ブログトップ

ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

ラファエッロは日本人!?・・・そのココロは@ヴァチカン絵画館

a0091348_514351.jpg


「お前たち、知ってるか?ラファエロは日本人だったんだ。」
・・・イタリアに来て1年目。ペルージャ外国人大学の授業で、美術史を教えていたL先生は自信たっぷりにそう言い放った。
「はあ~???」
なにしろ、「外国人」大学の語学コース、生徒はみんなイタリア語があやしい外国人ばかり。聞き間違えたのか、それとも何かそういう言い回しがあるのか、キツネにつままれたようにきょとんとする私たちを目の前に、得意そうにもう一度繰り返した。
「ラファエッロは日本人」。




a0091348_5101100.jpg


ローマで、先日いろいろと事態が二転三転して、まったく予定外だったのだが、ヴァチカン美術館の絵画館に行って、タピストリーの間でラファエッロの絵の前に立って、その話を思い出した。

・・・もちろん、1483年にイタリア中部マルケ州ウルビーノに生まれ、イタリア各地で活躍した画家、ラファエッロ・サンツィオが、人種的に「日本人」であるはずがない。
いわく、「ラファエッロは、人の技術を学んで、習得し発展させ、結果、もと以上のものを作り出す天才だった。新しいものを生み出す革新的な天才ではなかった。」「カメラだって車だって、日本人は何も発明してない。だけど、それを研究して、いつの間にか世界一のものを作ってしまう、だろ?」
そう多くない生徒たちの中で、比較的、人数の多かった私たち日本人学生に対する「カマシ」であったことは間違いない、だが、そう言われるとほんとうにそうで、発明的天才のレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロとは違うラファエッロという画家が、少し身近になったような気がした。

ヴァチカンの絵画館で、ラファエッロの祭壇画が3枚並ぶその前に立って、あらためてその言葉をかみしめた。同じラファエッロという画家の作品3つ、だが、その作風のなんと違うことか。

a0091348_527552.jpg


向かって右側の、「聖母戴冠」は、1502-03年、ペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート教会の中の礼拝堂のために描いたもの。
雲の間に浮かぶ、ほわほわの天使たち、あま~くかわいらしい聖母と若いキリストも甘アマ顔。それを見上げる地上の聖人たちの、つぶらな上目づかいも、師であったペルジーノの作風を忠実に再現している。

ちなみに、下↓が、師ペルジーノの作品の1つ。(栄光の聖母、1495-96年、ボローニャ絵画館所蔵)

a0091348_5434984.jpg


a0091348_618247.jpg


一方、中央の「キリストの変容」は1516-20年、37歳で夭折したラファエッロ晩年の作品は、天に昇るキリストこそ、ほわほわ感が若干残っているものの、地上の人々の劇的なポーズや、とくに手前の筋骨隆々とした女性の姿、天を仰ぎ目をむく少年・・・など、まるで別人のよう。あきらかにミケランジェロの影響がはっきりと表れている。

a0091348_5334610.jpg


一方、向かって左側の「フォリオーニョの聖母子」は、1511-12年だから、年代的にほぼその中間に位置する。

a0091348_5373915.jpg


ラファエッロといえば、世界中の主な美術館でたいてい人気のあるのが、優しく美しい聖母子像だが、それらの聖母子像に近い、一番おなじみの「ラファエッロ」らしい作品だろう。

a0091348_5515914.jpg


このヴァチカンで、ラファエッロが「アテネの学堂」を描いたのは1509年。同じころ、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井を手掛けていた。「アテネ・・・」もすでに当時から絶賛されたとはいえ、すぐ近くで完成したミケランジェロの「天地創造」を見て、ラファエッロは肝をつぶしたのかもしれない。

a0091348_622113.jpg


そして、わずか数年で、すっかりその作風を取り入れ、かつ自分のものにしてしまうのだから、「日本人」ラファエッロもやはりすごい。

24 maggio 2012
[PR]
by fumieve | 2012-05-25 05:56 | 見る・観る
<< モデナで出会ったとろとろの豚、... トニー・ザイラー風「夢遊病の女... >>