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ヴェネツィア ときどき イタリア

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「ジーノの家 イタリア10景」 内田洋子・著

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イタリアのふつうの人を描いたエッセイ、それも講談社エッセイ賞となれば、どうしても須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」を思い出さないわけにはいかない。しかも、しょっぱなは20年前(実際はたぶんそれ以上)に著者が、きたばかりのときのミラノの話から始まるから、なおさら。
毎日のように通って、顔なじみのはずなのにちっとも打ち解けない、こわもてのバールのオヤジ。ぶっきらぼうなようだけど、それがかえって気づかいというか、そういう店(人)なのだとだんだんわかってくる。そうそう、みんな明るくて調子がいい、そんなイタリアのステレオタイプなイメージは、必ずしも北イタリアでは当てはまらないし、私自身、冷たいなー感じ悪いなーと思ってしまうこともある一方、ごちゃごちゃ話しかけられたりするより、おいしいカフェだけをさっと出して、ほっといてくれたほうがありがたいと思ってしまうこともある。うん、うん、わかる、わかる、・・・とあっという間に著者の世界に引き込まれていく。

だが、ファッションやデザイン、華やかなミラノでない、モノクロ写真のようなミラノに浸っていると、いつの間にか時間は現代にシフトしている。携帯電話を2つ3つ抱え、もたもたしている人を突き飛ばさんばかりの勢いで歩いている、ミラノの人。ああ、そうそう、わかるわかる。1時間、場合によっては数分おきに予定を入れないと気が済まないような、忙し自慢の彼らは、生粋のミラネーゼとは限らない、でもとにかく、ひっきりなしに電話をかけたりかかったり、早口でまくしたてる、それが成功の証であり、ひそかに、だが明らかにそんな自分に酔っている。話の内容はといえば、よくよく聞いてみれば、スケジュールをより複雑化するためのスケジュールだったり。
うっかり「忙しそうね」なんて言おうものなら、滔々と自慢話をされたり、そもそも、忙しいといったって、みんな毎日8-9時間は寝るのが前提だったりするのだが。
そんなイタリアの人々の話が、だが、タイトルにもある通り、「家」というキーワードを中心に展開する。建物としての「家」と、家族という意味での「家」と。
それも、ミラノだけではなく、むしろイタリア各地の、聞いたことないような小さな町や村で出会った、ちょっとした、だが、ときには驚くような人間ドラマが描かれている。
人の「家」の話かと思って読んでいると、それが自分の「家」の話へと転換する、その展開はちょっとしたサプライズで見事。

ジャーナリストとして活躍され、「破産しない国イタリア」(平凡社新書)など、これまではイタリア論的な著書の多かった内田さんだが、さすがにエッセイもしっとりと味わいがあってすばらしい。そのうち、ぜひまた続編が読めたらいいな、と思う。

また読み返したいと思うイタリアのエッセイに、久しぶりに出会った気がする。

23 aprile 2012
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by fumieve | 2012-04-24 16:44 | 読む
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