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ヴェネツィア ときどき イタリア

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イタリアの見た日本人7・番外編:ない袖は振れぬ?2

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イタリアの見た日本人:これまでのお話

6・番外編:ない袖は振れぬ?
5・ヴェネツィアが失くしたもの

4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

Quattrocento(クアットロチェント、400)、すなわち15世紀の間に大流行した垂れ袖だが、Cinquecento(チンクエチェント、500)16世紀に入ると急にその姿をひそめてしまう。
15世紀に、特に「東方三王の礼拝」で豪華でさまざまなタイプの垂れ袖が描かれていたのは、前回紹介したとおり。それは何よりも、東方といえば、香辛料などのほかに豪奢な生地でも知られ、特に東方三王は裕福の代名詞でもあるからだが、ここでもう1つ、面白いことに気がついた。
16世紀に入ると、数はぐっと減るもののやはり「東方三王」に垂れ袖を見ることができる。

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たとえば、ヤコポ・バッサーノ(1562年、ウィーン歴史美術館蔵)では、聖母子の前に跪く最年長者メルキオール。その後ろに控える、バルダッサールは黒人として描かれており、ターバンに、長い垂れ袖を背中に回し、どうやらベルトにはさみこんでいるよう。

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あるいは、大ピーター・ブリューゲル(1564年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)では、三人三様、かなり独特の格好をしているが、やはりメルキオールが長い垂れ袖を地に引きずっている。
ロンドンではもう1つ、Bartholomaeus Spranger(1595年ごろ)でも同じような形を見つけた。

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つまり・・・同じ東方三王の中でも、15世紀中に垂れ袖を身につけていたのは、最年少者ガスパールと、せいぜい中堅のバルダッサールだったのが、16世紀に入ると最年長者のメルキオールが中心になる。
若者は最新の流行を追い、年長者は服装も保守的になるのは、古今東西どこも同じ。家族の肖像画の中では、だから父と息子、母と娘でスタイルが違うのはよくあること。これは結局、16世紀には垂れ袖はほぼ流行遅れになっていたということを示している。

が、もう1つ。東方三王以外で、わずかに見かけた垂れ袖の例を集めてみると、

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ジョルジョーネ「幼子モーゼの炭の試練」(1500-01年)、左端の玉座に座るファラオは、後ろに垂らした袖が床に届くほど長い。

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シエナ大聖堂内のピッコローミニ図書室、ピントリッキオによる「エネア・シルヴィオ・ピッコローミニ物語」のうち、例えば「アンコーナにおける法王ピオ2世の十字軍開始宣言」(1505-07年)の中、足元に跪くターバンを巻いた男性は、垂らした袖を優雅に腕に巻きつけている。

少し時代が下って、ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「水から救出されたモーゼ」(1530年ごろ)では、両腕を広げて幼子を受け入れるポーズのファラオの王女の後ろに控える、ちょっと不思議な格好で完全に回りから浮いた男性が垂れ袖を腕に巻いているが、よく見ると垂らした部分の下の方にも開口部があり、この部分だけ見ると実は、悩ましい少年使節団のヴァチカンのフレスコ画の袖にとてもよく似ている。

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そして、ヴェネツィア、スクオラ・ディ・サンロッコ内、ティントレットの「十字架降下」。たくさんの登場人物がいるが、右下、白馬に乗った、赤いターバンの男性を見ると、両袖を後ろに回し、袖同士をくるりとひっかけている。肌の色は完全に黒。

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すなわち、イタリア各地であれだけはやった垂れ袖も、16世紀に入るとそれを身につけているのは、東方三王は言うに及ばず、それ以外も全員「東方の外国人」。

ハタ!と気がついてもう一度、チェーザレ・ヴェチェッリオの「世界の古今の服装」(第2版、1598年)を見に図書館へ行った。1ページ1ページ、全部の挿絵を見る。お尋ねものの垂れ袖はいくつも登場するが、それはすべて、「昔の服装」または「外国人の服装」だった。特に1つ、象徴的だったのは、「貴族のホーム・ウエア」。「この時代に利用されるようになった『東洋風』の上着は、ゆったりとして、かつ、しばしば肘のところが開口しており、そこから腕を出せるようになっている」。

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少年使節団のあの袖、彼らがほんとうに身につけていたのかどうかは疑わしい。が、あれが「東方からの人」の象徴だったのだ・・・。

その後すっかり姿を消す垂れ袖だが、再び目にしたのは、W.Bruhn, M.Tilkeによる「各世紀の服装。欧州外を含むすべての時代、民族の服装の記録」というやはり世界服装図鑑(1945年)。

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「トルコ、1800-1825」、「西トゥルキスタンとアジア域ロシア」などに、垂れ袖、穴あき、後ろ縛り・・・などの例を見ることができる。
欧州では廃れた垂れ袖だが、広く東方、アジア一般では19世紀まで使われていたということになる。

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(続→8・「アジア」の姿


26 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-27 07:28 | 卒論物語
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