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ヴェネツィア ときどき イタリア

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第71回ヴェネツィア映画祭・2〜「生きる」ことの難しさ

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人は世につれ、世は歌につれと言うけれど、映画もやはり世相を濃く映し出したものだと思う。
昨年からわずか1年、DV(家庭内暴力)をはじめ、家族内の問題や異常性を取り上げた作品の多かった一年前とはうって変わって、また別の社会問題が大きく影を落としていることに気づく。

経済格差。
恵まれない生い立ち、というほどではないかもしれない。ただ決して裕福とはいえない環境に生まれ育った人間は、どんなに真面目にがんばったところで、そこで留まればまだマシ、何か1つ不測の事態が起こるだけで生活が破綻する。
生きていくためには、あるいはちょっとだけいい暮らしを手に入れるためには、犯罪に手を染めるしかないのか。初めから悪人だったわけではない、だが、自分と自分の家族を守るために、いつのまにか他人を利用し、だまし、殺める、そうなってしまう人の弱さ。

ものすごく不気味で、だが、自分では幸いなことに遠い話と思えたDVと異なり、では、自分だったらどうしているだろう、何ができるのだろう?と考えさせられる。




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夜中のタクシーが1人の女性を拾う。
ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」を思わせる出だし。
イランの現代社会を描いたこの映画はしかし、タクシーは導入のみ。そして全く違う町や場所ではなく、その中の1人ずつを追う形で全く違う話がつながっていく。
そして、イランと言われて構えて臨むものの、ここで語られているのは、決して、独裁政権下で、特殊な環境の中で暮らす特別な人々ではない。DV、年金、失職、自殺未遂、人間関係のストレス、そして腐敗した役人(大臣?)・・・女性の服装こそ違えど、おそらく世界中のどこでも起きている問題ばかり。全く同じ内容で、イタリアで撮っても、日本でも、ニューヨークを舞台にしてもきっと違和感がないだろう。
・・・いやむしろ、これはニューヨークでは、つまらない映画になってしまうのかもしれない。イランというベールに包まれた国もまた、「こちら側」と同じ問題を抱えている、そこにこの映画の「新鮮さ」「面白さ」があるのだろう。

Ghesseha (Tales), Iran, 88’
Rakhshan Banintemad監督
Fatemeh Motamedaria, Peiman Moadi, Baran Kosari, Farhad Aslani, Mohammadreza Forootan, Golab Adineh, Mehdi Hashemi, Atefeh Razavi, Habib Rezaei, Hassan Majooni, Mehraveh Sharifinia, Shahrokh Forootanian, Rima Raminfar, Babak Hamidian, Negar Javaherian

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あのチャーリー・チャップリンが1977年に亡くなったあと、葬られたスイスの墓地から棺が盗まれた事件があったとは、知らなかった。
そんな史実にヒントを得たフィクション。
スイス、レマン湖近くの小さな町。いや、町どころか彼らの暮らしているのはバラックというのか、どこか工場の片隅のトレーラーハウス。
こそ泥を生業とし、一攫千金を夢見るエディはムショ帰り。そんな姿を苦々しく思いながらも、かつての恩人である彼を友人として尊重するオスマンは地味に真面目に、家族を大切に日々を生きている。
つつましい暮らし、ようやく迎えたクリスマス、初めてのテレビで目の当たりにしたのは、映画王チャップリンが亡くなったというニュースだった。それも、莫大な遺産を残して。
「うまいことを思いついた」というエディ。そんな彼の提案を一旦は否定したオスマンの肩を後ろから押したのは、愛する妻の入院だった。手術をすれば完治する、だが、スイスの医療制度の落とし穴で、入院にも手術にも莫大な費用がかかることが判明。妻と、その帰りを待ちわびる娘のために、共犯を決意する。
墓泥棒は、これもまた、映画のストーリーとしては決して目新しいものではないだろう。だが、笑いと涙の中で、普遍的な社会問題をちくりと風刺した、チャップリンという天才映画人へのオマージュにあふれた作品。

La rançon de la gloire, Francia, Belgio, Svizzera, 114’
Benoît Poelvoorde, Roschdy Zem, Séli Gmach, Chiara Mastroianni, Nadine Labaki

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圧倒的な映像美に、しばしばそれが悲劇を語るドキュメンタリーであることを忘れてしまうくらい。
1965年、インドネシアで軍事政権下に起きた大虐殺を「アクト・オブ・キリング(The Act of Killing)」というドキュメンタリー映画で取り上げたジョシュア・オッペンハイマー監督による、同テーマ第2作。

眼鏡屋アディは、検視用眼鏡を持って老人宅を訪ね歩く。レンズのテストをしながら、まるでごく当たりさわりのない世間話のように、かつての悲劇について、彼らに尋ねる。何があったのか。何をしたか、何を見たか。それはなぜか。警察の尋問とは全く違う、おだやかで朴訥な口調で、彼らの記憶をそうっと引き出していく。
まだ自分が生まれる前に、その「共産党狩り」という名の大虐殺で、彼は長兄を殺されていたのだった。悲しみを今でも抱えたままの老母はひっそりと、もはやそんな記憶も薄れかかった夫の介護をしながら生きている。

自分が生き延びるためだったという、だが、罪なき人を狩りたて、収容所に送り、トラックで川縁に運び、より残忍な方法で殺し、捨てる。そのときの思い出をジェスチャーつきで語る人々。「上からの命令だった。だが、軍は殺害には直接手を出さなかった。あくまでも住民同士の闘争としておくために」。

苦々しく事実を認めながらも「過去のことは忘れよう」という男たち。その中で、父や夫の蛮行を知らなかったとしつつ謝罪の言葉を見せたのは女性たちだった。

インドネシアでは今でも、同事件について語るのはタブーであり、このドキュメンタリーに「出演」した彼らは、身に危険が及ぶ可能性すらあるという。
一刻も早く、そんな異常事態から脱することのできるよう、そして今でも世界の各地で起きている殺戮行為が全てなくなるよう、心から願う。

The Look of Silence, Danimarca, Finlandia, Indonesia, Norvegia, Gran Bretagna, 98’
Joshua Oppenheimer監督

(作品画像は、公式サイトより拝借)

71° Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica
27 ago - 6 set 2014
www.labiennale.org

29 ago 2014
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by fumieve | 2014-08-29 15:50 | 映画
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