当時はまだオーストリアだった、トレンティーノ地方アルコで生まれ、わずか8歳で両親を失ったジョヴァン二・セガンティーニ。貧困の中で育ち、書類上の手違いでイタリア市民権を取ることもできずにいたジョヴァンニが、絵に出会ったのはほんとうに幸運なことだったと言えよう。
ミラノの工房で丁稚をしながらブレラに通い、1879年、21歳のときにブレラ国内展で展示した「聖アントニオの合唱席」で大きく評価される。
ナヴィリオ地区を描いた風景画や、「昔の画家」と「現在の画家」のペア作品など、やはり単純に言ってうまいなーと思うし、きれい。だが正直のところ、その当時の印象派的な絵画から大きく抜きん出たものとは思えない。そしてそれは、初期の肖像画にも同じことが言える。
最初にがつんときたのは、「グリゾンの衣装の娘(Costume grigionese)」。太陽の光をいっぱいに浴びた、金色に輝く芝は細かい絵筆で一本一本描かれ、それを背景に無心に水を飲む民族衣装の少女。セガンティーニの「らしさ」がここで確立している。
陰りのない山の風景とふつうの人々の日常。のどかで静かな絵、なのに、その中で渡る風にそよぐ草、そして少女が喉を鳴らす音が聞こえてくるかのようなリアル感。
そして、「死の床にある男の肖像(Ritratto d’uomo sul letto di morte)」。まるで花嫁衣装のような、はっとするほどの白のシーツと枕にくるまれ、花を添えられた男の顔の色つや。「グリゾン」とは逆に、太い筆で大胆に埋められた顔は、そういえば色ガラスで作ったモザイクのよう。いや、「グリゾン」ほか、セガンティーニらしい細かい筆致の作品も、いってみればまさにモザイクのようなもの。色を面で混ぜずに、面を細かい色で分割するために、独特の発色が保たれる。
やがて、雄大な自然の中に、山や畑に暮らす人々の日常生活を描いた、単に風景画の中にちりばめられたその他の要素というわけではなく、あくまでも彼らを大きくクローズアップしたセガンティーニ・ワールド全開に。
最初のハイライトは「海を渡るアヴェ・マリア(Ave Maria a trasbordo, 2a edizione, 1886)」。
手つきのカゴのような枠のついた舟、本来は羊専用なのか、ぎっしりと羊の乗るその舟のはじっこにそっと場を借りる母と子。やがて上る日の光と、水面に映る彼らの姿と、大きく、何重にも広がる円の中にいる彼らは、完璧な静寂の中にいる。羊飼いは居眠りをしているようにも見え、さきほどまで聞こえた、櫂を漕ぐ音すら今はしない。
これは実際には、「グリゾンの衣装の娘」や、先に見たいくつかの牛たち先立つ作品。つまりこれが、彼の金字塔にして出発点、といったらいいだろうか。
同じ部屋に、素描などのヴァリエーションもいくつか出ているが、これはもう文句なしに、この油彩がいい。
セガンティーニの場合はしばしば、油彩作品の下絵としての習作だけでなく、一度キャンバスに絵を描いたあとも、同じモチーフの習作を繰り返したらしい。
彼の代名詞と言ってもよい「牛」。牛と人との密接な関係は、「2つの母(Le due madri)」まで昇華される。
もう1つのセガンティーニのテーマは、その母としての女性に加え、働く女性。働く男性もいないわけではないが、印象的なのは圧倒的に、男性と同じように、畑で、山で働き、家で働く女性たちの姿。
大自然の中で黙々と働く人々を描いた彼の絵に、音は少ない。吹き抜ける風にそよぐ草原、あるいは仕事を終えた女性が黙々と、雪の上をそりを引く音。その最低限の音がかえって効果的に響く。
また、抑えた音の代わりにというのか、その分濃密に沸き立ってくるのが、匂い。陽をさんさんと浴びた山の草、牛小屋の藁、牛、雨のあとのぬかるみ・・・。
ミラノで絵を学び、スイスの山でアイデンティティをみつけたセガンティーニの「ミラノ帰還」。ミラノのドォーモ脇という町のど真ん中に、さわやかな山の空気を持ち込んでいる。
(画像は、http://www.arte.rai.it、http://www.artribune.com/、 http://diarteedibellezza.wordpress.com/ より拝借した。)
ジョヴァン二・セガンティーニ ミラノへ帰る
ミラノ、王宮
2015年1月18日まで
Giovanni Segantini. Ritorno a Milano
Milano, Palazzo Reale
18 set 2014 - 18 gen 2015
http://www.mostrasegantini.it/
5 ott 2014