第11回 建築ビエンナーレ 日本館
コミッショナー
五十嵐太郎 (建築批評家/東北大学准教授)
参加作家
石上純也(建築家)/大場秀章(植物学者)
少しぬかるんだ階段を数段、お隣の洋館の中庭のような、あたたかな空間に出会い、思わず微笑んでしまう。
昨日、今日と、時折激しい雷をともないながら、かなり本格的に雨が降り続いたあと、午後になってようやく晴れ間が見えたので、再び写真を撮りに戻ってきた。
EXTREME NATURE: Landscape of Ambiguous Spaces。
ジャルディーニ会場内、既存の日本館はこじんまりとしたミニマムな建物。今年は、そのまわりに大小4つのガラスの温室を建てた。ジャルディーニ(Giardini、公園)の名の示す通り、もともと緑の多い公園の中にあるようなこの会場だが、大きな木々の間に、そのままなじむような温室を作り、その内外にさまざまな植物を植えてある。
温室と言っても、完全密封ではなく、空気を通すために開いている部分があるから、あの雨が相当吹き込んだのではないかと、実は心配して見にきたのだが、腐葉土と植物の威力はさすが。水たまりを作るどころか、たっぷりの水をすって、そして今太陽の光を受けて、また一段と生き生きしている。
土と緑の匂い、控えめながら色とりどりの花と葉の色を堪能しつつ、中へ入ると、そこは一転して白の世界。建物全体、ぜいたくにも完全に空洞だ。いや、完全にからっぽに見える白い壁一面に、さまざまな「グリーンハウス」が描かれている。鉛筆で、手描きで。
その細かさに、誰もが眼を見張り、圧倒され、そしてその絵の楽しさに引き込まれていく。
高い木々の中に建つ、せいたかのっぽのhigh-rise house。森の中のforest city。水の中に直接建物の建つpond cityはまるでヴェネツィア!?心身ともにほんとにリラックスできそうな、bath in a garden、壁中が緑に覆われたplant buildings・・・。
簡単なカメラではきれいに撮影できず、絵を紹介できないのが残念だが、ほんとにできればぜひ、実際に見に来てほしい。
裏口から出ると、目の前の温室に絡まるツタが見事。そして、小じんまりとした安らぎの空間がまたそこに。
室内外の対比の面白さ、双方の繊細な美しさ。
この日本館を評するのに最もよく用いられる言葉が、「洗練」。面白いことに、先日の源氏物語のシンポジウムでも、頻繁に使われた単語がやはり「洗練」だった。
土と植物という自然、手描きという古来の手法は、一見、「洗練」からは最も遠い言葉のように思える。最高のテクノロジーを持っているに違いない日本による、そんなアナログの意外性。
海を、津波を自然の脅威として見る欧米人に対し、「自然は人間が制覇するものではなく、共生していくべきもの。海は来て、また帰っていく。」と答えたのは、アニメの巨匠の宮崎駿監督だった。自然を刈りこんで抑えこむのではなく、その姿を愛で、何かを得る。源氏の時代、いや、古来より日本では当たり前だったこと、それがここで、わかりやすい形で提示されているように思う。
CGを捨てて、すべて鉛筆で行こうと決めた、という「崖の上のポニョ」は、先日の映画祭の中でも異色の存在だったが、壁を鉛筆描きで埋めたこの日本館もまた、多くのパビリオンの中で静かに個性を際立たせている。全く違う方向性ながら、いずれもファンタジー色が強いのも、偶然の一致ながら興味深い。
映画と違って、たった1つしか賞がないから、残念ながら金獅子は取れなかったが、実際、来館者の評判はとてもいい。新聞でも好評で、今日(14日付け)のIl Gazzettino(イル・ガゼッティーノ、ヴェネツィアの最大地方紙)では、国別パビリオンの紹介で、見出しを「ワルシャワから東京まで」として、金獅子のポーランド館と、並べて日本館を紹介していた。
芸術は、あんまり先に行ってしまうと誰も理解できない。また、100近い大小さまざまな展示がひしめくなかで、難しいものは敬遠される。この日本館は、誰にもわかりやすく、それでいてちょうどいいところで、ちょっと先を行っているように思う。
14 settembre 2008