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ヴェネツィア ときどき イタリア

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イタリアの見た日本人9・ローマ再び~支倉常長像

イタリアの見た日本人:これまでのお話

8・「アジア」の姿
7・番外編:ない袖は振れぬ?2
6・番外編:ない袖は振れぬ?
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5・ヴェネツィアが失くしたもの
4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

ローマ市内、アウグストゥス初代皇帝の「平和の祭壇」(Ala Pacis)のすぐ近く、ボルゲーゼ館(Palazzo Borghese)に、1枚の大変貴重な絵がある。

天正使節団の少年4人が、日本帰国後あまり幸福とは言えない結末を迎えたのは知られた事実だが、にも関わらず、その30年後には再び日本からの使節が欧州を目指す。
メキシコ経由で渡欧した支倉常長一行は、1615年、イタリア半島に到着する。少年使節団が、あくまでもイエズス会による日本人信者のローマ法王訪問であったのに対し、支倉の慶長使節団は、通商目的で派遣された正式な公使であった。
新大陸、メキシコとの通商許可を求める日本側の要望に対し、スペイン王からも、ローマ法王からも結局いい返事が得られなかった支倉だが、欧州各地での歓迎ぶりは少年使節団に負けず劣らず。前回同様、たくさんの記録が各地に残された。
前回と違うのは・・・結局1人1人の肖像が存在しない、または失われている少年たちと違い、支倉常長については、少なくとも2つ、その肖像が残っていること。
ボルゲーゼ館と、クイリナーレ宮(Palazzo Quirinale)。

ボルゲーゼ館にある「支倉常長像」。個人蔵で、通常は一般非公開。が、やはり直接この目で見たい。ローマの美術監督官に問い合わせるがなしのつぶて。こうなったら・・・と、直接連絡先を調べ、わかったことは、その絵は建物内にはあるはず。だが、今はある協会の事務所となっている部屋に掛っており、建物の所有者といえど、そこには勝手に入ることができない。つまり、そこに近づくにはいくつもの許可が必要、すなわち、ほぼ不可能、ということらしい。
そこへ知人から、こんなのありますよ、とメッセージ。2007年2月中旬から、ローマの日本文化会館で
天正・慶長遣欧使節とその時代展
日本とイタリア最初の出会い 美術作品とその証人たち

という展覧会が開かれるらしい。文化会館に事情を説明すると大変丁寧に回答をいただき、特別に出展作品リストも送っていただいた。なんと、あの「常長像」が含まれている!!!

ところが、この時点、2007年1月初旬の段階で私は、同2月卒業をぎりぎり目指していた。展覧会が始まるのは、残念ながら卒論提出締め切り後。幻の「常長像」は写真資料で我慢するしかないか・・・。
・・・が、そうこうしているうちに、2月卒業を断念、6月に延期せざるを得ない状況になってしまった。実はその数カ月の違いで、学費が1年分変わるのでほんとうに苦しい決断だったが、できないものはできない。・・・そうだ、きっと、常長がやっぱり本物に会いに来い!と言っているんだ・・・と思うことにする。

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縦196cm、横146cmの大きな油彩。ほぼ等身大と言っていいだろう。ずっと個人の館にひっそり置かれていたからだろうか、保存状態のとてもいい、きれいな絵だ。深紅のカーテンの前に構えて立ち、その向こうには開いた窓から、本人が乗ってきたものと同等と思われる船が見える。足元には忠誠を示す犬。典型的な肖像画のスタイルだが、そのいかにも東洋人的な顔つき、そして、着物(風)の衣装が目を引く。
刀に脇差しは、西洋人たちにとっても期待通りの姿。が、左手薬指にはめた大きな色石の指輪は、もちろん西洋風だ。
そして、大変不興味深いのはその足元。草履をはいているのには間違いないのだが、足の指から甲にかけて、鮮やかな植物模様が描かれている。刺繍入りの足袋なのだろうか?とも思うが、足袋にしては足の指、1本1本がかなりくっきり見えている。

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それにしてもなんと派手な着物だろうか?

よかった。やっぱり本物を見てよかった。

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時のローマ法王はパオロ5世。そのお抱えのフランス人画家、Claude Deruetが、日本人大使の肖像画を依頼された、との記録もあることから、そのDeruetの作品とされる。いや、現在、仙台市博物館所蔵の支倉常長像、白いレースの襟と袖のついたスペイン風の黒い服をまとい、十字架の前で手を合わせる常長半身像がDeruetの作品で、ボルゲーゼの全身像の作者は別、とする説もあったが、現在では、Deruetによるものとしてほぼ確定している。




文化会館のこの展覧会、ひょっとして私のために開かれたの?というくらい、タイムリーだった。何より、この肖像画を自分の目で見ることができたのは、なんとラッキーなことだろう!!!

(続)10・大統領官邸の支倉常長

7 luglio 2008
by fumieve | 2008-07-08 19:18 | 卒論物語
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