行く前に読んだ日本のガイドには、「小ヴェニス」と紹介されていたロヴィニ(Rovinj、イタリア語でロヴィーニョ、Rovigno)。
イストリア半島沿岸部にあるこの町は、古くはローマ帝国から東ローマ帝国、それもラヴェンナ総督府の支配下からフランク王国の手に移り、1283年にヴェネツィア共和国の重要な拠点の1つとなった。
1797年にヴェネツィアがナポレオンに敗れると、ナポレオン戦争を経てロヴィニはオーストリア帝国に。第一次世界大戦後にはイタリア王国の支配を受け、第二次大戦後の1947年、ユーゴスラヴィアに併合された。
複雑な歴史を持つクロアチアの中でも、そんなわけでこの町は、ヴェネツィアの支配の下にあった期間が長く、したがって影響も大きかったことは間違いないだろう。
町の城門には、ヴェネツィアのシンボル、「有翼のライオン」がついているし、丘の上にそびえる鐘楼は、ヴェネツィアのサン・マルコの鐘楼をモデルに建造されている。
だが、町に着いて、最初の印象は、「全然ヴェネツィアじゃな~~~い!!!」。
アドリア海北部に、三角形に突き出たイストラ半島の西側に、ちっちゃな丘が舌をぺろっと出したような形のロヴィニ。町に入ると、名物のイストリア石であろう、白い石畳が、それも角がすり減ってつるっつるになった石の坂道や階段が迷路のように入り組んでいる。
坂道と、(地に足のついた)階段。これは決してヴェネツィアにないもの。
そしてここには、ヴェネツィアの町をヴェネツィアとして決定づけている運河と橋がない。
そうして歩きながら、ふと脇を見ると、その下に青い海が広がっていたりする。
思っていたよりもずっとリゾート地で、そういう道にも、いかにもなお土産屋さんが並んでいたりするのだが、その様子もほどよくて、ヴァカンスに来ている一旅行者としては、それはそれでかえって楽しい。
(それにしても、ヴェネツィアの「いかにもなお土産屋さん」は、どうしてこうギトギトしているのだろう?)
そして、海辺のカフェ・バーや、路地をそのまま利用したギャラリーなど、おしゃれでかわいくて、どこも寄ってみたくなる。
極めつけは、夜。
そういうお店が、夜遅く、深夜近くまで開いているところが多いから、食事の前後のお散歩も、一段と楽しい。
白い石と、坂道の海のリゾート町は、ヴェネツィアというよりもむしろ、昨秋に訪れたイタリア半島のカカト、
オートラントや、カプリ島、あるいは、遠い遠い記憶、フランス南岸ニースに近いアンティーヴを思い起こさせた。
・・・クロアチアの旅、まだまだ続きます。
6 luglio 2012