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ヴェネツィア ときどき イタリア

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レオナルド・ダ・ヴィンチ展、東京都美術館

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その「彼」は、額ごと壁の奥に埋まっていた。ガラス越しに一心に見つめるヴィジターたちを前に、決してこちらに視線を向けず、といって、右手に持つ楽譜に目を落とすでもなく。
肖像画といえばまずはお見合い写真であり、ひいては夫婦の肖像をそれぞれ真横から、胸から上だけを描いたのが15世紀。それが斜めにかまえた座像になり顔も斜めからこちらを向いて微笑む、まさに「モナリザ」のスタイルになっていくのが16世紀。斜めの胸像では、たいがいこちら側をまっすぐに見つめているのが普通だが、そのパターンでもない。
だから、このモデルが誰であるのか、いくつかの説があるが、いずれにしても肖像画のパターンにのっとっていない以上、公式な肖像画ではない、ということがいえる。
1974年に、世界で最も有名な絵画「モナリザ」が以来、レオナルド・ダ・ヴィンチの油彩としては(確か)4点目の来日、もともと完成作品の少ないダ・ヴィンチとはいえ、約40年でわずか4点と考えると、いかに貴重な機会かがわかる。



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そして今回、「音楽家」とともにやってきたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描集、「アトランティコ手稿」から22葉(枚)。

オープニングの記念講演会の中でも話があったが、レオナルド・ダ・ヴィンチの完成作品が少ない理由に、弟子をあまり使わずに自分1人で仕事をしたこと、絵を描きながら試行錯誤を繰り返したため時間がかかったこと、などに加え、ミラノ滞在時は各種イベントや軍事設計の技術者として採用されていたためにほかの画家に比べても絵を描く時間が少なかったこと、などが挙げられる。
その代わりと言えるのが手稿。自然の事物や身の回りの機械を観察し、写生し、あるいは思いついたことを片っ端からメモしていたと思われるレオナルドは、いわゆる絵画作品の下絵としての素描だけでなく、そんな走り書きから、城壁の設計図まで大量の手稿を残した。それらの手稿はレオナルドの没後、弟子のフランチェスコ・メルツィに残されたが、その後散逸が始まる。16世紀末に、ポンペオ・レオーニという収集家が、主に解剖学、天文学、幾何学、機械や建築物の設計などに関する手稿をまとめたのが「アトランティコ手稿」。「アトランティコ」とは当時の地図(のサイズ)のことで、この手稿集が大型の地図サイズのアルバムにまとめられたことから、そう呼ばれている。ミラノのアンブロジアーナ図書館に所蔵される「アトランティコ手稿」は1119枚(葉)の手稿を含む。

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アルバム状に台紙に貼って裏表重なり合って収蔵されていたアトランティコは、各手稿の作品保護の観点から現在は1枚1枚にバラして保存されており、かつ、2009年からは同アンブロジアーナ絵画館および、「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ修道院のブラマンテ聖具室でそれぞれ22枚ずつ展示されている。これも作品保護の観点から、それぞれの作品は最大3カ月しか光の下にさらすことができないので3カ月ごとにテーマを変えて展示替えを行なっているが、今回、日本にきた22枚は、そのお宝紹介プロジェクトの一環。

もう1つ、レオナルド・ダヴィンチの貴重な資料が、レオナルドの友人であり、幾何学の先生であったルカ・パチョーリの書籍「黄金比例論」。手書きの理論書に添えられている挿絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチによるもの。肖像画、手稿とならび、世界で唯一無二のこの貴重な書物が、この展覧会のたくさんある目玉の1つ。ほかにレオナルドが当時愛読していたほかの図書らの間で一段と光り輝いている。

アンブロジアーナ図書館・絵画館から100点を越える大コレクションを紹介するこの展覧会ではほかに、レオナルド・ダ・ヴィンチの追随者たちの作品や、イタリアの15世紀から18世紀までの素描が展示されており、レオナルドの生きた時代の背景や、その後の影響が展望できる。
アンブロジアーナの多くの代表作品、および同館でも通常は公開していない多くの素描含め、すべて日本初公開。

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ミラノ・アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵「レオナルド・ダ・ヴィンチ展ー天才の肖像」
東京都美術館
2013年4月23日〜6月30日
http://www.tbs.co.jp/leonardo2013/

23 aprile 2013
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by fumieve | 2013-04-24 08:30 | 見る・観る
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