昨年のレオナルド・ダ・ヴィンチ展以来、気になっていた画家が、ベルナルディーノ・ルイーニ。
レオナルドの作品を研究、模写した作品も多いが、どちらかというとレオナルド本人よりも甘く優雅で、より女性的になっているのが特徴。
大きく「レオナルデスキ」(レオナルド派)にくくられるものの、直弟子ではなく、したがって茂吉にも詠まれた、
ミラノのレオナルド像を囲む4人には含まれていない。
(画像は、http://www.keresztenymuzeum.hu/ から拝借)
このベルナルディーノ、マッジョーレ湖畔の町、ドゥメンツィア(Dumenzia)出身とされているが、実は正確には生まれの場所も年月日もわかっていないらしい。ほんとうの苗字はスカーピ(Scapi)で、父やおじが、ミラノのドォーモ近くで青物販売業を営んでいたらしい。「ルイーニ」はそこで扱っていた栗の産地からのあだ名。
ベルナルディーノがその画業に関し、始めに誰に師事したのかもよくわかっていない。例えば極めて初期の、1500年ごろの作品とされる、ハンガリーのエステルゴム、キリスト教美術館にある「聖母子像」()は、どう見てもレオナルドというよりは、ヴェネツィア派の、とくにジョヴァンニ・ベッリーニによく似ている。(所蔵のキリスト教美術館のサイトではルイーニと特定せず「ロンバルド派の画家」になっている。)おそらくヴェローナで修業をしているのではないか、とされる。
記録によると、父ジョヴァンニが1501年か02年に亡くなったあと、ベルナルディーノはミラノを去り、ヴェネツィアへ向かう。ただ、前述の作品が1500年に描かれたものとすると、実際にはヴェネツィアに来る前のことで、つまりヴェネツィアでベッリーニを学んだのではなく、ヴェネツィア派に憧れて、ヴェネツィアに来た、ということだろうか。
(画像は、wikipediaより拝借)
明らかにヴェネツィア後の「聖母子と司教聖人、聖マルゲリータと2人の音楽家天使」(パリ、ジャックマール・アンドレ美術館所蔵)などは、明らかにチーマ・ダ・コネリアーノ的だし、この時代はほかの作品も、強く、ヴェネトー北方フランドル派の影響が強く見られる。
1508年にミラノに戻ってからのルイーニは、突如、あのルイーニらしいルイーニというのか、いや、あらためて見るとむしろ、特に聖女など女性に関しては、レオナルド的というよりは、ラファエロ的かもしれない。
(マガディーノ、サン・カルロ教区教会所蔵、ネットで画像がみつからず、反則技で展覧会ミニガイドからスキャンしたため、画質悪いです)
そのあと、ふだんは同じミラノのブレラ美術館の入ってすぐのところに展示されている一連のフレスコ画。
そして、ポスターにもなっている代表作の1つ、「バラ園の聖母子」(ミラノ、ブレラ美術館、画像一番上)。
年代とテーマごとに、いちいちずいぶん作風の変わるルイーニだが、ヴェネツィア、そしてローマと各地で多くの先達の作品を研究したのであろう。やがて、確かに、特に伏し目の、少し動きのあるポーズの女性、とくに聖母子において、明らかにレオナルド・ダ・ヴィンチの影響が強く見られるようになる。
(「女性の肖像」、ワシントン・ナショナル美術館、画像は www.wga.hu より)
だが、神秘的だが常にクールさを残すレオナルドとは異なり、柔和にして濃厚な、より女性的なこのスタイルこそ、ベルナルディーノ・ルイーニという画家の個性に違いない。
(「サロメ」、フィレンツェ、ウフィツィ美術館、画像は www.wga.hu より)
タイトルに「ベルナルディーノ・ルイーニとその息子たち」とあり、最後の展示室は息子らの、大型の祭壇画が並んでいるのだが、個人的にはベルナルディーノ本人の部分だけで十分、おなかいっぱいになった。
会場には、ミラノ市内、および郊外のルイーニらの作品を所蔵、展示する美術館や教会を示したパンフレットが用意されている。現地でしか見られない祭壇画やフレスコ画を見に行けたらもっと楽しいだろう。
ベルナルディーノ・ルイーニとその息子たち
ミラノ、パラッツォ・レアーレ
7月13日まで
Bernardino Luini e suoi figli
Palazzo Reale, Milano
10 apr - 13 lug 2014
http://www.mostraluini.it/
25 mag 2014