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ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

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ミイラとり

ローマ在住の友人姉妹が、ご両親と一緒にヴェネツィアへ。
気がついたら、この4月は、続けて知人・友人が来ヴェネツィア。
元同僚や同級生などの旧友と会うのはもちろんとても楽しいものだけど、年齢や立場が全然違う人と会うというのも、それはそれで新鮮で刺激があって楽しい。特に、最近はついつい引きこもりがちになっている私にとっては、とてもいい気分転換になります。

地元のものとして、おいしいものを食べにご案内、のはずが、これまたいつものごとく全く要領を得ず、失敗を繰り返し、ついつい、うろうろ。おまけに、案内のつもりが、結局すっかりご馳走になってしまいました。実はこれも3週立て続け・・・すみません、ほんとにみなさまご馳走さまでした。・・・いくらなんでもこの年で、ちょっとまずい。次こそは、うんとおいしいものをご馳走させてください!・・・と言えるように早くなりたいものです。
そしてなんと、自分でも驚いたことに、相変らず迷うのは慣れっこのヴェネツィアとはいえ、今夜はいつも歩いているはずの自分のエリア内で思いっきり迷ってしまい、1日の観光でお疲れのはずだった皆様を引き回す羽目に・・・。ほんっとに失礼いたしました。

28 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-29 09:10 | 日常生活

現代音楽コンサート

Simultaneo Ensemble Venezia

友人が、現代音楽のコンサートで演奏するというので、もはや通いなれた(?)音楽院のコンサート・ホールへ。
現代音楽、はなかなか曲者で、音楽といえど必ずしも聞いて心地よいとは限らない。これはもちろんアートにも共通することだが、どちらかというとむしろ、人をぎょっとさせるもの、疑問を抱かせるものから不快にさせるものも多い。それは作り手の、何かメッセージがあるのかもしれないし、ないのかもしれないけど、私はもう、嫌な気分にさせられるものは全く好みではない。きれいなもの、心地よいものだけが世の中ではないと言われればそうだが、世の中は苦しいことやつらいこともいろいろあるからこそ、私は音楽やアートは、それによって気分をよくさせるものであってほしいし、そのほうが好き。

といわけで、ついつい構えて臨んでしまいがちな現代音楽だが、今日は、現代といっても20世紀前半の曲も多かったせいか、比較的落ち着いて楽しむことができた。音楽院の、「近現代室内楽ラボ」のコースによるコンサートとはいっても、実際はどうやら、学生よりも教えている側の音楽家が多かったこともあるかもしれない。
特に、友人と共演したホルン奏者、Claude Padoan氏にはびっくり。(「のだめ」でも取り上げられている通り)ホルンはほんとうに難しい楽器で、特に小さい音、しかもそれを長く伸ばすのはとてもとても難しい。それを、音量の大小や長短は自由自在、それも、音程がしっかりと安定していて、高低もまた自由自在。コルネットのように華やかなファンファーレのような音、トロンボーンのような力強く男らしい音、そして細やかな伴奏・・・とくるくると役柄を変えていくのはお見事。友人Aさんも、いつも通り、期待通りに安定感のあるしっかりとしたピアノでもちろん対応していたが、いつもは地味なホルンの大活躍に、目・・・でなく耳が釘付けになった。
ちなみに、彼らの演奏した曲は、
C. Battel, Fantasia (1970) per violino, corno e pianoforte
(ヴァイオリン、ホルン、ピアノのためのファンタジー)

あまりにも無知なため、そのほか、各プログラムの紹介は省略。
ご興味のあるかたはこちらをどうぞ:
http://cippalippa.exblog.jp

27 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-28 05:26 | 聞く・聴く

アグリトゥリズモ

Agriturismo

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ふだん、家では蛋白質はなるべく豆類から取るようにしている。乾燥豆類は安い上に、保存がきくから、外出が多いときでもOK。そして、火にかけておくだけで出来上がるというのも楽。もともとはダイエット目的で始めた豆食だけど、馴れてくるとその豆の味がおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまうほど。
というわけで、最近は家でお肉を食べる回数がぐっと減っている。その反動なのかどうなのか、時々、体が「肉」を欲することがある。それも、スーパーでパックに入ったお肉には全く食指が動かず、目指すは力強い肉!
そんなときの強力な味方が、アグリトゥリズモ(agriturismo)。農業と観光をあわせた造語で、簡単に言えば、農場の中にある、肉、野菜、乳製品と自家製の食材を使った家族経営の食堂、または食堂つき宿泊施設。私にとっては、シンプルだけど新鮮な素材、安くておいしいものが食べられるところ、と同義語。
正式にアグリトゥリズモとカテゴライズされるためには、使う素材も(100%は無理としても)何パーセントが自家製、とか、家族以外の従業員はだめ、とか、いろいろ規定があるらしい。(食)農業・観光推進のための活動として、通常のレストランなどとは違って、何か補助が出たり、特別措置がとられたりするため、だそう。唯一の難点は、そんなわけでどこも車なしではほぼたどり着くのが無理なこと。

メニューは単純で、たいてい、
前菜に、自家製のチーズや、ハム、サラミ類
パスタは、手打ち麺やニョッキ
メインは、お肉のグリル(盛り合わせ)
といったところ。

どれも、いかにも田舎風に、どーーーん、と量が多いのもお約束。
何でもおいしいけど、(私の場合特に)アグリトゥリズモにきたからには、お肉を食べねば始まらない!・・・しかしやはり、手打ちパスタも捨て難い・・・
それにしても、お魚でもそうだけど、お肉だって、肉そのものがおいしければ、1番おいしいのは単純に焼いたものでしょう。炭火でがっと焼いたものは、ジューシー、カリカリで、「ああ、なんか食べ過ぎてる・・・」と思いつつ、ペロリと平らげてしまうのが常。
おいしい豚肉で、ビタミンBもたっぷり補給して、満足満足。

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そうそう、また明日からダイエット、ということで・・・。

本日のアグリトゥリズモ:
La Casetta
Via M.Polo, 1, Peseggia Scorzé (VE)
Tel. 041 44 81 62

26 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-26 08:35 | 飲む・食べる

ジェノヴァ水族館

Aquario di Genova

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日曜日のお昼前とあって、チケット売り場の前には軽い行列。とはいっても、イタリアにしてはめずらしく、待つ人が1列できちっと蛇行するよう柵が出来ているし、案外、進むのも早い。本館入口も、グループ、個人、と大きく分かれていて、さくさくっと中へ。
入ると、さすがに、かなり多くの人。家族連れが多いが、カップルやグループも結構たくさん。高校生くらいの男の子なんかも多くて、なんだか新鮮。
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導入は「くらげ」から。ゆらゆらと漂う、その幻想的な姿で、いきなり「魅惑的な海の世界へようこそ」という感じ。
続いては、大きな水槽に人がたくさんたかっていると思ったら、アザラシ。水中をひたすらグルグル回っているだけのようなのだけど、そのボテっとした体と、そこにぴったりとつけたヒレ、まるい頭がかわいい。いきなり、かなり長い間見とれてしまった。

順路を進んでいくと、たくさんの種類の魚が一緒に泳ぐ大きな水槽あり、また、図鑑のように、小さな水槽に1種類から数種類の生き物が、細かい解説とともに展示されているもの。次の大きな水槽はサメと魚たち。と思うと、浅い広いプールに、ひらめ類が泳いだり休んだり(?)していたり。アートのような、さんごや海藻、深海魚たち。
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そして、ともかく人が多いのだけど、そうだたっぴろくもないのに、程よくゆったりと作られていて、あっちにもこっちにも見るものがあって、うまく分散するせいか、そう押し寄せへしよせ、という感じでもない。もちろん、ベビーカーOK。
ふと、「海中を飛ぶ」とタイトルのついた、大きな水槽。中では、確かにペンギンがブンブン泳いでいる。その水槽は回りをスロープで囲まれていて、たどっていくと、水面、それから水上のペンギンが観察できる仕組み。地上にいるペンギンは、別人のようにノタノタ歩いたり、ほとんどはじーーーっとしている。中には、人間になついているペンギンもいるらしく、ガラスの向こうから愛撫を求めるように観客の手に擦り寄っていたりする。
ほかにも、さきほどのアザラシやイルカなどの大きな水槽は、後で、やはり水上から観察できるようになっている。
水族館だから、しょせんは大小さまざまな水槽なのだが、コース自体は、途中で冒険船に乗ったようになったり、アマゾンの森林に入り込んだようになったり、と多少の演出もあり、ともかく変化に富んでいて飽きさせない。
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水族館、というと、日本では数年前にちょっとしたブームになって、各地に新しい水族館ができたり、古いところも改装したりで、だからきっといろいろすばらしい施設があるのだろうと思う。
が、イタリアに水族館って幾つかあるのだろうか?ヴェネツィアを始め、自然史博物館は幾つかあるし、動物園も(そういえばあまり他に聞かないけど)少なくともローマにはある。
だから、イタリアでは「ジェノヴァの水族館」って有名らしいけど、正直のところきっとあまりたいしたことないだろう、とたかをくくって、今まで何度かジェノヴァに来てもずっとパスしていた。でも実は、数年前まではここが、欧州一大きい水族館だったとか。(現在は、バルセロナにもっと大きいのができたらしい)。ここに住む日本人の友人が、「1度は行ってみたらいいのに」と勧めてくれたので、せっかくだから見学してみることにしたのだが、これが大正解。
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自然の中の生き物、こうして水族館にいる以上、人工的な環境にあるには違いないが、やっぱり自然の動植物には、何かそれだけで人をなごませる、癒すものがあるのだろうか。子どもから大人まで、いろいろな人が皆それぞれにとても楽しんでいて、「幸せの空間」などというとやぼったいけども、なんだかそれがすごくいいなと思えた。

22 aprile 2007
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by fumieve | 2007-04-23 23:05 | 見る・観る

どいつもこいつも・・・

本日、所用のため、イタリア半島のつま先、レッジョ・カラブリアへ。

ヴェネツィア、レッジョ・カラブリア間は直行便がほとんど無いため、アリタリア国内線のローマ乗り換え。
ヴェネツィア空港、6:50発ローマ行き。
チェックインは通常通り。この時間は結構、便数が多いため空港も混んでいる。セキュリティ・チェックをちょっと並んでから通過して、中のバールで、時間があまりないので慌ててカプチーノとブリオッシュ(クロワッサン)の朝食をとる。
さて、と搭乗口へ向かうと、30分遅れ、の表示。しかも理由が、「悪天候のため」。悪天候?見る限りここは快晴・無風。だいたい、他の航空会社の他の便は全部、通常どおり運行している模様。曰く、「ローマのフィウミチーノ空港で霧のため」。・・・ローマで霧?ほんと???
待てど暮らせど搭乗のお知らせがなく、気がつくと1時間の遅れに修正されている。乗り継ぎ時間が1時間25分だった私は不安倍増、もちろん、この時間のローマ行きは、やはり乗り継ぎの人が多い。心配に思うのはもちろん私だけでなく、他の乗客もカウンターに詰め寄るが、「ローマ発の便が全て遅れているので、みなさん、たぶん、大丈夫。」という、全然安心できない回答。
皆のイライラを増すのは、隣の搭乗口の、同じアリタリアの、同じローマ行きの、50分後の便のほうは、あたかも定刻通りのように表示が出ていること。「急ぐんだけど、振り替えてもらえないか?」「それはできません。だいたい、あれも遅れている(はず)。」と、もちろん暖簾に腕押し。
ようやく出発したのが、1時間半遅れで、9:20ローマ着。
ローマ発レッジョ行きの便は、9.25発予定。出発便のスクリーンに駆け寄ると、「当然遅れているはず」のレッジョ行きの便「遅れ」の表示が出てない。え???
慌てて、ターミナルA内を、搭乗口まで疾走。しかも、こういうときに限って、1番奥の搭乗口だったりする・・・。搭乗口に辿りつくと、カウンターは既に無人。ひえーーー置いていかれた???チェックインしてるのに?????
隣の搭乗口で手続きをしていた職員に無理矢理聞いたら「その便はキャンセルになりまし
たから、カウンターで詳しくきいて」。
キャ、キャンセル???・・・それならせめて、スクリーンにそう表示してください。搭乗口にも、大きく「レッジョ・カラブリア」と出たままだし。
実際は、午前中の多くの便がキャンセルになったらしく、当然、カウンターは長蛇の列。30分ほど待って、次のレッジョ行きの便に振り替えてもらおうとしたら、なんと17:00発だと言う。なんなの、それ。朝早く出てきた意味がないじゃないのーーー私はともかく最悪16.00には現地に着かなければならないんですよーーー!!!
仕方がなく、最初はシチリアのカターニャに振り替えてもらったのだけど、現地の知人に電話したら、「ラメツィア・テルメ」というところのほうが近い、というので、またそこに振り替えなおし。
結局、13:15発14:25着の便でラメツィアへ。名前からして温泉地なのだろうし、なにしろ南イタリアの青い海の目の前、椰子の木の揺れる小さな空港。きっとすばらしいリゾート地なのだろう・・・が、そんな思いを寄せる暇もなく、14.40発の特急を逃すと、やはり予定に間に合わないことがわかっていたので、タクシーに転がりこむように乗って鉄道駅へ。
レッジョ行き、ユーロスター。20分遅れ・・・。
ああ!ここはイタリア!!!

家を出たのが、朝の5:15。結局、目的地に着いたのが、夕方の17:15。
イタリア半島縦断とはいえ、長い1日でした・・・。

前回のイタリアの悪夢はこちら:
http://fumiemve.exblog.jp/d2007-01-17

18 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-19 08:50 | 旅先にて

ボローニャで狂言

teatro Kyogen
la pazza verità del mondo

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茂山狂言会の公演があるというので見に行きました。
欧州5カ国公演の一環で、イタリアはボローニャとローマと1日ずつ。
いつもの私ならまたローマに行ってしまうところですが、今回は、ボローニャは通常の公演の翌日、大学で「役者に会う会」というのもあるというので、そちらに決定。実は、狂言は昔から大好きで、日本にいたときは、一時、結構通い詰めたりしてたくらい。茂山狂言会の「本物」をイタリアで見られるなんて、めったにない機会。これは何があっても逃せない!と勢い勇んででかけました。
ボローニャの街中でも、まったくポスターの類も見かけないし、会場となるはずの劇場も、地図の範囲外でどこやら不明。夜9時からの公演だったのでやむなくタクシーを利用するものの、タクシーの運転手も劇場名を知らないどころか、ナビに住所を入れても出てこない!!!
迷いに迷ってようやく着いたものの、あまりにも人が少ない。・・・となんだか不安だらけ。開演時間になっても、会場内にすら入れてもらえないし、いったいどうなっているのか・・・。結局35分ほど遅れての開演。が、小さな劇場なのに観客の入りもさみしくて、せいぜい50人くらい。せっかくの公演なのに・・・もったいない。しかも、座席も、手書きで書き込まれたチケットを渡されたのに、真中がごっそり空席。どうせいっぱいにならないなら、自由席にしておけばいいのに。エライ人を招待などしてあったのに来なかったということかな~と邪推してみたり。
と、開始前まではともかく、不安・不満がいっぱいだったのですが、始まったとたんに、そこはさすがに、日本を代表する狂言役者さんたち。期待通り、いや、期待以上の演技で、もやもやをふっとばして、おおいに笑わせてくれました。

「棒縛り」と「濯ぎ川」。
どちらも、日本人にとっても初心者向きというのか、わかりやすい、とっつきやすい演目。とはいえ、こうして改めて見てみると、その表情や体の動き、声のトーンで、ずいぶんといろいろなことを表現しているということに、今更ながらびっくり。「日本人は無表情」だと思っている、西洋人から見ても、その豊かさに驚かされるのではないでしょうか。
原語、日本語による演技で、字幕・通訳はなし。それでも、要所要所ではしっかりと会場の笑いをとっていました。
プログラムには、あらすじと、とてもよくできた全訳が載っていたので、もちろん事前に目を通していれば、もともと難しい話ではないし、よく理解できたことでしょう。

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今日の、「役者さんに会う会」。ボローニャ大学、演劇専攻科(実践でなく理論の)の特別講演という形で行われた会には、若い学生を中心に15人からせいぜい20人の人が集まっていました。残念(というか、ちぐはぐ)なのは、学生たちは誰も昨夜の公演を見ていなかったこと。曰く「知らなかった」、「え?今日じゃないの?」「試験期間だから」・・・
ま、学生ってそんなものなんでしょうね。よく言えば「欲がない」し、悪く言えば「やる気がない」。根が欲張りな私は、あれも見たい、これも聞きたい、絶対に逃せない・・・と、精神的にいつもすごく忙しいけど。
というわけで、質問をしていたのも、主に先生方お二人。4人の役者さんが、基本的なこと、ちょっとした興味、今後の展開・・・などいろいろな質問に、丁寧に、でも、狂言役者らしく簡潔・明快に答えられていました。
面白かったのは、歌舞伎と違い、狂言役者の場合は、どの役も区別なく演じることができる、ということ。ある程度、体形や、役柄によるお互いの年齢など、あまり無理のある配役はしないそうですが、基本的にはどの役もできるように学んでいくとのこと。お互いにどちらの役柄・セリフも体に叩きこまれているからこそ、またお互いの、あ・うんの呼吸がぴったりと合っていくのかもしれません。そして、型が決まっているにも関わらず、実は、役者さんそれぞれの若々しさや熟練、個性などが、それぞれの役にしっかり個性を与え、より面白くなるのでしょう。もっともこれは、全ての演劇やダンスなどに共通することでしょうか。
今回の公演でも、ボローニャとローマでは役を入れ替えていくそう。ああ、ローマにも行くことにしとけばよかった!!!

12 aprile 2007
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by fumieve | 2007-04-13 09:52 | 見る・観る

ルネサンスのボローニャ

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Oratorio di Santa Cecilia
Pinacoteca Nazionale di Bologna
Bologna

ヨーロッパ最古の大学の町であり、中世イタリアの自由都市の旗手として発展したボローニャ。
町の中心にあたるマッジョーレ広場を囲む建物や、そこに建つ大聖堂、またすぐ近くにある、寄り添うようにも競い合うようにも建つ2本の斜塔、レンガの重厚な建築物が多いせいか、「中世の町」というイメージが強い。
そんなボローニャの町、現在の大学の校舎が集中するザンボーニ通りの一角に、ボローニャのルネサンスが隠されている。
オラトリオ・ディ・サンタ・チェチリア(Oratorio di Santa Cecilia、聖チェチリア礼拝堂)。
初めに建造されたのがいつかははっきりしないが、少なくとも1267年の記録には既に記載があるという。大きな改装があったのは、15世紀。14世紀から15世紀にかけて、この町で大きな役割を担ったベンティヴォリオ家によるもの。特に、礼拝堂内部の左右の壁に、フレスコで聖チェチリアの伝説を描かせた。請け負ったのは、フランチェスコ・フランチャ、ロレンツォ・コスタ、アミーコ・アスペルティーニ、1505-06年の間に描かれた。
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紀元後、3世紀のローマ。裕福な家庭の娘チェチリアは、キリスト教を信仰し、神に生涯を捧げることを誓うが、異教者ヴァレリアーノと結婚させられる。天使の仲介にも助けられ、ヴァレリアーノ、そしてその弟(兄?)ティブルツィオを改宗させることに成功するが、兄弟はその改宗のために打ち首の刑に処させる。
チェチリアも有罪となるが、釜茹での刑でも、打ち首にしても、不思議なことにその命を奪うことはできなかった。そして、全財産を貧しいものに自ら分け与えた後、死が訪れる・・・。
以上のお話が10の場面に分かれて描かれている。構図や人々の表情、色彩など、ペルジーノやラファエッロの影響が強く見られる。

ラファエッロといえば、やはりすぐ近くの国立絵画館(Pinacoteca Nazionale di Bologna)には、ラファエッロによる美しい「聖チェチリア」がある。聖チェチリアは、14世紀の終わりごろから音楽の守護聖人として知られるようになるが、ラファエッロの絵では、そちらの姿で描かれている。こちらは、1513年。

礼拝堂の聖チェチリアを描かせたベンティヴォリオ家は1506年に教皇庁により町から追放、代わって政権を任されたのがドゥリオーリ家。ラファエッロの祭壇画は、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会内、ドゥリオーリ家礼拝堂のために依頼された。

10年以内に同じ町で描かれた、2つの聖チェチリアを比べてみるのも面白い。

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11 aprile 2007
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by fumieve | 2007-04-12 23:36 | 見る・観る

町の音楽家

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マンハッタンの地下鉄駅で著名なバイオリン奏者、Jhosua Bellがストリート・ミュージシャンを装って、バッハ、シューベルトなど約45分演奏したところ、稼ぎは32ドル、彼と気がついたのはたった1人、との記事を読んで、ふーんと思っていたら、テレビのニュースでもやっていました。ジーンズにテニスシューズ、が、手にはストラディバリウス。ワシントン・ポストの企画だったとか。
気付いた、ただ1人はStacy Farucawa さん(日系の方?)、「彼のコンサートのチケットは100ドルをくだらないのに」と、びっくりして20ドルを置いたとか。(32ドルとは別)

ヴェネツィアも、ストリート・ミュージシャンが多い。
明らかに、かなり稼いでいると思われているのは、水の入ったグラスの縁をこすって音を出すミュージシャンで、もう何年も前からいます。グラスをたくさん並べて、くるみ割り人形とか、誰でも知っているような、きれいで幻想的な曲をやっていていつも人気。大勢の観光客に囲まれて、1曲終わると拍手が沸き起こります。でも、それ以外の人は、いったいどうなんだろう?と思っていました。

いつも、午前中の混雑を避けて、午後2時ころにスーパーに買い物に行くのですが、先日、中に何人かのミュージシャンたちがいました。よく見かける、いつも、4人で活動(?)している人たち。ルーマニアから出稼ぎに来ている人たちで、彼の全てが全て品行方正かどうかは全く信用ならないけれども、まあ、(長くいる)ここでは問題を起こさないほうがいいという判断なのかどうか、ともかく、これからお昼代わりに食べるらしきものを普通に買う様子。パン、ソーセージ、缶ビールなど。1人1人別々に会計していて、それぞれ7ユーロくらい払っていました(私は普段の昼食に7ユーロかかっていません)。
場所柄、お昼を安上がりに済まそうという観光客も多いスーパーで、周りを見渡して、見事に全員外国人だわ、と思うこともあるのがこの時間帯。ちなみに、夕方暗くなる前に行くと、日中物乞いをしていたおばさんたちが、ふつうに買い物をしているのに出会うことも。
で、私の前に並んでいたその中の1番若い男が、会計の後で、レジの女性に両替をお願いしたのです。普通、両替して欲しいのは、お札から小銭ですが、彼の場合は逆。10ユーロくらい・・・といって、ポケットからじゃらじゃらと取り出したのですが、10ユーロどころか結局25ユーロをお札に替え、見たところ、まだ5ユーロは余裕であったよう。
午前中に1人あたり30ユーロ(プラス食費7ユーロ)を稼いだのか?それとも、30ユーロは4人分で、プラス7×4=28ユーロなのか・・・???
確かにいいお天気の日だったけれど、ごく普通の平日のできごと。結構いい稼ぎになるのね、と関心しました。

Bellさんの地下鉄での稼ぎ32ドル+20ドルだって、国際的名声からしたら冗談にもならない額なのかもしれないけど、考えてみれば、ふつうのパートやアルバイトの時給に比べればずっと上。
やはり手に職は強し?

10 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-11 07:24 | 聞く・聴く

イタリアでブログ

イタリア語ブログ始めました。
http://blog.libero.it/veneziasoushi/

プロバイダーにLiberoを選んだのは、単にメイルを分けるため。で、登録の段階で、生年月日やら住んでいるところなどを入力するのですが、それが、詳細ではないにせよ、年齢・性別・住んでいる都市、まで後で見えてしまうのが難点。別に見えて困るものでもないけど、あえて好評するつもりもなかったのに・・・。

そして、ほかの媒体を比べたりしてないのでわかりませんが、イタリアのブログの使われ方って、日本のそれと随分違う!?
日本語は、旅行記、子育て日記、ペット観察記、あとはお店紹介とか・・・など、ほんとに日々の日記が多いように思うのですが(それとも、私が目にする機会が多いのがその分野なのか・・・というか、ペット観察記は読みませんが)、イタリアのブログは、どうも自己陶酔主張型が多いような・・・。
いやいや、ブログは多かれ少なかれ、自己満足のためにあるようなものだけど、でもなんだか、トーンが違う。写真、それも作りこんだものが多い上に、文章も、なんというか・・・日記というよりは、圧倒的に創作風。詩も多いし・・・ともかく全体的に毒々しい。ちょっと文章が長いと思うと、妙に人生について思索していたり・・・いやいや、まあいいんですけど・・・大いに思索していただいて・・・。
ちなみに、私のブログを開いて、右上のBlog successivoというところをクリックしてみてください。どうやら、ランダムにいろいろなブログが出てくるようになってるようです。(または更新のあった順かも?)
何かを探してみたわけでなく、ざざざっと適当に眺めてみただけですが、なんとなく毒気率が高いような。
日本語でも、そういうブログもいっぱいあるのだろうけど、たいてい紹介してもらったり、発見したりするブログは中身も面白いし、写真もきれいで関心することが多いけど、イタリア語版、はっきり言って趣味が悪い・・・。ていうか、ともかくうるさーーーい!!!
変な(おっっと、失礼・・)画像にしても、妙な(失礼!)文章にしても、ブログでは本人の作かどうかわからないけど、みんな自分で作っているとしたら、イタリアはやっぱり創造力豊かなアーチストな国、ということになるのかもしれないし、そうでなければ、パッチワークのうまい人々、と言ったらいいのか。いずれにしても、この国の一般の人々のセンスについては以前から疑っていたけど、ブログもこうきたか・・・という感じ。それとも、ブログをやろう、っていう人に何らかの偏りがあるということ???

なんだかでも、やっぱりこの人たちの中でやってくの、私には無理だわーと思ってしまいました。
ま、私のブログはイタリア語の練習のためなので、他人に関係なくほそぼそとやってみます。

9 apr 2007
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by fumieve | 2007-04-10 21:02 | 日常生活

カンディンスキーと、イタリアの抽象主義、1930-1950

カンディンスキーと、イタリアの抽象主義、1930-1950
ミラノ、パラッツォ・レアーレ

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Kandinsky e l'astrattismo in Italia 1930-1950
Milano, Palazzo Reale
2007年3月10日-6月24日
http://www.kandinskyeastrattismo.it/

期待しすぎた、のだろうか?
もう20年(!)くらい前になるだろうか、東京の近代美術館でカンディンスキー展があって、なんとなく惹かれて見に行った。絵画・美術一般、見るのは好きだったけど、とりたてて勉強したこともなかったころ。そして、カンディンスキーなんて名前も知らなかったのに、一目ぼれして、ポスターだの葉書だの買い込んできた。
その後、あちこちの現代美術館で見る機会はあったけど、作品をある程度まとめて見るのは、それ以来始めて。ところが、思っていたよりもカンディンスキーの作品が少なかったのと、後半は説明不足で十分に楽しめず、がっかりしてしまった。
まず、入口ではカンディンスキーの紹介、年表などを大きく表示。あたかも「カンディンスキー」の単独展のよう。期待に胸を膨らましつつ入ると、すぐに「コンポジションVII」(1913年)が。あれ?いきなりこれを出してしまっていいのか・・・???彼の抽象画は、「印象」→「即興」→「コンポジション」と発展していくのに、いきなりそれ?
なんとなく嫌な予感は的中して、結局、その後、バウハウス時代、パリ時代少々で、カンディンスキーの部屋はあと2つほどで終わってしまった。
そこから、「イタリアの抽象主義、1930-1950」の部門に入るのだが、こちらは完全に説明不足。それぞれの部屋に、1人か2人の画家の名前がついていて、それぞれの履歴をまとめたものが貼ってあるだけ。それもイタリア語のみ。カンディンスキーの方は、部屋ごとの説明が、伊・英文二カ国語であり、壁には大きくカンディンスキー自身の言葉などを印字してあったり、と趣向を凝らしてあったのに。ちなみに、壁に直接、自著のフレーズ、あるいは批評家や友人の(当時の)コメントなどを載せるのは、はやりなのかあちこちで見かけるが、いかにもその世界に囲まれているような気分になり、効果大。(もっともこれはイタリア語のみだったが・・・)
「イタリアの・・・」に戻ると、まず、見るからにカンディンスキーの影響を受けているのはまあわかるとして、では果たしてそれが、「真似」でなく「影響」といえるのか、それをどう消化していったのか。または、彼らが表現したいのは何なのか。抽象画は、抽象であるからこそ、うまく見せてもらわないと、全く理解できない。「感覚」でわかってね、それで好きなら好き、(ゲイジュツが)わからない人はサヨウナラ、なのかもしれないが、それならここで1つの展覧会として、広く一般大衆に見せる意味がない。
例えば、「コモ派」と名づけられた部屋。こちらの無知は否定しないが、なぜ、ミラノでなく、その北にある湖畔のリゾート地、コモなのか?ただコモ出身だったり、コモで活躍したらしい画家の作品が並べられていても、なぜその時代にコモに芸術家が集まったのか、まったくわからないし、そもそも「派」と呼べるほど特徴的な作品でもない(ように見える)。
カンディンスキーは、言ってみればまあ多くの人が知っているわけだし、そこに大きな説明をさくくらいなら、知名度の低い、後の部分をもう少しプロパガンダすべきなのではないか?
救いは、「照明がすばらしい」と友人が書いていたように、カンディンスキーの大作3点、「コンポジションVII」(1913), 「ムーヴメントI」(1935), 「Blu de ciel」(1940)の配置と照明がほんとうに見事だったこと。ここまで美しく見せてもらえれば絵も本望だろうと思った。特に、「ムーヴメント」は、2次元であるはずの平面の絵なのに、底なしの奥行きがあり、かつその中で各々が動いているような、3次元とも4次元とも言える世界に見える。

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タイトルにだまされたか、と思ったが、やはりこの展覧会はたとえ作品数が少なくても、カンディンスキーを見るためにあるのだろう。
彼の著作も、買って手元にあるのにまだ読めていない。今度こそ、ちゃんと読んでみよう・・・。

8 aprile 2007
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by fumieve | 2007-04-09 06:08 | 見る・観る