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ヴェネツィア ときどき イタリア

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北東イタリアのロマネスク、ポンポーザ修道院

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ポー川の河口、デルタ地帯に浮かぶポンポーザ島に、ベネディクト修道会の修道士たちが住み始めたのは、紀元後6-7世紀にさかのぼるとされる。ローマから北東ヨーロッパを結ぶポピリア街道(Via Popilia、通称ロメーア、Romea)沿い、アドリア海から一歩隔てたラグーン内という地理的、気候的な好条件にも恵まれたこのポンポーザの修道院が自治を得て最大の栄華を誇るのは、11世紀前半、グイード修道院長時代。
塔を備えた大きな回廊や事務館が建ち、それはまるで城壁に囲まれた小さな都市のようだったという。




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ところが、地理的優位がその発展のもとであったポンポーザは、その地理に裏切られることになる。1152年、大洪水によりポー川は流れを変え、河口が北に移動し、ポンポーザは陸地に取り残された。沼地に囲まれたポンポーザは、蚊やマラリアに悩まされることとなり、11世紀には100人ほどいた修道士が、1235年にはわずか20人、1305年には10人にまで激減した。
15世紀には修道長空位となり、16世紀にはフェッラーラのベネディクト修道会の管轄下に置かれ、貴重な書物や、家具、美術装飾品などがほとんどそちらへ持ち出された。
1663年には最終的に、当時のローマ教皇イノチェンツォ10世により、廃院とされる。最後の修道士たちは1671年、この地をあとにした。
こうして、修道院としては歴史上からその姿を消したポンポーザだが、付属教会だけは、1663年に司教区教会の指定を受け、1802年にナポレオンの侵攻により廃院とされるまで存続することになる。
競売にかけられた建物やその跡地は、農業用倉庫や事務室として利用された。
近代化にともない、マラリアなどの問題が徐々に解決され、また、イタリア統一後に、のちの歴史的遺産保護監督局となる役所が創設されると、このポンポーザ修道院は1920年代および1990年代に大規模な修復工事が行なわれて、現在の姿に回復された。教会、鐘楼以外の部分は、1976年よりポンポーザ博物館として公開されている。

(L’Abbazia e il Museo di Pomposa, Carla Di Francesco, Museo Pomposianoを参照した)

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色の違うレンガに、テラコッタのレリーフを組み合わせた外壁は繊細で優しい色合い。面白いのは壁のアクセントに埋め込まれた陶器。「イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア」の金沢百枝さんによると、なんと貴重なエジプトのものも含まれているそう。

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ジョット派の画家によるフレスコ画、色大理石による床のモザイク模様の美しい教会内は残念ながら撮影禁止。実は、画像を拝借しようにもあんまりいいのがみつからないので、興味のある方は、上記の本を参照していただくのがよさそう。

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(上記3枚は公式サイトなどから拝借)

博物館に入ると、回廊をはさんだ修道院の食堂などが見学できる。最後の晩餐のほか、11世紀の修道院長グイードの奇跡の場面などが壁に残っている。

鐘楼からの眺めももちろんすばらしい。
階段を上がっていくにつれ、窓が1連から2連、3連・・・となって開口部が増えていくのが美しく楽しい。

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栄華盛衰を乗り越えて、のどかな田園地帯の中にひっそりと残る修道院跡は、今ではこの地域の観光ポイントの1つとなっている。大きな駐車場もあって、それなりに観光客も訪れるはずだが、ひなびた絵はがきをうるショップのおばさんも、博物館のおじさんも、みな親切で(といって押しつけがましいほどでもなく)感じがよく、のんびりと「一日休暇」を満喫した。

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Abbazia di Pomposa e Museo Pomposiano
Via Pomposa Centro, 12
Codigoro - Ferrara
Tel. 0533 719119

29 giugno 2013
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by fumieve | 2013-06-29 18:42 | ほかのイタリア
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