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ヴェネツィア ときどき イタリア

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「フランチェスコ・グアルディ(1712-1793)」展

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(画像はすべて、公式サイトより拝借)

コッレール美術館
2013年2月17日まで(会期延長)

Francesco Guardi (1712-1793)
Museo Correr
29 set 2012 - 17 feb 2013 (prorogata)
http://correr.visitmuve.it/it/mostre/mostre-in-corso/francesco-guardi-1712-1793/2012/10/8600/progetto-15/

18世紀ヴェネツィアの風景画家の1人、フランチェスコ・グアルディの生誕300周年回顧展。
同時期のヴェネツィアを代表する画家といえば、まず、市民の日常生活やお祭りの姿を描いたピエトロ・ロンギ、そして風景画ではなんといってもカナレットが知られるが、グアルディは、同業者の1人として、まさにその両者の影響をまともに受けて存在した。
いや、「同業者」と言っては、両巨匠に怒られてしまうかもしれない。少なくとも、初期のグアルディとしては。というのも、もともと画家の家、といっても今でいうと、アーチストというよりは、あくまでも職人の、つまり写真がなかった時代に記録画を描いたりする、ふつうなら後世に名を残すこともなさそうな家に生まれ、本人も一職人として仕事をしていたらしい。



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今回は初期の頃の、あまり知られていない作品が展示されている。ヴェネツィア市民のカーニヴァルの場面を描いた絵は、当時すでに人気を博していたロンギの物まねとはいかないまでもそれ風であり、無難ではあるが、正直のところ、記憶に残る作品とは言い難い。
転機が訪れたのは50年代に入ってから。やはりすでに大人気だった風景画のカナレットが、当時の贔屓客が多くいたロンドンに移住したあと、その不在を埋める画家の需要が高まったのだった。
かつての、ヴェネツィアを代表する画家一家、ベッリーニ・ファミリーの中でも父子、兄弟の中で少しずつ専門、得意分野が違ったように、記録画家グアルディ家の中でも、フランチェスコは精密で写真のような風景画に向いていたのだろう。既に40代になっていた彼は、水を得た魚のように美しいヴェネツィアの風景画を次々と生み出したのだった。
クライマックスは1782年。1月にはのちのロシア皇帝、当時のパーヴェル・ペトロヴィッチ大公が、5月にはローマ法王ピオ6世がヴェネツィアを訪れ、その祭事一式の記録を任せられた。
そして、ヴェネツィア総督の登場する、数々の公式行事の場面。
フランチェスコ・グアルディは確かに、一千年の歴史を持つ、共和国としてヴェネツィアの最後の華、ヴェネツィア共和国の集大成をこうして後世に残る形で記録に残したのだった。そしてそれは、地道にキャリアを積んで、やがて大器晩成したフランチェスコ自身の集大成でもあった。
カナレット同様、今は世界各地の主要美術館に散っているグアルディの作品を、これだけ一度に見られるのは圧巻。

今でも変わらぬ姿を見せているかのようなヴェネツィア。だが、このあとナポレオン、そして一時的にオーストリアの支配下を経て、ヴェネツィアもヨーロッパの各都市と同様、やがて現代化の道をたどる。鉄道駅を作るために取り壊された、今は亡きサンタ・ルチア教会の姿など、地理的、美術・建築的にもまた、貴重な記録となっている。そんな違いを探しながら見て歩くのもまた一興かも。

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14 dicembre 2012
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by fumieve | 2012-12-15 07:30 | 見る・観る
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