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ヴェネツィア ときどき イタリア
fumiemve.exblog.jp
2008年 03月 26日
  • イタリアの見た日本人・1 「日本の若者」
    [ 2008-03-26 08:24 ]
イタリアの見た日本人・1 「日本の若者」


"Giovane giapponese" negli Habiti antichi et moderni di tutto il mondo di Cesare Vecellio, 1598

16世紀末、ヴェネツィアで発行された「世界の古今の服装」という書物に、「日本の若者」と題した絵が登場する。
活版印刷を発明したのはドイツのグーテンブルグだが、その技術が伝わるや否や、ヴェネツィア共和国では出版業が大きく発展する。書物といえば羊皮紙だった時代の名残りで、印刷技術が使われるようになっても大型の豪華本があたり前だった時代に、今でいう「文庫本」、持ち歩き可能な手軽で経済的な本を考えだしたのが、アルド・マヌンツィオというヴェネツィア人だったのは、いまだにヴェネツィア人の自慢。
ときはルネッサンス全盛期。ギリシャ、ローマの古典から、新しい書物まで、特にローマ法王庁と一線を画していたから、法王のお膝元では発行禁止扱いの内容でも、ヴェネツィアに来れば出版できるというので、ヨーロッパ中のインテリが原稿を持って集まった、という。
もともと資源を持たないヴェネツィアにとって、書物という知的財産による産業は、うってつけの「町興し」だった。

「地理上の発見の時代」でもあった欧州では、ヴェネツィアのみならず、各地で世界の見聞録などが盛んに出版された。「世界各地の服装」もまた好まれたテーマで、同世紀半ばにヴェネツィアで出版されたのを皮切りに各地で相次いで同様の本が出版されている。
が、ヴェネツィアを代表する画家ティツィアーノの遠い親戚であり、やはり画家であったチェーザレ・ヴェチェッリオによる「古今東西、世界の服装」は、その中でも、記述の正確さ、地理的にカバーしている範囲の広さ等、質の高さで群を抜いている。ヴェネツィアの当時の風俗、貴族やあるいは娼婦の服装を紹介する絵として、よくガイドや歴史本でも使われているから、目にしたことがある方も多いのではないだろうか。
1590年に初版発行、98年に第2版を出しているが、第2版では大幅な改変を加えた。ページの構成を簡略化した上に、イタリア語、ラテン語の2カ国語表記としたほか、さし絵の数を大幅に増加、「日本の若者」も、ここで追加された。

『日本の若者
この国では、中着と幅広で長いズボンを着用、いずれも美しく白く、紙のような絹織物で草花や鳥が色とりどりに描かれている。その上には、ビロードのような織りの凝った上着を着る。腰には刀と小刀を携える。・・・』
なるほど。
ところが、肝心のさし絵、説明文とはかなり異なっている。


まず、よく見ると、辛うじて足の間で布の切れ目が見えるので、下は袴・・・かもしれない。が、それは胸から一続きになっていて、ベルト(帯)が見当たらない。当然、腰に下げているはずの刀がない。かわりに、右手には長い棒を携えている。肘までの長さの袖の、やはり境目のない長い上着、その下に覗いている腕に添った形の袖も和服らしいところが見受けられない。帽子、靴も完全に洋風である。

「西洋図像における日本の服装」、ひらたく言えば、西洋、実際にはイタリアの絵画の中で、「日本人」がどんな格好をしているか?を卒論のテーマに取り上げようとおぼろげに決め、このあまりにも有名な本に、「日本の青年」が登場していると聞いて、さっそく、意気掲掲と図書館に向かった。400年以上前の本をありがたく借り、ワクワクと心踊らせながらページを開いて目に入ったのがこの絵だった。・・・全然日本人じゃない・・・。
最初の盛り上がりが単純なだけに、しぼむのも簡単。とりあえず写真だけ撮って、指導教官のところへ。「先生、これ、全然日本人じゃありません・・・」。
「あら?そう?確かにキモノには見えないけど、でもやはりオリエンタル風なのではないかしら?」
・・・えええーーー私には典型的なヴェネツィア風、にしか見えないんですが・・・。
正確さがウリのはずのヴェチェッリオの本の中で、よりによってなぜ、「日本の若者」がこんな格好をする羽目をなったのか?
2006年11月。卒論へ向けての右往左往は、ここから始まった。
(続)
→ イタリアの見た日本人・2 天正少年使節団

25 marzo 2008
by fumieve | 2008-03-26 08:24 | 卒論物語 | Comments(4)