(この原稿は、数年前にまとめたものに、加筆・訂正を加えています)
「モザイクの旅」シリーズ
前回:
ラヴェンナ~春・1 サン・ヴィターレ教会
サン・ヴィターレ教会の、すぐ隣に接するようにして建つのが、ガッラ・プラチディア廟(Mausoleo di Galla Placidia)。小さな小さな、といってももちろん一人の墓廟としては、十分あまりある大きさの、十字型の建物である。もっとも、西ローマ帝国崩壊直前、皇女であったがために三度も嫁ぐこととなった、歴史の大きな流れに翻弄され続けたガッラ・プラチディア本人は、ここには埋葬されていないという。
中に入ると、丸ごと、まるで宝石箱のよう。深い青い空、満天に星が輝く。
4人の福音書家のシンボルである動物たち、すなわち、ライオン(聖マルコ)、鷲(聖ジョヴァンニ)、牛(聖ルカ)、天使(聖マッテオ)が、四方の角から見下ろす。静かで穏やかで、天に祝福された、夜。
初めて来たときには、そういえばここで幼稚園か小学生1年生くらいのグループとかちあった。4人の聖人のシンボルを、先生に「知ってる?」と聞かれて、みんな競うように手を挙げて答えていた。図像を使うキリスト教は、こうして小さいうちから徐々に宗教教育されていくんだな、と感心した。
先日の9月27日(日)は、ちょうど欧州文化遺産の日にあたり、ふだんは見られない歴史遺産が特別公開になったり、各地の美術館も入場無料になったりしたためだろう、ラヴェンナの町の中の観光地は、おそらく、いつも以上に団体客であふれかえっていた。
狭い空間に無理矢理入ってくるグループ、大きな声のガイドに辟易としたが、そんな団体さんたちは、入って、またあっという間に出ていく。我慢して、団体と団体の合い間に、しばしふっと人が少なくなる瞬間を待った。いくら本人が眠っていないとはいえ、霊廟や聖なる空間で、ガヤガヤはいただけない。
もう1つ、前回ととても違っていたのは、もはや誰もがデジカメを持って、みんながみんな写真撮影に夢中になっていること。8年前には、日本から持ってきたFuji Finepix 40(だったか?)、ともかくまだデジタル・カメラというのがイタリアでは普及しておらず、カメラを構えて写真を撮っていると、物珍しく液晶画面をのぞきこまれた。
今やどこに行っても、写真を撮るために見学に行ってるのか?というくらい、みな、デジカメやケータイでの撮影にせわしない。人のことは言えないのだが・・・。
デジカメの普及によって、観光地の写真撮影はどうやら日本人の専売特許ではなくなったようだ。
本題に戻ろう。
正面の、火あぶりの刑で殉教したという、聖ロレンツォの絵はその生々しさに驚く。
だが、その反対側にはまた、「よき羊飼いキリスト」。平和な空間だ。
永遠の眠りを意識しているのだろうか、夜の闇、深い青がその空間を占めるこのガッラ・プラチディア廟は例外として、ここラヴェンナのモザイクの特徴は、全体の色調を、緑色が占めていることだろう。人の背景が金地でも、足元には緑が多く、花が咲きみだれる。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂などの、黄金のモザイクとはまた違い、目にとても優しく映る。一時はローマ帝国の首都でもあったとはいえ、現在のこの小さな静かな街並みに、しっくりくる。キリスト教と、ローマ皇帝という二つの大きな勢力が結びつき、最初に花開いた美術表現だったのだろう。その緑といい、自然、あるいは背景の建築物、小物といった詳細の描きこみも、こまやかで瑞々しい。
すでにサン・ヴィターレ教会でも見たように、キリスト自身の像もまだ、この時代以降ビザンツで生まれやがて定着していく、荘厳、絶対、万能の神の姿ではない。ひげのない若者の姿、あるいは、迷える子羊たちを従える、羊飼いの姿で描かれている。弾圧、迫害の初めの数世紀を乗り越え、正式の宗教として認められやがて国教として制定されて間もないキリスト教という宗教そのものの若さを表しているようでもある。
(続)
29 settembre 2009