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ヴェネツィア ときどき イタリア

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フィンツィ・コンティーニ家の庭

Il giardino dei Finzi-Contini
Giorgio Bassani

フィンツィ・コンティーニ家の庭
ジョルジョ・バッサーニ

猛暑を言い訳にここ数日、ほとんど家に引きこもっている。
で、いい機会だから、まとめて本を読むことにした。日本語の本は、読み始めればすっと入り込んで集中できるから、何かの待ち時間だの、電車の中などで読むのにちょうどいい。イタリア語は、読むこと自体に相当集中力を要するから、イライラするようなときに読むのは難しい。電車とか、周りが煩いところでもダメ。
それにしても、本をたくさん読む人、というのは頭も時間もどうなっているんだろう?

さて、これは以前、「私でも読めそうなお勧めのイタリア文学作品は?」と聞いて勧められて買ったものの、やはり手をつけられずにいた本。
知らない単語はたくさんあったし、セリフなどの部分で方言やラテン語などが混じっていたりしたし、そういうところは読み飛ばしていたので、どのくらいきちんと理解できたかは不明。だが、最初にとっかかるのは多少苦労したが、途中から、流れを掴んでからは一気に読んだ。

第二次世界大戦前そして戦下のイタリアの地方都市、フェッラーラ。そのユダヤ人社会で、この物語は展開する。もうそれだけで、だから最初からやりきれない重苦しさと悲しさが根底に静かに流れている。だが、あのおぞましい事件は、枠組みとして、背景として確実に存在するが、直接には語られていない。表で、この本を貫いているのは、「私」というごくふつうの1人の若者の、切ない恋の物語。普遍的なテーマが歴史的悲劇と折り重なる。思いがつのる、かなわぬ恋、そしてひたひたと背後に忍び寄る恐怖。意外な結末。
私にとって、個人的に多少なりとも身近に感じたのは、「私」の恋焦がれる相手が、ヴェネツィアの文学部を卒業すること。ヴェネツィアの記述は回想を含めほんの少しに限られるが、それでもいろいろな地名はどれも馴染みがあるし、町の描写にもうなずける。そして何より、卒業するときの様子が、70年近くたった今もほとんど変わっていないというのも、おかしい。

著者、ジョルジョ・バッサーニは20世紀イタリア文学を代表する作家の1人。略歴をみると映画の脚本等でも活躍した、とあり、確かにヴィスコンティ監督作品などに名が挙がっている。
同著も、ヴットリオ・デ・シーカ監督により、映画にもなっている。私は実際の作品を見ていないが、あらすじを読む限り、肝心のところが微妙に原作と変えてある模様。わかりやすくなってしまっているようなので、先にこれを見てしまうと、本を読むときのドキドキ感が多少失われるだろう。本を読んでみたい人は、先に映画を見ないほうがいいと思う。

夏休みに、お勧めの1冊。

30 lug 2007
by fumieve | 2007-07-31 06:29 | 読む
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