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ヴェネツィア ときどき イタリア

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オーストリア皇妃シシィの名残り、ヴェネツィア編 コッレール美術館

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1797年5月16日、ヴェネツィア共和国は、ナポレオンのフランスに降伏し、一千年以上を誇るその歴史に幕を閉じた。
そしてヴェネツィアは、それから1年も経たぬうちに今度はオーストリアに占領されるが、1805年にはふたたびフランス領に。さらにナポレオン失脚後は再度オーストリア支配下に移る。

ヴェネツィアのサン・マルコ広場。両サイドに縦長に延びているアーケードの建物が、新旧の行政館。
大聖堂を背にして、(カフェ・フローリアンなどのある)左側の上階が、現在はコッレール美術館および国立考古学博物館になっている。もともとのオフィス(ufficio)を美術館利用しているという点では、フィレンツェのウフィッツィ(Uffizi)と一緒。
その両館の入口になっているのが、大聖堂とちょうど対峙する面、通称「ナポレオン翼」と呼ばれているのは、まさにナポレオンが自らの滞在のために建てさせたため。広場を囲んで「コ」の字型に連なる建物は、実はこの部分だけ新しいのがよく見るとわかる。




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昨年7月、同美術館内に新たな見学カ所が追加された。
現在のチケット売り場のすぐ隣、現在は企画展などに利用されているサロンに続く、全9室が長い修復期間を終えて一般公開されるようになった。ここは、オーストリア皇帝フェルディナンドが、はじめは1838年、ロンバルド・ヴェネト王国の国王として戴冠した際、続けて54-56年に、皇帝フランチェスコ・ジュゼッペ夫妻がヴェネツィアに滞在するにあたり、彼らのために内装を整えた部屋。シシィの愛称で知られる皇妃エリザベトはその後も56年11月から57年1月、61年10月から翌年5月と、長期で滞在したらしい。

第1室、昼食の間
公式でない食事のための間で、1836年にジュゼッペ・ボルサートが設計。ネオクラシック・スタイル、天井はグロテスクと呼ばれる、もともとはローマ時代の皇帝の屋敷で使われていた模様。家具は当時のオリジナルのもの、ブロンズのセンターテーブルは同時代のフランスのものだが、もともとここにあったものではない。

第2室、ロンバルト・ヴェネト玉座の間

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同じく、ジュゼッペ・ボルサートにより、1838年に設計。のちに、次室が実際の謁見の間となると、こちらは控えの間として使われるようになった。天井は、トロンプオイユというだまし絵。
赤と金の壁紙は、ヴェネツィアのルベッリ工房による再現品。家具はすべてオリジナル、シャンデリアは18世紀にムラーノで制作されたもの。

第3室、謁見の間

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角部屋にあるこの部屋は、彼らの公の場とこの先の、いわゆるプライヴェートの空間との境目にあたる。
ここはもともと、サン・マルコ大聖堂の事務局長の事務所が置かれていたところで、天井の漆喰装飾は18世紀にさかのぼるとされる。
フローリングの床と赤の壁紙(再現品)は、54年から56年のフランチェスコ&シシィ滞在に合わせて整えられた。ブロケード織のビロードの張られた肘掛け椅子は、18世紀のヴェネツィアン・スタイルと言われる当時のもの。暖炉はヴェネツィア・バロック風で、19世紀に再現されたもの。ガラスのシャンデリアは19世紀ムラーノ製。

第4室 皇妃のバスルーム

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もともとは大理石のバスタブもあった。クラシックで女性らしい柔らかい色合いの装飾。クリスタルのシャンデリアは、おそらく中欧の18世紀のもの。

第5室 皇妃の書斎

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もともとは、ロンバルド・ヴェネト王国の副王妃も使用していたが、シシィが個人的な書斎として利用していた。室内の装飾は、すでにナポレオン時代から施されたものにたびたび改装されている。1866年以降はイタリア国王も手を加えており、現在も残る天井の緑色部分などがその例。
ネオバロック様式の書斎机は、ヴェネツィアの工芸の大集結ともいえ、必見。吹きガラスによるしずく型のシャンデリアは、19世紀はじめのムラーノ製だが、クリスタルのボエミアン・ガラスのスタイルを模しているのは興味深い。

第6室 皇妃の化粧室

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シシィのため、内装プランナー、ジョヴァンニ・ロッシにより設計された。壁と天井の表面は、ヴェネツィア建築の特徴でマルモリーノ(marmorino)と呼ばれる大理石を模した一種の漆喰でできているが、繊細なブルー・グレーの中に細かいクリスタルを混ぜてあり、きらきらときらめいて見える。漆喰でできた花房模様から浮かびあがるスズランと矢車草は、シシィのお気に入りの花を意識したもの。角には金属製のスズランも顔をのぞかせている。
出入り口の漆喰の鷲は、オーストリアおよびバイエルンの紋章を掲げている。

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天井の大きなメダルは、芸術の女神、そして壁にはヴィーナスの化粧室が描かれているが、これはフレスコでなく油彩のため、保存状態が好ましくない。

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釣り鐘型シャンデリアは、19世紀はじめ、ボヘミアのクリスタル・ガラス。

第7室 皇妃の寝室

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1856年から、シシィの寝室として使用された。暖房のため、タイル張りのストーヴがあったはずだが、今は存在しない。
天井は1810年ごろ、ナポレオン時代のものが完全に残っている。おそらく、ジュゼッペ・ボルサートが全体の幾何学模様を描き、その中に、ジョヴァンニ・ベヴィラックアがフレスコ画で人物像などを描いていった。
青・金の壁紙は、1854年に張られたものの、忠実な複製品。オリジナルはこの下に残っている。
皇妃が実際に使っていた寝台は残念ながら失われている。展示されているのは、インペリアル・スタイルの休息ベッドで、1806年から13年に、ナポレオンが建国したイタリア王国の副王であった、ナポレオンの養子、ウジェーヌ・ド・ボアルネのもの。ナポレオン時代の家具で、オーストリア時代を通じてそのまま残されたものは、あまり多くない。
「三位一体」の祭壇画は、パオロ・ヴェロネーゼの息子、カルレット・カリアリ(Carletto Caliari)がベッルーノの教会のために描いたもの。ナポレオン時代に接収、ここに持ち込まれた。

第8室 前室

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皇妃シシィのプライヴェート空間と、皇帝フランチェスコ・ジュゼッペの部屋との接続の間にあたる。バルコニーからは、眼下に庭園、目の前にはサン・マルコ湾とサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が見渡せる。
この部屋も、天井にはジュゼッペ・ボルサートが1810-11年に設計したネオクラシック・スタイルがよく残っている。中に描かれた神話画は、ローマ時代、エルコラーノ遺跡の絵から写したもの。壁紙は54年オリジナルの再現品。

第9室 楕円の間(「日々の食卓の間」)
「公」と「私」をつなぐ空間であり、かつ、フランチェスコ・ジュゼッペとシシィ滞在時には、朝食から夕食まで、プライヴェートの食事の間として使用された。
ポンペイにインスピレーションを受けたネオクラシック・スタイルの部屋は、1810-11年にジュゼッペ・ボルサートが設計。1854-56年に多少手が加えられた。

1810年ごろ、ルイージ・ピッツィによるナポレオン・ブオナパルテと、その妃、マリア・ルイーザの胸像が置かれている。

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写真と、各部屋の説明は、公式サイト http://correr.visitmuve.it/ より抜粋・要約しました。

入場は普通に、コッレール美術館入口から。

Stanze dell’imperatrice Elisabetta
Museo Correr
Piazza San Marco, Venezia
http://correr.visitmuve.it/

12 agosto 2013
by fumieve | 2013-08-13 06:57 | ヴェネツィア
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