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ヴェネツィア ときどき イタリア

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イタリア映画サイトで「お気に入り賞」受賞、「テルマエ・ロマエ」@ウディネ

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http://www.thermae-romae.jp/index.html

残念ながら、ウディネ映画祭会場での視聴者投票による賞は逃したが、イタリア映画サイト、Mymovies.it による「極東映画祭 お気に入り賞」を受賞したらしい。

「ちょっと、何あの人。新人?今までよく知られずにいたわねー。」
「何言ってんの、前にここでも見たじゃない、えーと何だっけ、ほら、お医者さんの役で・・・。新人どころか、もうデビューして20年以上になるんじゃないかな。」
「え?そうだっけ?・・・そういえば、そうかも。でもそのときは、こんなに印象に残らなかったのよね。それにしてもカッコいいね、すごいいいカラダじゃない。30代そこそこ?」
「え!?いや、確か私よりちょっと上のはずだけど・・・」
「え、うそ信じられない!だとしたら、よくまあ、その年であのカラダを保っているわねえー見事だわ。」
「うーん、そうかもね・・・そもそもモデル出身だから。」
「あー、そう、そういう感じだわねー。そっか、彼はこの役で、堂々と自分の裸をスクリーンでさらす、いいチャンスを得たって感じでしょうねー。なにしろ、最初から最後までほぼ裸なんだから。それにしてもいいカラダだわよ。」

と、辛口イタリア人の友人に絶賛されたのは、もちろん主演の阿部寛氏。ウディネの映画の初日に上映を見た彼女に、「どうだった?」と聞いたところ返ってきた反応がこれ。






まあ確かに、顔の濃さとか、まじめそうな風貌とか、実写映画化の配役を聞いて、それは適役と思ったが、期待通り、いやひょっとするとそれ以上にローマ帝国の公衆浴場(テルマエ)設計技師、ルシウス役を熱演してくれたらしい。

4月21日、映画祭初日、「テルマエ・ロマエ」は全1200席の会場が満席御礼、上映中、大きな拍手でおおいに盛り上がったらしい。要望が多かったために、27日に再上映があったのだが、原則、一映画一上映のこの映画祭で、再上映があるケースは珍しく、日本映画ではこれまで「おくりびと」であったくらい。
そのおかげで、私も2回目の上映で無事に(?)見ることができた。

「グラディエーター」を思わせる大げさな幕開け。そうそう、アメリカ人がさんざん、イタリアの映画を作っているのに、日本人が作っていけない理由はない。ま、だが、若干、日本のテレビのクイズ番組や情報番組を思わせる解説。
そして、ローマ時代のローマの喧噪の中にさっそうと現れる阿部寛、いや、ルシウス。うーん、いい感じ。眉間のしわが、すでにいろいろ物語っている。
連載とはいえ、原作のマンガは一話完結型だから、映画化するにあたって、うまくお話をつないでいるのは致し方ないだろう。それでも原作に忠実なエピソードは、くるぞくるぞとわかっていても、やはり爆笑してしまう。こんなとき、笑える場面では大声で笑うイタリアの映画館は楽しい。あの、ウォッシュレットの場面では、大爆笑、大きな拍手がわく。そりゃそうだろう、だいたいこの場面て、絶対に、現代のイタリア人が日本に行ってびっくりする体験の一つだろうから。だから、行ったことがあって、経験したことのあるイタリア人はものすごく共感するだろうし、そうでないイタリア人は、ルシウスと同様、「日本ってトイレまでそんなにハイテクなのか!?」と驚きと呆れを持って見ているに違いない。そうなのだ、君たちよ。イタリアに観光にくる日本人がたいがいびっくりするのが、イタリアのおトイレ事情。紙がない、鍵がかからないのは当たり前、便座がない、汚れ度合いが尋常でない・・・にいたっては、ほんとに文明国なのかどうか、疑われているのを知ってる?
(念のため補足すると、このウディネの極東映画祭会場となっている劇場のお手洗いは、広々ときれいで個室の数も多い上に、常にトイレット・ペーパーも、ハンドタオル・ペーパーも補充され、十分ふつうに使用に耐える清潔度を保っていたこと明記しておきたい。)

・・・だが、だんだん雲行きが怪しくなってくる。
いや、最初から実は気になっていた、上戸彩さんの存在。
原作には全く存在しない、だが、明らかに、原作者であるヤマザキマリさんを想定した「売れない漫画家」という女性。
「商業映画だからね、しょうがないよ。ヒロインを作らないと」と冒頭の友人にも慰められ、それは十分わかっているつもり。そして、ドキュメンタリーでない、娯楽映画なのだから、荒唐無稽が当たり前だというのももちろんわかっている。だが、いや、だからこそ、荒唐無稽こそがこの原作の一番面白いところだと思っているからこそ、妙につじつまを合わせにかかる後半にちょっと違和感を感じてしまう。

国境や時代を越えて、なぜか言葉が通じてしまうのがマンガや映画の暗黙の了解であり、よさなのは言わずともわかっている。だが、このマンガの場合は、その通じなさ、わからなさこそが最大の笑いを生む要素になっているのに、そこのとこ、あっさりクリアしてしまうのはどうか、と思う。

そう、外国語を学ぶのはそんなに簡単なことじゃない。ましてラテン語ともなればなおさら。「ラテン文学史」の試験を、3回受けた身としては、ひがみつつ、ヤボだとわかりつつ、やっぱり言っておきたい。

2 maggio 2012
by fumieve | 2012-05-03 09:09 | 映画
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