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ヴェネツィア ときどき イタリア

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ビエンナーレ・ダンス、「公開レッスン」 室伏鴻・編

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(上の写真は公式サイトより)
www.labiennale.org

100年以上の歴史をほこる現代美術展ヴェネツィアの「ビエンナーレ」は、そこから、音楽、シアター、そしてダンスの独立部門を持つ。ちなみに、毎年8-9月に行われるヴェネツィア映画祭も、もともとはこのビエンナーレから映像芸術部門として独立したもの。
その中で、比較的歴史の浅いダンス部門は、いろいろと実験的な試みを行っている。昨年に引き続き今年は、「公開レッスン(Lezioni aperti、Open Doors)」として、世界各地から著名なダンサーを講師として招聘、若いダンサーたちが数日間のレッスンのあと、一般に成果を披露するというイベントを開催中。年明けから5カ月にわたり、7名のマエストロ(巨匠)が次々と若者たちを指導している。

3月末には、日本の室伏鴻さんがマスター・クラスを指導、31日に「公開レッスン」があった。




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初めに、ビエンナーレ・ダンスの総合ディレクターである、イズマイル・イーヴォ氏が、このこの「公開レッスン」の意義と、室伏さんの「ダンス」について紹介。「舞踏」の創始者である土方巽さんに直接師事し、それを発展させてきたこと、その「舞踏」とは、「体」の表現の1つであり、死や生活のもっとグロテスクな部分など、「美」とは対称的なものを示した1つの哲学であること、などを熱く語った。

そして、隣に立つ室伏さんへインタビュー。
彼にとってダンスとは、人生は常に何かしらの危機に直面しており、変化していること、彼にとってダンスとはまさにその表現であると説明。
5日間のレッスンは、教える側、教えられる側双方にとって短過ぎること、したがって、もっとも単純なレッスン、経験的なレッスンを行った、と言う。それは、幸福に、優しく踊るのではなく、まず体を止めること、そして、倒れる、ゆっくりと歩く、といった、ダンスとは思われていないような動きをしてみるところから。

この後、実際に生徒さんたちのレッスンの成果として、5つ(7つだったかも?)ほどの短い舞台が披露されたのだが、そんな短期間のレッスンだったとは思えない、迫力のある「舞踏」に圧倒された。確かに、いわゆるダンスの、「美しい」部分はほとんど存在しない。もだえる、苦しむ、あえぐ、倒れる、走る、止まる・・・動きが止まり、照明が落ちたあとに残る「呼気」。決してアクロバティックなものではない、だが、息さえも完全に統制されたダンス。とくに、体を動かすことに慣れているダンサーたちにとって、「止まっている」ことは相当なジレンマであるに違いない。美しくもないが、醜いというものでもない、強いていえば、産みの苦しみのような表現。
1つ1つは、誰にでもできそうな「簡単な」動きに見えながら、その中に浮かびあがるシルエットの、彼らの鍛え抜かれた筋肉の美しさにもまた惚れ惚れする。
そしてもう1つは、個々の、最低限の動きが、ユニットとして合わさることにより完成する面白さ。共鳴、反発、シンメトリーにコントラスト。3人、4人、5人の苦悩の表現が、バランスによって何か美しいもののように見えてくる。
最後、全身泥まみれのダンサーたちが、苦しみ、もがき、あえいだ末に泥を破って立ちあがってくるさまは、まさに人の、命の再生、強さを感じさせた。

***
室伏さんのレッスンは既に終了しているが、公開レッスンはこの後、
4月21日(土)
Adriana Borriello / Antonella Talamonti 
人類学的肉体
5月12日(土)
Pichet Klunchun
が予定されている。いずれもアルセナーレ・テアトロ・ピッコロにて、入場無料。

13 aprile 2012
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by fumieve | 2012-04-14 07:06 | 見る・観る
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