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ラヴェンナ~春・6 サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ

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(この原稿は、数年前にまとめたものに、加筆・訂正を加えています)
「モザイクの旅」シリーズ
第1回:ラヴェンナ~春・1 サン・ヴィターレ教会
第2回:ラヴェンナ~春・2 ガッラ・プラチディア廟
第3回:ラヴェンナ~春・3 サンタアポッリナーレ・イン・クラッセ
第4回:ラヴェンナ~春・4 サンタンドレア礼拝堂
前回:ラヴェンナ~春・5 ネオニアーノ洗礼堂

ラヴェンナのモザイク、もう少しお付き合いいただこう。

ラヴェンナは、数世紀の間に何度もその支配者が変わった。それは、民族的、政治的な変化だけではなく、宗教面でも大きな変化を伴なった。ローマのように異教からキリスト教へ、というのではない。この時期、次々とやってきた蛮族とも呼ばれる、ゲルマン民族は、たいていは既にキリスト教徒であった。ただし、ローマ教会からは、異端と断定された、アリウス派だった。
三位一体、すなわち、父なる神と聖霊、そして神の子イエスもまた神であり、この3者が一体だとする主流派(アタナシウス派)に対し、エジプト・アレキサンドリアの司教アリウスの主張したのは、神と神の子は別であるとする、唯一神。つまり、神の子イエス・キリストは、神ではなく、人間であるとしたアリウス派は、325年、ニケア公会議で正式に異端とされ、駆逐されていく。
教義の違いというのはしばしば、むしろ異教徒との間より熾烈な争いを生む。また、教会に描かれる絵には、実はたいがいそれぞれの立場で、その主張が強く織り込まれていく。




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サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ(新・聖アポッリナーレ)教会は、6世紀前半、東ゴート族の王、テオドリーコによって建造された。しかし半世紀もたたぬうちに東ゴート族はこの町から追われる。こうして当初はアリウス派として立てられた教会は、ローマ教会へと改宗、改造させられることになる。現在の名を冠するようになったのはさらに時代が下って、9世紀に同聖人の聖遺物がクラッセの大聖堂からここへ移されてからのことである。

そこでも最も目をひくのは、両脇から後陣まで、まるで色鮮やかなタペストリーのようにその壁を覆う、モザイクだろう。なにしろ、貢物を捧げる聖人、聖女が、いったい何人いるのだろう、両側ずらりと列をなしている。残念ながら、今年の9月末には左半分が修復工事中で幕に覆われていたが、それでも十分その迫力は味わえる。

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ちなみに聖人たち、聖女たちもその人数に圧倒されるのだが、このモザイクの中で、おそらく最も有名人なのは間違いなく、聖母子に参拝にかけつける「東方3博士」たち。以前、「卒論物語」の中でもちらりと触れたが、キリスト教で描かれるいくつもの「場面」のうち、とくに「東方三博士の礼拝」の図は、三博士、または三王が豪華な衣装を身につけているのが特徴。当時の貴族階級などの流行の服装をしていることもあれば、かなりファンタジーがかったものもあるが、当時の服装やその装飾品などを知る、いい手掛かりとなる。

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ここでは3人とも、ショート・パンツにド派手なタイツ。豹柄に水玉、そして唐草模様・・・!?

最上段、縁どりのように連なるのが、キリストの物語、それは遠すぎて、高すぎて、オペラグラスでもないことには、ちょっと見えにくい。

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窓枠のアーチの部分もモザイクが残っており、それが窓ごとにモチーフが違う。

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ここでもう1つ有名なのは、「手」。
円柱の間に、カーテンがくるっと巻かれている、一見ただの背景画のような図だが、よく見ると、柱の上に人間の手らしきものが浮いている。まさか亡霊?いや、残念ながらそんなコワイ話ではない。円柱の間に、元は聖人が描かれていたと思われる。宗派が変わったときに、そこにいたのは、おそらくローマ教会にとっては好ましくない聖人だったのだろう。あわれそのその聖人たちの姿ははがされ、何事もなかったかのように金色で埋め直された。ところが、うっかり見落とされたのだろうか、忘れられたのだろうか、柱にかかっていた手の一部だけが、そのまま亡霊の影のように、残ってしまった。

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美術品の時代特定が難しいのは、その昔、支配者やコミッショナーが代わるたびに、その顔の部分がすげかえられたり、あるいは主義主張の違いで、こうして詳細が修正されたり、というのが、ごく普通に行われていたから。たまにはこういうミスもあったりする。

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10 novembre 2009
by fumieve | 2009-11-11 07:32 | モザイクの旅
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