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ヴェネツィア ときどき イタリア

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シエナで見るヴェネツィア

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(写真はwww.wga.hu および、公式サイトhttp://comune.siena.it より拝借)

シエナで観光の拠点となるパラッツォ・プブリコ(Palazzo Pubblico、市庁舎)。この中で、必見は3カ所なのだが、それはまた改めて紹介するとして、久しぶりに入ったパラッツォ・プブリコで意外なものを「発見」した。
それは「バリア(最高行政会議)の間(Sala di Balia)」。順路に従って入ると、目の前に横長いっぱい、迫力満点の海戦図が現れる。丘陵地帯の町、シエナで海戦?・・・と思って解説を見ると、この部屋は、シエナ出身のローマ法王アレッサンドロ3世(在位1159-1181)に捧げられており、彼の存命中のエピソードがいろいろと描かれている、とある。




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そして、問題の海戦はなんと、ヴェネツィア対フリードリヒ皇帝1世率いる神聖ローマ帝国。なるほど、一方は黄色地に鷲のついたドイツの紋章の盾、一方は赤に羽根のはえたライオンのヴェネツィアのシンボルの盾を持って、ぎゅうぎゅうと押してお互い一歩も引かない厳しい戦いをしているように見える。(・・・ヴェネツィアのライオンが前足で本を支えているところまで芸が細かいのだが、本が開いているのは平和時の印。戦時は本は閉じていなくてはならないのだが・・・)

・・・ところが、ところが、この海戦、実はそもそも存在しない。
アレッサンドロ3世と「あかひげ」フリードリヒ(イタリア語ではフェデリーコ)皇帝は、1176年「レニャーノの戦い」で対戦しており、ヴェルディの同名のオペラの題材にもなっているのだが、このときの法王側はロンバルディア同盟であってヴェネツィア共和国ではなく、まして海戦ではない。それどころか、翌1177年、ヴェネツィアで両者の会談・調停が行われるが、これは「ヴェネツィアの平和」と呼ばれ、ヴェネツィアが実質初めて、国際舞台で活躍した史実として、ヴェネツィアでは記念碑的存在。最初は避難所のように、海の上に作った一地方都市が、教皇庁と神聖ローマ帝国という当時の2大勢力の調停の場となったのだから、それはもう大変な事件だっただろう。そんな場となったくらいだから、このときのヴェネツィアは中立の立場にあり、間違ってもフリードリヒと剣を交えてはいない。

フレスコ画を描いたのはスピネッロ・アレティーノという画家で、1407-08年のもの。まさにヴェネツィアがアドリア海の女王として君臨し、隆盛を誇っていた時代だから、同地出身の法王の業績をたたえるのに、わかりやすく色をつけてしまった、と言う感じだろうか?
なかなかリアルな絵であるだけに、これが「なかったこと」と思うほうが難しい。

Museo Civico
Piazza del Campo, 1
Tel. 0577 292232

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21 mar 2012
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by fumieve | 2012-03-22 17:04 | ほかのイタリア
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