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とんぼの本「神のごときミケランジェロ」とミケランジェロ展

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フィレンツェのあの「ダヴィデ像」に、ヴァチカンのあの「ピエタ」。「ピエタ」といえばミラノの「ロンダニーニのピエタ」。
そして、500周年を迎えたあのシスティーナ礼拝堂の「天地創造」や、同じ礼拝堂内の「最後の審判」など、本人は自らを「彫刻家」であって「画家」ではないと再三主張していたにも関わらず、彫刻はもちろんのこと、絵画においてもすばらしい作品を残し、今も世界中の人々を魅了し続ける芸術家、ミケランジェロ・ブオナローティ。

独立して工房を構えれば、助手や弟子を抱えて、依頼には彼らの手も借りて対応するのがふつうだった時代に、自分と同じレベルの仕事を、自分の要求通りにこなすことのできないのが気に入らず、たった1人で巨大な作品たちにのぞんでいた、孤高の天才。

ミケランジェロについてはそんなふうに、なんとなく知っているようでいて、なんだか今さらそれ以上聞けないような雰囲気すらある。

研究者でありながら、専門家でない、ふつうの美術ファンにもわかりやすい入門書などをたくさん出版されている池上英洋さんによるとんぼの本は、とんぼの本らしい手に取りやすさと、豊富で美しい図版で、知っているようで案外知らない、ミケランジェロの生涯に迫る。

「没落貴族」の家に生まれたこと。したがって、父親に反対されながらも芸術家の道を選んだこと。若くしてその才能を認められ、フィレンツェの当時の統治者であったメディチ家、やがて歴代ローマ教皇に求められていったこと。ところが、政変や彼らの気まぐれに振り回されること。親や弟、その子たちを愛し、全面的に支えてきた彼らにも、最後には次々と先立たれてしまうこと。
頑固で怒りっぽく、孤独なひねくれ者になってしまうのもいたしかたないような一生と、その中で生み出されたきた、あるいは完成をみなかった数々の作品たち。
天才であるには違いない、だがあの美しく壮大な作品たちの裏に隠された、ミケランジェロの人としての姿が描かれている。




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「ラファエロ」のときと同様、これを持ってミケランジェロの作品をたずねて歩きたくなる。とくに、不覚にも、フィレンツェのカーザ・ブオナローティは行ったことがなく、現在、東京の国立西洋美術館で開催中の「ミケランジェロ展」に展示されている「階段の聖母」をはじめとする作品の数々は未見。もちろん素描類は現地でも常に展示されているわけではないから、日本でこれらが見られるのはうらやましい!!!
展覧会は今週末17日までなので、まだいらしていないかたは、とりあえずぜひ!

14 novembre 2013
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by fumieve | 2013-11-14 15:22 | 読む
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