昨年ほど、生と死について、命について考えさせられた年もないと思うが、その年末、新聞の片隅の訃報にはっとした。
辻佐保子さん、作家、故・辻邦生氏の妻として知られるが、自身、美術史家であり、名古屋大学、お茶の水女子大学で教授を務めたあと、晩年は名誉教授として研究を続けられていたほか、後進の指導にも心を尽くされたと聞く。
小説家と学者とは、しばしば対立しやすい関係にある。とくに歴史小説の場合は、ある程度の史実をもとにストーリーを膨らませてあるだけあって、しかもそのフィクションをいかにもほんとうらしく書くのが作家であるから、モメゴトを起こしやすい。
だが、裏の取れる、事実のみの積み重ねで歴史を検証する歴史学者である佐保子氏が、夫・邦生氏の創造力について、嫌みでも虚栄でも自慢でもなく、ほんとうに心からその才を敬愛し、静かにたたえているのが極めて印象的だ。
別の立場にいたお二人が、いかに相互補完の関係にあったか、佐保子氏はあくまでも、大作家・辻邦生の妻として控えめな言葉と態度を終始貫いているが、だが、これを読むとやはり、辻邦生のあの作品の数々は、この夫人なくしてはあり得なかっただろうと思う。そして、大学という完全な男社会の中で、名誉教授まで務め上げた佐保子氏の仕事もまた、邦生氏以外のパートナーでは難しかったかもしれない。
この本は、辻邦生氏の全集各巻に佐保子氏が寄せたあとがきをまとめたもので、したがって作品ごとのエピソードなどが紹介されており大変興味深い。全集発行時と、そして先だっては単行本として、と、二度にわたり公表されており、既に目を通されている方もあるだろう。
ヴェネツィアで「初期キリスト教美術史」を学んだときに、参考文献として提示されたのが、アンドレ・グラバールの「キリスト教美術の誕生」だった。不勉強で当時は知らなかったのだが、同書の日本語訳を出されていたのが辻佐保子さんであり、辻先生はそのグラバールの直弟子でもあった。(日本語訳があることを知っていたら、苦労してイタリア語で読まずに済んだのだが・・・)あとになって、美術史の中でもとくに私の興味のある分野がまさに辻先生のご専門であることや、それと知らずにご著作も読んだりしていたことに気づき、嬉しく感じるとともに、無知な自分を恥ずかしく思ったりした。
辻佐保子さんの訃報は、二重のファンである私にとっては残念で寂しいものだが、ご本人は今頃、また邦生氏と一緒になって、楽しく過ごされているに違いない。
6 gen 2012