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モザイクの旅・番外編〜サルデーニャ、ノーラ遺跡

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青い海を背景に、足もとにはローマ時代の床モザイク。
海好き、モザイク・マニアには夢のような世界がサルデーニャ島にあった。

州都カリアリから、40kmほど南、現在はプーラ(Pula)という市内の海岸沿い、かつてノーラ(Nora)という町があった。先史時代から人類が住み、やがてカルタゴ人が商業上の拠点、つまり商業港として利用したあと、そのカルタゴがポエニ戦役でローマに敗れ、やがてサルデーニャ島は紀元前238年にローマ共和国の属州となった。
カルタゴ時代には、あくまでも商業の拠点としての町であったノーラだが、属州後はほかのローマの町に漏れず、ローマの都市計画に基づき、フォロ(広場)や神殿、道路に水道、テルメ(公衆浴場)、そしてインスラと呼ばれる集合住宅地区と、一方でドムスと呼ばれるお金持ちの邸宅ができた。
一時は8,000人の人口のあったノーラだが、紀元後4世紀にヴァンダル族の襲撃に遭い、また、かつての良港であった町は徐々に海に浸食され、8世紀には完全に打ち捨てられてしまう。そして1889年に遺跡が「発見」されるまで人に知られることなく土の中に埋もれていた。



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1950年代から発掘作業、研究がすすんでいるが、作業はまだまだ途中。
それでも、これまでに発掘されたエリアだけでも3ヘクタール以上あるというこのノーラ遺跡ではいくつか、モザイクの床が見つかっているのだが、圧巻はこのドムス。

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「4つの円柱のアトリオの家(Casa dell’Atrio Tetrastilo)」と呼ばれているが、この円柱は年代こそローマ時代当時のものとはいえ、もともとはこのアトリオ(中庭)に立っていたものではなく、おそらく別の柱廊で使われていたものだろう、とのこと。実際、同じものがすぐ近くにあと4本、転がっている。
この4本の円柱をここに立てたのは1960年代のことで、別の柱が立っていたであろうこのアトリオを「再現」したらしい。今では絶対にあり得ないのだが、たかだか50年前にはまだ、そういう作業もごく普通に発生していた。

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このノーラでこれまでに発見されているモザイクはすべて、幾何学模様だが、唯一の例外がこちら。色数は少ないものの、華やかで意匠の凝った幾何学模様の中に、「エンブレマ」と呼ばれる、具象画のモザイクがはめ込まれている。

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残念ながら損傷が激しいのだが、いるかか何かに跨がり、頭の上にぐるりと衣をはためかせているのは、ノーラの擬人像と思われる。こちらはクビクルム(cubiclum)と呼ばれる寝室で、モザイクは紀元後3世紀後半のもの。

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海の方に向き直ると、タブリニウム(tablinium)と呼ばれる食堂で、ここの模様はほんとに複雑ですごい。

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そのさらに向こうが、トリクリニウム(triclinium)と呼ばれるダイニング。

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床に、細かい四角形の石を並べて模様や絵を描くモザイクという手法は、ローマ時代に大いに発展・普及した。中でもとくに好んで使われたのは港や湖畔など、水に近い平地部が中心なのではないか、という独りよがりな推察は、シチリアのピアッツァ・アルメリーナであえなく打ちのめされた。だがやはり、こうして旅をしてみると、ローマの文化が、いかに広い範囲へ、しかも時間をおかずに伝搬していることに、改めて驚きを感じる。一方でちょっと怖いようであり、その中でちょっとずつ違うところを探してみたりするのも楽しかったりする。

ノーラ遺跡の旅、続きます。

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29 gen 2014
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by fumieve | 2014-01-30 08:34 | モザイクの旅
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