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ヴェネツィア ときどき イタリア

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第71回ヴェネツィア映画祭・9〜イタリアのインテリ

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ある意味、これも「少年」のカテゴリーに入れてもよかったかもしれない。イタリアの悪ガキ2人、いや19世紀、20世紀をそれぞれ代表するインテリが2人、今回のコンペ部門に登場した。




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「僕はただ、愛されたいだけなのに」。
19世紀前半のイタリア文学を代表する詩人ジャコモ・レオパルディは、1798年、現在のマルケ州レカナーティ(Recanati)の伯爵家に長男として生まれた。厳格な家庭に育ち、とくに教育熱心な父親と信心深い母親の間で、しかし少なくとも、幼少時代は弟、妹と仲良く幸せに過ごしていたように見える。だが、思春期、そして青年期を迎えるころには窮屈な家庭環境、閑静で平和で「皆死んでいる」町からの脱出要求が強まっていく。
脊椎カリエスを患っていたために、大きく曲がった背中と、体の痛みとで、日常生活にも支障をきたしていたが、ナポリ出身のアントニオ・ラニエーリという友を得、フィレンツェで暮らし始める。
選び抜かれた言葉で美しい詩を書くジャコモは、家庭環境や健康状態のためもあるだろう、相当頑固で気難しく、またある意味ひがみっぽい人だったらしい。社交的で明るく、また女にもモテたアントニオは、ジャコモにとって最大の理解者であり、生活の全面的なサポート役でもあったが、ジャコモは彼に対しても、嫉妬を隠せずにいた。
フィレンツェからローマ、そしてナポリへと居を移すも、いやいや病のジャコモにとってどこも安住の地たり得ない。

ジャコモ・レオパルディ本人の手紙と、ジャコモに宛てた手紙、彼の詩の朗読を中心に描いたイタリアの偉人の物語。イタリアらしくロケ中心、それもレカナーティでは本人の家をそのまま舞台に使ったというのだからイタリア文学通にはたまらない作品だろう。
偏屈のせむし男、ジャコモを演じるのは、エリオ・ジェルマーノ。彼がまたすばらしい。2010年にカンヌで俳優賞、そのほか、「終わりは私の始まり」など、ともかく自然な役がうまい。ファンとして個人的には、彼の俳優賞も期待したいところだが、今回は男性の好演目白押しなので、難しいかも。

Il giovane favoloso、伊、137’
Mario Martone監督
Elio Germano, Michele Riondino, Massimo Popolizio, Anna Mouglalis, Valerio Binasco, Isabella Ragonese

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作家、評論家、脚本家、映画監督として活躍、そしてある日、何者かによって殺害されたピエル・パオロ・パゾリーニは、イタリアの映画好きの間では神話的存在。彼の死については、犯人も犯行理由も結局のところ今だ謎のままで、反体制的、かつスキャンダラスな作品で知られた彼自身を皮肉にも象徴している。
そのパゾリー二の最期、1975年11月2日の夜を、これも手紙や作品、友人との会話により再構成。会話が一部、フランス語になったり英語になったりするのは、彼のインテリ性を表しているのか?と思ったが、そうではなくて、あくまでもイタリア系だが英語を母国語とするアベル・フェッラーラ監督と、パゾリーニを演じるウィレム・デフォーが完全に自分たちの映画とするため。なので、イタリア公開時にはすべてイタリア語に吹き替えになるらしい。

本人の作品を挿入しつつ、全体がモノクロ気味に撮られているのが時代を思わせる。同じインテリながら、ロマン主義のレオパルディの映画はロココ調なら、パゾリーニのそれはポストモダンと、全く違うタイプの作品になっているのがまた興味深い。

Pasolini、仏・ベルギー・伊、87’
Abel Ferrara監督
Willem Dafoe, Riccardo Scamarcio, Ninetto Davoli, Valerio Mastandrea, Maria de Medeiros, Adriana Asti, Salvatore Ruocco

6 set 2014
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by fumieve | 2014-09-06 18:33 | 映画
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