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ヴェネツィア ときどき イタリア

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うれしい発見!Maddalena Murari さん

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Buona sorpresa

ヴェネツィアの音楽院で、ミニ・コンサートがあるというので、聴きに行った。クリスマスを挟んで、ベルギーの音楽院との共催で行われた短期集中マスターコースの、終了発表会というので、まあほとんど内輪の会みたいなものだろうと思って行ったところ、めずらしく観客が結構多い。開始時間ぎりぎりに入ったら、プログラムがなくなっていて、隣の席の人に見せてもらう羽目になった。
室内楽、ピアノ曲で全12組、「年末コンサート」的なサービス精神(?)からか、誰もが知っているような名曲小品が並ぶ。もっとも、誰もが知っている曲こそ、演奏するのはかえって難しいのではないかと思うが・・・。
本日は、友人の渡邉麻子さんは、残念ながら伴奏のみ。大好きな、モーツァルトのクラリネット協奏曲と、歌の2曲に登場した。頼まれたのがなんと前日だそうで、それでも、そつなく弾きこなしているところはさすがだが、やはり彼女はソロのピアノ曲を聴かせて欲しい。現在は卒業演奏に向けて準備中とのこと、楽しみに待っていたい。
室内楽、アンサンブルの演奏というのは面白いだろうけど反面、いろいろと難しいこともあるのだろう・・・などと、つらつらと考えながら聴いていたのだが、終盤へ来て、いろいろな細かい思考が全てぶっとぶくらいの衝撃にあった。
リストのスペイン・ラプソディー、を弾いたMaddalena Murari(マッダレーナ・ムラーリ)さん、え!?!?!?と、びっくりするくらい、とここで言っては失礼なのだけれども、ともかく上手。難しい曲を、左右縦横、軽々と、楽しそうに弾いているのも印象的。その前に、伴奏でも登場していて、うまいな、とは思っていたのだが・・・。
プログラムを見せていただいていた、隣の席の老紳士が、実はなんと彼女の御父上。ともかくピアノが大好きで、練習熱心なのだとか。そりゃそうでしょう・・・「すごいですね、今日1番よかったですね」というと、「そうかな。自分の娘だからね、わからないんだよ」と謙虚なお言葉。でも、自慢のお嬢さんらしく、「ヴェネツィア大学で英語科を卒業してね、そのあとパドヴァの音楽院を出たんだよ」。はあー・・・なるほど、優秀・・・。

期待以上のものに出会って、いい1年の締めくくりとなった。

30 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-31 06:45 | 聞く・聴く

濃霧再来

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濃霧
Nebbione

昨日の朝、帰ってきたのが新聞なら、夜になって帰ってきたのは、霧。先週、19日の火曜日以来、ずっとずっと晴天続きで、「朝晩は寒いけど昼間は気持ちいい」みたいな日々だったのが、午後、夕方近くなって、じわじわと霧が出てきた。今日も、朝起きたときにはさわやかに青空が晴れ渡っていたので、そのつもりで油断していたら、あっという間に本格的な寒さになった。
この季節、本来ならこれが当たり前。12月中旬に大雪が降って、2週間以上もそれが凍りついたまま溶けなかったこともあるし、だいたい毎年、11月ともなれば、ともかく霧か曇りで寒い。イタリアにきて、ペルージャにいた最初の年は、クリスマス前と2月のカーニバルのときと、2回ヴェネツィアにきて、ともかくあまりの寒さに閉口したっけ。
ヴェネツィアの霧は、実は嫌いじゃない。それに、これがふつう、とも思う。なんだけど、今年は今までずっと暖冬だったので、体が無防備になっていたのだろう。ともかく寒い!!!
このまま春が来るまで、これが続くのだろうか・・・。

28 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-29 21:54 | 日常生活

長い休暇

Sciopero dei giornalisti
ジャーナリストのスト

新聞が(ようやく)帰ってきた。
やたらとストの多いイタリア。鉄道やバス、飛行機など公共交通機関や公務員のストはこちらも慣れっこ。現政権に変わってからは、タクシードライバー、医師、弁護士、ありとあらゆる職業でストが可能だということもわかった。ジャーナリストのストは、以前からあるが、初めて見た(気がついた)ときには、なるほど、と思ったもの。TVのニュースが、ふだんのキャスターでなく見知らぬ人が出てきて、ストの旨を告げ、本来30分あるはずのニュースが5分くらいで終わってしまう。ラジオも同様。新聞の場合は、したがって休刊になる。
これまでも、何度かジャーナリストのストなるものを見てきたし、この秋から断続的になんども、TV・ラジオも新聞も繰り返しストをやっていたけれども、今回は、クリスマス休暇を含む、なんと5日間連続で休刊を決行した。
こちらのクリスマスは、日本のお正月のようなもので、家族でわいわい集まるのが原則だが、外はどこもかしこも全てお休み。だから新聞だってどちらかというと「クリスマス別刷り」があってもいいくらいなのに、22日から26日まで、主な新聞のほとんどは休みになった。(右派の「イル・ジョルナーレ」は、通常どおり発行されていた他、ふだんは見たこともないような小さな新聞などが、申し訳なさそうに新聞スタンドに並んでいた。)
ジャーナリスト組合側の要求は、年金問題を含む待遇改善を盛り込んだ契約更新(既に2年前から切れているらしい)。それはよくわかるけど、この時期、特に今年は大連休となったクリスマスに、いかにも「みんなが休んでるから、おいらも」的。もっとも、ふだんから、公務員のストなどは金曜日とか飛び石連休の前後など、いかにも「お休み狙い」な日程でやってることが多いのだが。
新聞をくまなく読んでるわけでもないけど、イタリアはTVのニュースが少ない上に短いので、ちょっと気になることを調べたり、何より「今日のイヴェント」欄などを参照にしているので、1週間近くないというのは、ちょっと不便。いつも何ページにもわたって紙面をにぎわせている「政治・内政」が、この期間は完全にストップするからちょうどいいのか・・・。
確かに、こちらの新聞は、日本と違って決まった「休刊日」というのがない。でも、休刊日は、配達少年のお休みのため、と聞いたことがあるような。新聞配達システムの存在しないこの国では、したがって関係なのでは?
連続休刊延長の噂(?)もあったようだが、とりあえず今日は、5日ぶりに各新聞が戻ってきた。

27 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-28 08:07 | 日常生活

聖夜

Santa Messa a Natale
クリスマス・ミサ

24日深夜、サン・マルコ大聖堂のミサに行った。ヴェネツィアに住んで何年にもなるのに、そういえばここでクリスマスのミサに行ったことがなかったため。
昨日、今日と、昼間はさわやかな青空が広がっているのに、めずらしくヴェネツィアの街中は閑散としている。毎年、クリスマスの直前は確かに人が少なくなることがあるけど、それにしても少ない。欧米のほとんどの国は、25, 26日が祝日で連休だろうから、この後からまた賑わうのだろうか・・・?
23.30から始まるはずのミサにも、なので特に早く行く必要もないか、とたかをくくって5分くらい前に到着したら、なんと聖堂正面入り口から、縦長のサン・マルコ広場に、結構な行列・・・。聞えるのはほとんど外国語、いつもミサは横の入り口から入るので、住民はそちらから入っているんじゃないかと様子をうかがったものの、どうやら今日はみんなここに並んでいるらしい。
まあ、そうは言っても大きな大きな大聖堂、さすがに席はもうなかったものの、立っている分には十分入れる。私が入ったときには、既にミサは始まっていたが、それにしても、この大聖堂に一度にこんなにたくさんの人を見たのは初めて。
今夜は大司教によるミサ、もちろん全体の進行はイタリア語だけれども、信者が聖書の一節を代わる代わる読むところでは、英語、仏語、独語、スペイン語の人も出てきていた。このあたりは、多くの観光客=外国人への配慮なのだろうか?
深夜0時を少し回ったところで、いよいよクライマックス、幼子イエスの登場。荘厳なオルガンの響きに、高らかな歌声。そしてそれまでは聖職者席だけにともっていた明かりが、聖堂内一斉に広がる。クーポラ、壁、人々を包む全ての面が金のモザイクで埋められたこの聖堂は、明かりによってキラキラとまばゆく輝く。それにしても、キリスト教、いやカトリックというのは、ほんとうに劇的な演出を得意とし、成功させてきた宗教だと思う。幼子イエスの、その登場を演出する音と光に、そこにいるのは少なくともたかが人形だということを忘れて、確かに何か荘厳なものを感じさせる。
問題はその後。いよいよ終盤、「聖体拝礼(でいいんでしょうか、間違っていたらご指摘をお願いします)」で、祝福されたパンを1人1人受け取る場面になって、「この儀式は、正式にカトリック教会で洗礼を受けた者以外には禁止されています」と、イタリア語と英語で注意が入ったこと。私は洗礼を受けていないし信者でもないので、もともとそれを受けるつもりはないし、似たような立場の人は皆同じでは?この場に、イスラム教、ユダヤ教の人は絶対にいないだろうし、たぶんギリシャ正教も。(すぐ近くにギリシャ教会があるので)つまり、「禁止」を申し渡されてるのは、プロテスタント系の人と、私のような無宗教者。だいたい、宗教的にほんとうにそうなのか知らないが、今までは聞いたことがない。「ご遠慮ください」とか、「お断りしています」とかではなく、「禁止」と言っていたと思う。せっかくのクリスマスに、冷や水を浴びさせられたような気分になった。
まあ、その昔は、教会の中にだって洗礼を受けていない者は入れなかったのだから、今は教会もずいぶん「開けている」と言えるのかもしれない。が、言わなくていいことを、あえて言わなくても。ああ、これが、反・教会論者の言う、教会の嫌なところだな、と思った。その前に、献金を受けるのに籠を持って回っていた人は、この人数のなかをくまなく回って、「洗礼を受けていない人からは受け取らない」とは言わないのだから。
多くの観光客が、「せっかくクリスマスにヴェネツィアにいるんだから、サン・マルコのミサに出てみよう」と半分は物見遊山気分で来ているに違いないことは否定しない。観光客でないけど、私だって似たようなものだ。が、神聖な夜だからこそ、厳かな儀式の邪魔をしようという人はいないと思うし、だから教会の側だって、寛容の心をもてなかったのだろうか?

「聖しこの夜」でミサがお開きになって、外へ出たら満点の星空。私が羊飼いだったら、どの星を目指していけばいいのかわからないくらい、数限りない星が光っていた。

25 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-25 18:13 | 日常生活

ヴェネツィア音楽散歩

Passeggiate Musicali a Venezia dal XVI al XX secolo
Sylvie Mamy, Vianello (Treviso), novembre 2006

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ヴェネツィア音楽散歩、16世紀から20世紀まで
シルヴィ・マミー著
ヴィアネッロ出版

少し前に、宣伝を見たので書店に見にいった。そういうタイトルの小説か、もしくは物語調の本かと想像していたら、テーマにしたがってヴェネツィアを歩く、いわゆる一種のガイド本。好きな本を全部読んでいる余裕は全くないが、パラパラと眺めるだけでもよさそうだったので、自分へのクリスマス・プレゼントとして購入。

全部で7章に分かれていて、例えば第1章が「空間の獲得」として、現在いわゆる「クラシック」と呼ばれる音楽の基礎ができてきた時代、音楽が奏でられた場所や機会の解説がまず数ページ。その後、実際にサン・マルコ大聖堂からサン・ラッザロ島までテーマに沿って歩く「コース」を紹介。それぞれの見どころなどを案内している。
第2章は、「ハーモニー・・・音、色、そしてセンス」として、言わずもがな、ヴェネツィア・ルネッサンス期がテーマ。スキアヴォーニ河岸からレデントーレ教会まで、音楽にゆかりの地のみならず、ベッリーニ、ティッツィアーノ、ティントレットにヴェロネーゼ・・・と、同時代の絵画の中に見る「音楽」を紹介する。本の中には、同時代その他の文学作品も引用されており、音楽をモチーフにした、文学・美術散歩といったところだろうか。意外と知られていないけれど面白いのは、教会の「オルガンのふた」。この時代、とくに壁や天井と同様、教会の内装の一部として著名な画家に依頼されていた。現在は取り外されて、それだけで美術館などに納められていることも多い。
オリジナルのまま、今もオルガンのふたとして残っているサン・セバスティアーノ教会のヴェロネーゼの作品はそういう意味でも貴重だが、なぜかこの写真がありえない状態に並べられているのは、残念。
いずれも、さわり程度の解説に留まるので、それぞれ専門家には物足りないだろうが、テーマごとのヴェネツィア紹介というコンセプトは個人的には好み。

著者、Sylvie Mamyは、フランス人音楽研究家、作家で、数年前からヴェネツィアで活動しているらしい。

惜しむらくは、ハードカバーの上に、中の紙が厚いので、かなり重いこと。(そしてその分、結構高い。)全ページ、フルカラーなのはいいとして、今時もっと薄い紙でも十分写真もきれいに出るのに・・・。
内容からいっても新潮社の「とんぼの本」シリーズぐらいにしてくれれば、持ち歩くにも便利なのだが。地図もついていて、いかにも「持って歩いてね」という構成なのに、このごっつさは不思議。もっとも、こちらのガイド本は、たいてい厚くて重い。イタリアだけでなく、有名な英国社のシリーズ、仏社のシリーズもみんなそうなので、欧州人のカルチャーなのだろうか?

23 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-24 21:13 | 読む

ミラノ・スカラ座

Teatro alla Scala

スカラ座騒動
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昨年度の文化予算カットのしわ寄せで、この冬、ヴェネツィアではフェニーチェ劇場のオペラが始まるのが1月。これまでは11月に1公演あったのに、なんだかこの季節に1度もないというのはやはり寂しい。
(昨年の様子は、
http://www.geocities.jp/vivereavenezia/112105.htm
またはブログ
http://blog.goo.ne.jp/fumiem2005/ 
の2005年11月分を参照。)

それなら、ミラノかローマで、それだけを見に行く贅沢はできないけど、何かのついでに公演があれば、ぜひ・・・と思ったものの、そううまく日程が合わない上に、どちらも12月はシーズン開幕ということもあってか、ほとんどが満席。

ミラノ・スカラ座の開幕は、毎年、曜日に関わらず12月7日、ミラノの守護聖人、聖アンブロージョ(Sant’Ambrogio)の日。爵位を持つ人から政治家、女優・俳優、デザイナーなどなど、VIPがずらりと勢ぞろいし、今年は誰が登場するのか、それを追うカメラや野次馬も殺到します。今年は、サッカーW杯の決勝で、仏代表ジダン選手の頭突きを受けて一躍有名になった、あのマテラッツィ選手などの顔も見えました。(もちろん私はTVで見たのですが)
演目は、ヴェルディのアイーダ。
ところが今年のスカラ座の話題は、それだけに留まりませんでした。2日めの公演にあたった、12月10日、テノール、ラメダス役のロベルト・アラーニャが、1幕の途中で桟敷席のブーイングに腹を立て、そのまま舞台を去ってしまったのです。
代わりに出てきたのは、代役アントネッロ・パロンビ、それも突然のことで、衣装もメイクもなし、ジーンズ姿。もちろん、大騒動となりました。
アラーニャ曰く、「ヤツらはアリアを歌いだす前からブーイングしていた。なっていない」、そして次の公演からは再び舞台に立つつもりだったのが、スカラ座側はそれを拒否。双方裁判に持ち込む構えで、おそらく彼がスカラ座に戻ってくることはないようです。
「アイーダ」演出・監督のフランコ・ゼッフェレッリは、個人的にアラーニャ遺憾を伝えてきたとのこと。実は彼は、同ゼッフェレッリ監督の下、2007年4-5月に、ローマ・オペラ座で「椿姫」を歌う予定になっていて、しかも奥様のアンジェラ・ゲオルギュと共演。絶対に大丈夫、と監督も太鼓判を押しているそうです。
・・・と、新聞記事を読んでいて、「え?Angela Gheorghiuの椿姫!?」DVDでした見た(聴いた)ことがありませんが、そのソプラノの歌声はもちろん、美貌うるわしきAngelaの椿姫はぜひぜひ一度は体験したいもの。これはなんとしてでも、絶対に行かなくては!!!

22 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-24 04:20

SEBES Session

SEBES Session
Venezia, Paradiso Perduto

Tobia Purisiol: 歌
Andrea Casaccio: ギター
Francesco Socal: クラリネット、バス・クラリネット
Giovanni De Cecco: ピアノ、ルーマニア笛

友人のライブへ。
ずっとタイミングが合わずに何度かチャンスを逃していたので、若干風邪気味だったのも構わず聴きにいった。

ルーマニアの伝統音楽を元に、オリジナルな曲を聴かせるクラリネット&ピアノのドゥオSEBES(セベシュ)は今までも何度か紹介しているが、今日は歌とギターを加えてのセッション。
ちょうど1年くらい前に初めて彼らの音楽を聴いて、私にとって今まで全く縁も馴染みもないはずのルーマニアの音が、初めてとは思えないくらい何かなつかしく感じたのだが、それ以来、聴く機会を重ね、そういう意味ではもうすっかり耳に馴染んでいる。が、彼らの音楽が聴いていて飽きないのは、アレンジが毎回違うこと。どんどん発展していて、聴くたびに何かどこか必ず新しい。新しくてなつかしい、だから見逃せない、いや聴き逃せない、ぜひまた聴きたいと思わせる。
もともと、伴奏という枠に留まらない自由で快活でメロディアスだったピアノも、それでも妙技と言ってよいクラリネットの華やかな展開の陰に、当初はともすればやはり隠れることもあったが、今や完全に対等のポジションを得て、時にはまるで挑発するかのように奏でられる。
毎回違うという意味では「即興」的な要素が強いのだろうが、一方で、緻密に計算され尽くされたアンサンブルは見事。1+1は2ではなくそれ以上なのだと思わせる。
音楽でも美術でも、表現する手段を持つ人を羨ましいといつも心から思うけれども、彼らの音楽を聴いていて感じるのは、こうして、「人と一緒に」音を作り上げていくのもまた、面白い作業なのだろうということ。

歌とギターを加えての演奏は、彼らにとっても今晩は実験的なセッションだと言っていたが、こちらは確かに、実験の域を出ていないように思えた。先に、2人の音を聴いているせいもあるかもしれないが、まだまだ発展の余地があるように見える。

もう一つ、面白かったのは、ルーマニアの縦笛が、これもまたなぜか和楽器の笛の音に似ていること。ぴ~ひゃらら~という音を聴いていたら、学校で習った村祭りの歌を思い出した。

SEBESの音楽の一部は、
www.giovannidececco.com
で試聴できます。(downloadからどうぞ。もちろん、生の演奏にはかないませんが・・・)

19 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-20 18:00 | 聞く・聴く

予算次第

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Badget da...


コリエレ・デッラ・セーラについてくる「イオ・ドンナ」という土曜日女性誌の中で、実はいつも、イタリアらしいな~と感心しながら見ているページがあります。
“Baghet da...”というコーナーで、直訳すると「(いくら)からのバジェット(予算)」、または「~のためのバジェット」というとこでしょうか。まあ、「予算に応じて・・・」ぐらいの感じだと思います。
頭のてっぺんから足の先までのコーディネート術なのですが、すごいのは、ページを縦に2つに割って、片側は、全部高いものを選んだ場合、もう片側に、まるっきり似たような組み合わせを安く上げた場合の、それぞれ単品の値段と、合計の値段が表示されています。
例えば、12月16日発行分の場合、
左側=合計9770ユーロ、内訳は
カルチェ、ダイヤモンドと真珠のピアス(4320ユーロ)
Thes&Thes、毛皮のジャケット(3700ユーロ)
ミュウミュウ、クリスタルと鎖つきのポシェット(310ユーロ)
Frankie Morello、リボンつきシルク・ワンピース(965ユーロ)
サムソナイト、皮スエードの手袋(55ユーロ)
Casadei、ベルト付きなめし皮のパンプス(420ユーロ)

一方、右側の合計は1360ユーロで、内訳は、
Emporio Recarlo、金と真珠のピアス(552ユーロ)
Closed、うさぎのジャケット(380ユーロ)
Max&Co., 、なめし皮のショルダー・バッグ(49ユーロ)
Pinko、プリーツ・スカートのワンピース(235ユーロ)
Etam、皮手袋(25ユーロ)
Fornarina、メタル色パンプス(119ユーロ)

といった具合。
毎回、うま~く似たようなものを並べて乗せて、「いくらでもお金が使える人はこう!」「そうでなくても、こうすればOK!」みたいな感じになってます。今回は、パーティー用の服装なので一段と値段が張っていますが、ページのコンセプトはいつも同じながら、合計額はその時によりずいぶん違って、たとえば、300ユーロ対98ユーロとかだったり。
イタリア人は、町の真中のブランド街やセレクト・ショップは、「ウィンド・ショッピング」だけを楽しみ、よ~く観察しておいて、他で似たようなもっと安いものを買う、と聞くけれども、まさにそれを具体的に提示したページなのです。まさか、上から下までそっくり一度に真似っこして揃えるわけではないでしょうけど、メンタリティがよく現れているように思います。
もっとも、安い方の組み合わせでも、ブランドものも混ざっていたりするので、一般のイタリア人は、これを参考に、さらにもっと安いもので似たようなものを探すんだろうな、と思いますが・・・。

16 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-17 07:14 | Shopping!

ミラノ16時55分発ユーロスター

Ferrovia Italiana
~ES9497, Milano 16.55(mai) -> Trieste

数ある「対・イタリア」苦情の中でも、国鉄に対するそれはおそらく郵便局、テレコムと並んで、いやいやおそらくそれ以上にたくさん、嘆いても怒っても何をしてもしきれないくらいたくさんのエピソードがあると思います。

ミラノ中央駅16時55分発、トリエステ行きユーロスター(ES、注・「ユーロ」と名乗っていても、国内特急のこと)。ヴェネツィア本島内のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅までこないので、私の場合は手前のメストレ駅で乗り換えなくてはならないものの、日帰りでミラノに行ったときなどによく利用する列車です。平日、週末あわせ、何度も乗っています。
が、この特急、今まで一度も時間通り発着したことがありません。
毎回、まず始発駅のはずなのに、30分前どころか、15分前、10分前になってもどのホームから出るのかが掲示板に表示されない。そして、発車するはずの17時前になってようやく、20分遅れ、の表示。繰り返しますが、いつも、なのです。
ここで余談ですが、ホームが表示されないから、行き場のないその電車に乗るはずの人々が、掲示板の下にわらわらと溜まっているのですが、で、みんな一斉に携帯で電話。「もしもし、私。電車が遅れてて・・・」それが見事にまた全員、ヴェネト弁。そう、この時間だから、みんなヴェネトの家に帰る人々なんですね。かつて「上野の停車場の・・・」と歌われたのはまさにこれか、という感じです。
そしてようやく、ホームが表示されると、民族大移動。これだけさんざん待たされて、指定席の号車によっては、ホームを走る羽目になったりして、ほんとに解せない・・・。
これまでに、遅れている電車の中で聞いた会話。
乗客A「いや~ほんっとによく遅れるよね。」(あきれ口調で)
車掌「電車の本数が多すぎるんですよ。無理がある。もっとうんと減らせばいい。」
え!?・・・で、電車が多すぎる???ミラノ~ローマ間に次ぐ幹線であるはずの、ミラノ~ヴェネツィア間でESって2時間に1本もないのに?日本の新幹線って、15分おきに出てて、しかも分単位で正確って、知ってます?日本通のイタリア人の友人が昔、「イタリア国鉄職員は、日本のJRに全員半年研修に出したらいい」といってたけど、半年で足りるかどうか。
別の日。
乗客B「イタリア国鉄って、その9割(8割、だったかも、すみません、うろ覚え)が遅れなし、って知ってた?」
乗客C「は???9割が遅れなし?9割が遅れる、の間違いじゃなく?」
乗客B「イタリア国鉄の統計では、30分以内の遅れは、遅れとみなさないんだって。だからそういう数字になるらしい」。
・・・なるほど。そういうこと・・・。
そういえば、前は指定券を買っていて30分以上遅れると、一部払い戻しになったけど、最近はそれもやってないし、と思っていたら、今日の乗客と車掌の会話によると、宣伝してないだけでどうやら制度は残っているようです。ちなみにESは、26分以上の遅れから。

本日は完全に30分以上の遅れ。後日さっそく、払い戻し請求に行ってこようと思います。(到着した20時半には、該当窓口がとっくに閉まっていたため。)

9 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-10 08:48 | 旅先にて

カナレット - ブルストロン、ドージェの祝祭

Canaletto - Brustolon, Feste Ducali
Rami e Stampe dalle collezioni di Museo Correr
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Museo Ca' Rezzonico
Fino al 11 dicembre
http://www.museiciviciveneziani.it/frame.asp?musid=124&sezione=mostre

カナレット - ブルストロン、ドージェの祝祭
コッレール美術館所蔵品より、銅板と版画
12月11日まで

18世紀、英国の良家の子弟たちは成人になる頃、その教育の仕上げとしてグランド・ツアーと称して欧州大陸、特にイタリアへ見聞旅行へ出かけた。ローマ、ナポリ、フィレンツェ、そしてヴェネツィア。
現代の観光客が、その記念に絵葉書を買うように、写真がなかった時代、彼らが国へ持ち帰ったのが精密な風景画だった。特に、ヴェネツィアの画家、カナレットのそれは、よき仲介者(宣伝者)を得たこともあり、飛ぶように売れた。今でも、英国内の美術館に多く作品が残るのはそのためだ。
油彩画の複製廉価版、あるいは油彩画を発注するためのカタログとしても普及したのが、銅版画だった。
自ら筆をとってオリジナルな作品を生み出すカナレットが画家(芸術家)ならば、その下絵をもとに版を起こすブルストロンは本来は職人というカテゴリーに入るだろう。が、下絵にいかに忠実に、かついかに銅版の特徴を生かしつつそれを実現するかは、芸術的な職人技と呼んでいいだろう。
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今回の、非常にめずらしい展覧会では、銅版の「版」と、版画を合わせて展示している。もともとなら日の目を見ることがないはずの「版」だが、そこには職人の手の跡が直に残っている。それにしても、なんという細かさであろうか。カナレットの下絵もかなり細密にわたったものらしいが、銅版に先に細い鉄筆で彫っていく作業は、水彩の筆とはずいぶん違う。まさに気が遠くなる作業だ。
描かれている内容も興味深い。ヴェネツィアの新ドージェ(総督)の選出後の、一連の祝祭の様子を12枚の版画にまとめている。サン・マルコ広場やサルーテ教会といったお得意の風景のほか、サン・マルコ大聖堂、パラッツォ・ドゥカーレ(総督館)など建物内部の詳細な描写の中に、それぞれの行事が描かれている。
カナレットの多くの絵画が「風景画写真」なら、これは「報道写真」といったらいいだろうか。風景画では、人々はあくまでもその風景の一部だが、ここでは風景はあくまでも背景で、絵の中心はドージェとそれを囲む「人々」だ。もっとも、そのドージェは目を凝らして気をつけてみないと見つからないくらい小さく、祝祭の祝祭はあくまでも一般の人々、といったところも面白い。
大英博物館をはじめ、各地に残るというカナレットの下絵、また影響されて描かれたというルーヴル美術館他に残るフランチェスコ・グアルディの油彩なども合わせて見ることができたら、と思うのは無理難題というものだろうか。が、これだけでもたっぷりと楽しめた。

7 dicembre 2006
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by fumieve | 2006-12-08 09:29 | 見る・観る