あらためて、レオナルド・ダ・ヴィンチという人は、ものすごい強度な「なぜなに小僧」がそのまま大人になったような人だったんだんだなと思う。
さまざまな自然界や機械の仕組み、人体そして生命という複雑で神秘なものの仕組みに疑問を持ち続け、観察し、描写し、そこから推測を重ね、それをまたデッサンした。
思い出す限り、私自身は小さいころから、あんまりこういう分野に興味がなかったというか、とくに疑問にも思わず、あるがままに受け入れていたように思う。だから自然科学、理科という分野は、中学校ぐらいまではなんとなく流していたものの、高校に入ってからの物理、化学、生物といずれもほぼ意味不明な世界、「なぜ」どころか「なにそれ?」というくらい、遠い遠い存在になっていた。
そんな私に、筆者は鋭く突っ込みをかける。
・・・双眼鏡で見る風景は天地が逆転しないし、バードウォッチング用の単眼望遠鏡でもおなじこと。それはなぜか?これらの問題について一度として考えたことがないのだとすれば、(レオナルドが知りすぎていたというよりも)あなた自身が視覚に対してあまりに無頓着すぎる、というべきだろう。
・・・ひえ〜っ。・・・というか、なぜ天地が逆転するはずなのか、そこんとこからして、すでに理解不能なんですけど・・・。
そんな私でも、この本にはぐいぐいと引き込まれた。それはやはり、レオナルド・ダ・ヴィンチという人の魅力にほかならない。レオナルドが、何を見て、何を考えてきたのか。
本書はとくに、レオナルドの幅広い興味の対象の中から、人の体という分野に的を絞っている。なにしろあの、レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンだからついだまされてしまうけど、中には現代の解剖学からすると間違っているものも多々あるらしい。
目の前のものを観察し写すだけではなく、当時のいわゆる理学書や博物誌を熟読し、つまり、観察と文献と、できるだけの材料を集めた上で、彼自身の考察が行なわれていた。 理論と現実との違いに、ときには気がついて世紀の発見をしていたり、一方でときには、あのレオナルドでも越えられなかったこともある。
まあ、なんというか・・・まずはメモ魔、そして一言で言えばやはり「オタク」だろう。興味の対象に対して、執拗なまでに追究する。だが、先日、
ミケランジェロでも見てきたように、その人何倍もの、絶え間ない努力ができるのが天才であるゆえんだろう。
本の裏表紙になっている「ウィトルウィウス的人体図」も展示されている
ヴェネツィア・アッカデミア美術館で開催中のレオナルド・ダ・ヴィンチ展は12月1日まで!
19 novembre 2013