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ヴェネツィア ときどき イタリア

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国境の町、ゴリツィアのカステッロ

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Castello di Gorizia

ウディネのように、町のすぐそこに岩壁が迫っているわけでもなく、ゆるゆるとなだらかな稜線に囲まれているだけなのだが、この町が、夏の間も、とくに周りに比べて雨が多いのは「山が近いから」と地元の人は言う。
緑が、しっとりと深く濃く見えるのも、その雨のおかげなのだろう。実は、今朝も曇り空で、一時雨が降っていたのだが、お昼すぎからこの青空になった。こうなると、ヴェネツィアとは全然違って、雨上がりとは思えぬ、まったく湿気を感じないさらさらの空気。

町の中心地から、ぽっかり浮かんだところに見えているゴリツィアのカステッロ(castello、城)。

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さわやかな青空と、妙に整備された城砦公園は、なんだかイタリアとは思えない。それもそのはずで、ここはもうすぐそこに、スロヴェニアとの国境を擁している。どちらがスロヴェニアだろう?と思いつつ、城壁の上からのパノラマを楽しむ。

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風になびく三色旗をながめながら、ああ、それともやっぱり、この青空はイタリア、だろうか?・・・とあらためて思う。

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その目的を失った砦は、つたにびっしり覆われている。

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だが、よく見ると、おだんごのように積まれた石の砲丸が。

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ここに城砦ができたのは、おそらく11世紀から。ただし、その後、いく度もの手が加えられている。

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1500年、ゴリツィア最後の封建領主レオナルドの死後、この地はハプスブルグのオーストリアに吸収される。1508年、ヴェネツィア共和国の手に落ちるものの、1年で再びオーストリアへ。兵舎および牢獄として使用されていた城も、17世紀には中世の面影をほぼ失う。現在の砦は18世紀初めの設計によるもの。

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ちょっと面白いのは、城門にヴェネツィア共和国のシンボル、羽根つきのライオンが貼り付けてあるのだが、これが取り付けられたのは、なんと、ヴェネツィア共和国がなくなってから1世紀以上もあとの、1919 年のことだという。
というのも、1509年に、ヴェネツィアからこの彫刻が届いたときには、ゴリツィアはすでに再びオーストリア帝国の手に落ちていたため。
時代は下り、1861年のイタリア統一、1866年ヴェネツィア併合ののちも、ゴリツィア・グラディスカ伯領として、オーストリア帝国の下に残されたのち、第一次世界大戦中は、まさにイタリア対オーストリアの激戦地となる。
1918年にヴェネツィア統治下に入ったときに、くだんのライオンが取り出されたことになるが、お城自体はその戦争中に爆撃を受け破壊され、1934-37年に再建されている。

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簡単にはくくれないイタリアの歴史の、舞台の1つ。
そんな激しい過去が嘘のように静かな、人のほとんどいないお城で、次々と形を変える雲が面白くて、必死にカメラで追う。

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で、帰ってきてからこうして写真を整理しながら、ちょっとした失敗に気がついた・・・(涙)。
(続)

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8 luglio 2009
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by fumieve | 2009-07-10 07:47 | ほかのイタリア
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