しい。
・・・敗者復活のためにも、やはりもう一度行けということか・・・!!!
「アンチョコ」は、
Grazio Gianfreda,
Il mosaico di Otranto. Biblioteca Medioevale in immagini, Lecce, Edizioni di Grifo, 2008
2 dicembre 2011