ブログトップ

ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

大きな歴史の小さな町、グラディスカ・ディゾンツォ

a0091348_21484376.jpg


Gradisca d’Isonzo(GO)

小さな小さな町並みを縁取る城壁に、おなじみの、ヴェネツィアのライオンのマークがついていた。今やすっかり緑に覆われた、小柄だがかつては堅牢であったことを思わせる城壁。

別の場所には、ハプスブルグ家のものと思われる、双頭の鷲。

a0091348_21424580.jpg


フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州、スロヴェニアと国境を接する町ゴリツィアから10kmほど南西へ少し戻ったところにある、グラディスカ・ディゾンツォ(Gradisca d’Isonzo)。イゾンツォ(Isonzo)は、スロヴェニアに水源を持ち、トリエステ湾に流れ込む川の名前。

Wikipedia(イタリア語版)によると、グラディスカの語源は、おそらくスロヴェニア語の
「城砦」から。または、ゴート族あるいはロンゴバルド族の言葉で「小さな観察地点」からラテン語の影響を受けて、現在の音になった、とも。

a0091348_21441132.jpg


歴史上、記録に初めて登場するのは1176年。7家族による農業地帯であったのが、1473年、ヴェネツィア共和国に吸収される。

a0091348_2150375.jpg


1500年には、レオナルド・ダ・ヴィンチが、その防衛設備設計のため、ヴェネツィア共和国より派遣されてここに滞在している。(城壁の門の脇に、ダ・ヴィンチの胸像がひっそりと隠れるように置かれていたのだが、うっかりと写真を撮るのを忘れてしまった。)

a0091348_21522785.jpg


が、そのヴェネツィア支配下にあったのは短く、1511年には、オーストリア帝国の手に渡る。
ヴェネツィアは奪回を計るも果たせず、以後、自治などの期間ももちながら、1754年、オーストリアのマリア・テレジア帝の下で、隣のゴリツィアと併せ、ゴリツィア&グラディスカ皇帝領となる。
1855年、当時、北イタリアを統治していたオーストリアのラデツキー将軍により、要塞を破壊、1863年より一種の「緩衝地帯」となった。(?・・・ここの記述、よくわからなかったので、もし誤りの場合は指摘ください)
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、グラディスカの住民は、オーストリア・ハンガリー帝国の部隊として出動。
・・・つまり、1866年のヴェネツィア(現ヴェネト州~フリウリ州の大半)の統一イタリアへの統合どころか、1919年トリエステ併合時にもまだ、イタリアに入っていなかったということになる。
1921年、ようやくイタリアに併合されるものの、第2次世界大戦終了時には、ふたたびチトーのユーゴスラヴィアへの併合が心配されたが、2国間の協議により、イタリアにとどまった。

a0091348_21412250.jpg


現在のグラディスカは人口7000人に満たない小さな町。大きな観光地でもない土地なのに、歴史をひも解くと、ビッグ・ネームが次々と登場するのに驚く。町1つ違えば、背負う歴史の違うイタリアの町の好例かもしれない。
10分、15分もあればまわりきれてしまう町の中央(チェントロ)より大きいくらいの、緑豊かな公園と並木道が印象的。港町特有の雑然とした雰囲気のトリエステよりもずっと、「ハプスブルグ」的な香りが漂う。
そんな小さな町なのに、その緑に面して、おしゃれなカフェが並ぶのは、20世紀初頭、カフェ文化が栄えたという名残だろうか?

a0091348_21455872.jpg


9 giu 2009
[PR]
by fumieve | 2009-06-10 07:39 | ほかのイタリア
<< 第53回ビエンナーレ国際現代美... 究極エコな組み立てアート、「ロ... >>