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ヴェネツィア ときどき イタリア

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Chiavetta 鍵

パソコン・ストレス。

卒論の仕上げに入っていて・・・といっても、もうかれこれ2週間くらい前に、内容は早めに打ち止めにしていて(これ以上何か調べて、全体が大きく変わる発見をしてしまっても困るし)、追われているのは、ひたすらコンピュータ上での処理の問題。

イタリア生活を始めた最初に持ってきたこのラップトップ、驚くなかれ、2000年に購入したもので、OSがいまだにWindows98。今度帰国したら買い換えよう、と思ってから早くも数年経っています。何度か修理にも出しているけれど、よくもまあ、ここまで頑張ってくれているものです。
・・・なのですが、ここへ来て、さすがにご老体に鞭を打ち過ぎて、もう今にも爆発寸前。仕事にも勉強にも使っているし、どうにかなっちゃったらと思うとオソロシイ・・・。

美術史専攻なので、というよりも実際のところ、見た目のボリュームを増すために、自らの状態を鑑みずに、卒論に画像を大量につけることにしてしまったのが、そもそもの問題。
数枚、画像を1度に開くだけでガチガチに固まってしまうのに、画像約75枚、1つのファイルに収めようというのは、そもそも私の老友にはもう無理というものです。
画像を整理し始めたときから、万が一のことがおきたら、と思うと戦々恐々。一時は、CDに保存しようにも、その作業すらできなくなっていて真っ青に。
で、ここで、ああそうだ!世の中の人は今時、USBキーなるものを使っているんだった!と思い出し、パソコン・ショップへ。もちろん、その場に売ってた1番大きいサイズ、4GB、50ユーロ強が高いのかどうかも判断がつかないけど、ともかく切羽詰まっているので購入。意気揚揚と家に帰るものの・・・ああ、これが不安的中で、私のパソコンが読み取らない。専用ファイルをダウンロードなどしてみたもののなんだかしらないけど、「うまくいきませんでした」というエラー・メッセージ。くーーー余計なものをダウンロードなどしている場合ではないのにーーー。
そうこうしている間にも、パソ氏は、次々新たなエラーを発信している・・・。
とりあえず、ともかく一旦そこまでできていたものをCDに保存し、(それも1枚では足りなかった)・・・あ!大学の図書館のコンピュータを使うことを思いつきました。
まず家で、自分から自分宛に(念のため違うアドレスを使って)、メイルで細かく分けたファイルを送る。図書館で開いて、それをUSBキーに保存。ちなみに大学図書館、新しすぎてUSBしか使えないのです。
我ながらいいアイディア!!!が、ともかく時間がかかります。そもそもファイルが重いので、メイルで送る、ファイルをダウンロードする、そこからUSBに保存する・・・8つに分けたファイル、それぞれの作業、1つのファイルに5分も10分もかかる。
しかも、大学の図書館は、1人1日1時間以内、と使用時間に制限があります。この作業を数日前に始めたときには、いろいろ要領を得ないこともあって、1時間があっという間。こんなことでは、締め切りまでに作業が終わらないのでは、とパニックに陥っていました。
昨日あたりからようやくコツをつかみ、しかもそのそれぞれの待ち時間は、ただ画面を見つめて待っているとイライラが増すので、関係ない本を持っていって読んでいることにしました。
こうして、相変らず(というか終わるまでは油断ならないのですが)、時間との戦いに追われていますが、突然1日1時間の読書の時間ができてます。

ちなみにUSBキー、イタリア人はふつう、chiavetta(キアヴェッタ)と呼んでいるようです。Chiave(キアーヴェ、鍵)の縮小形です。

29 mag 07
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by fumieve | 2007-05-30 06:19 | 日常生活

神戸への船

母の日本日記
ダーチャ・マライーニ
La nave per Kobe
Diari giapponesi di mia madre
Dacia Maraini

もう何年も前に見かけたときに、これは絶対読まなくては!と思ってすぐに買い求めたものの、挫折したり時間がなくなったりで、ずっと途中になっていた本。ここ数日でようやく読み終えることができた。

人類学者で特に日本の専門家としても知られるフォスコ・マライーニ氏の妻、トパツィア・アッリアータによる、彼らの日本滞在中の日記。その日記を元に、彼らの長女にして作家、ダーチャ・マライーニが、あるときは日記と対話をしたり、回想を加えたりしたもの。
私が買い求めたのはペーパーバッグ版だが、真中に、日記のオリジナルのコピーが入っている。手書きのイラストや、写真、新聞の切り抜きなども一緒に貼ってある。

若い夫婦が、夫のアイヌ研究のため、日本・札幌へ向けて出航したのが1938年10月。そのとき、ダーチャ2歳。そして日本滞在中に、次女、三女が生まれている。だから、日記といっても、子供がはじめてしゃべった、あるいは熱を出した、何を食べた、と、育児日記に近い。そこに、日本という、彼等にとっては外国にいることによる驚きや苦労というエッセンスがときたま加わる。
この日記を縦糸に、しばしば日記自体から離れて、ダーチャ氏の自由な「思考」が語られていくのだが、全体を通じて印象的なのは、どのエピソードをとっても、家族の中で、それぞれに対する愛情と信頼にあふれていること。
戦時中の日本で過ごしたくらいだから、そもそも相当特殊な家族であることは間違いない。がそれだけでない。シチリアの貴族階級の、厳格で筋の通った祖父、逆に奔放で家族を置いて家を出た祖母。どちらを非難するでも、どちらに肩入れするでもない。また、個性の強い妹たち、自分と彼女らの配偶者と、子供たち。各々、いいところも悪いところもひっくるめ、一人一人を認め、受け入れる。
外国暮らし、仕事を持つ女たち。お定まりの、普通の物語のような家族からはかなり程遠い。
そして、主役である母と父。本の中では寄り添う美しい二人、だがやがては別の道を辿ることになることを知ってしまっているだけに、最後の、日本の強制収容所に入る前のエピソードは心を打つ。
近くにいても、離れていても、お互いを尊重することは、自分を確立することと表裏一体なのだ、いうメッセージが1冊を通して根底に流れているようだ。

26 mag 07
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by fumieve | 2007-05-27 04:51 | 読む

滞在許可証


滞在許可証(permesso di soggiorno)の延長の申請。
これまでの苦労(というより主に不条理)は私も繰り返し書いてきたし、12月以降、方法が変わってからの摩訶不思議についても、既に友人たちがブログその他で書いているので、ここではとりあえず、今回私がやったことについてのみ、記しておこうと思う。

①指定郵便局(ヴェネツィアの場合、ローマ広場とサンマルコ広場の2カ所、専用窓口あり、ただし午前中のみ)にて、専用封筒を受け取り。導入当初は封筒が品切れになるなどあちこちでパニック症状をおこしたらしいが、とりあえずすんなり。

②封筒内の書類にざっと目を通す。今までは、申請する場所や時によって必要書類が違ったのが、一応これで全国統一になるらしいのは好ましい。締め切りと、必要書類をチェック。締め切りは、手持ちの許可証の期限が切れる1カ月前、したがって私の場合は5月29日までに提出、ということ。「学生ヴィザ」+許可証の場合、必要なのは、

a.大学の在籍証明書、試験を年間で2つ以上受けたという証明も含む。
b.パスポートのコピー
c.保険
d.財源保証書
e.収入印紙1枚15ユーロ

③大学で証明書を作ってもらう。要・印紙で15ユーロ。
④いろいろ考えた末に、健康保険に加入することに。2007年分で150ユーロ。郵便局で振り込み、それをもって、近所の総合病院へ。お金さえ払えば、手続は案外簡単。
⑤財源証明書は、これまではヴェネツィアではクレジット・カードのコピーでよかったので、そのまま出してみることにする。残高証明書を出せ、といわれるとちょっと苦しいので・・・。
⑥マークシートの申請用紙に書き込み。やたらにたくさんページがあって、たくさん注意書きがあって驚くが、単身・学生・(新規でなく)更新、の場合はたいして書くところもなく、簡単だった。
⑦郵便局で提出。郵送代(専用封筒の)30ユーロ、許可証申請費28.50ユーロというのを取られ、無事終了。
⑧これで、申請の処理作業がどこまで進んでいるのかが、なんとウェブ上で確認できるらしい。パスワードとユーザーIDというのの入った郵便局の領収書をくれたが。・・・が、サイトのアドレスは???・・・うーん。警察のサイトだろうか?それとも郵便局?

昨年までは、所定の警察に早朝から並んで、書類も同じものでOKだったりだめだったり、とともかく憂鬱だったけど、手続き自体はずいぶん簡略化されたような。もちろん、これでほんとに無事に許可証がそのうちできるのなら、ということだが。
友人・知人、聞いた範囲では、12月以降に新方式で申請して、許可証を無事受けとった、という話は今のところ聞いていない。

今までは、コピー代や、(本来はそのためだけにあるわけではない)保険代などを除いて、申請そのものには(莫大な苦労はしても)金銭はかからなかったのが、突然75ユーロとかかかるようになったのには「やられた」という感じ。もっとも、少々お金を払おうが、それできちっとすんなり許可証が出るのなら、払ってもいい、と思うのだが・・・まあ、その場合はいくらまでなら出す気になれるだろうか。100ユーロ、200ユーロなら払いますよ、500ユーロでもまあ、それで1年保障されるならいいか・・・1年ならどう譲っても1000ユーロが限界だろうか・・・。
1000ユーロならでも、速攻その場で発行、ぐらいにしてもらわないとワリにあわないけど。
この期間中に、学費も払ったこともあり、なんだかやたらにお金をかけているような気がする。

この手続きと、大学のほうの卒業の手続きもあって(何かとややこしくすることの好きなこの国では、卒論を書いて提出して、簡単にハイ!終わり!とならない)、先々週、今週の木・金の午前中は、事務手続き関連を集中してこなすことに。
郵便局、大学、銀行、病院、図書館(コピーのため)と、あちこちを何度もグルグル回って、ようやく今日、許可証申請の封筒を郵便局に提出。やれやれ・・・これで一安心。

昨日、今日と突然の猛暑で、こうしてあちこち歩いているだけで夏ばてになりそうだった。おまけに、卒論でも重大な問題が勃発してパニックぎみなのだが、これはまた別の機会にまとめて・・・。

25 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-26 07:46 | 日常生活

リヴィオ・セグーゾ 時の中の光 作品1978-2007

Livio Seguso
La Luce nel Tempo. Opere 1978/2007
Treviso, Casa dei Carraresi
18 mag- 1° lug 2007
www.livioseguso.it

トレヴィーゾ、カーザ・デイ・カッラレージ
7月1日まで

ヴェネツィア、ムラーノ出身の彫刻家、リヴィオ・セグーゾ氏の個展。
地元ヴェネツィアの国際ビエンナーレ展はもちろん、日本をはじめ、中国からアメリカまで世界の各地で展覧会を開いているのに、このヴェネツィアから30分ほど北に向かった小さいけど美しいトレヴィーゾの町での個展は、意外にも初めてなのだそう。

ここは、いつも大規模な美術展をやっているところで、正直のところいつも会場の狭さと動線の悪さにうんざりしてしまうこともしばしば。
ところが今回は、彫刻からデッサン、絵まで大小100点もの作品が並ぶとはいえ、完全な個展。全体に作品がゆったり、贅沢に並んでいるのがとてもよい。特に、小さな部屋には中央に、彫刻が1つだけ置かれているため、スポットを浴びたガラスの陰までが完全に四方に延びていて、あたかもそこまでが作品のようで見事。いや、ほんとうはそこまで意図して作られた作品なのだろう。
実は、スタジオに度々おじゃまさせていただいていることもあって、作品のほとんどは目に馴染んだものなのだが、いつもは皆いっせいに、賑やかにこちらに訴えかけてくるのに対し、ここではそれぞれが堂々と、凛としていて、あたかも孤高の女王のよう。といっても決して冷たさを感じるのではなく、作品が「水を得た魚」のように、より生き生きとして見える。

セグーゾ氏の作品は、いつも中にまあるい気泡をはらんでいて、それはずっと、卵、すなわち命、なのだと勝手に思っていた。なにかこれから生まれるもの。
ところが、今回こうして改めて作品を見ていて、これはもしかしたら、何か既に人の中にあるもの、それが完全に浄化、純化されて、完璧な球体となってクリスタルの中に封印されたものなのかもしれない、と思った。閉じ込められた気泡は、外に出てくることは決してない。だが、光を通すことによって、そこに「ある」ことがわかる。いや、絶妙な効果を発揮する。
最近、人に勧められて九鬼周造氏の「『いき』の構造」を読んだ。
(青空文庫にて:www.aozora.gr.jp)じっくり読む余裕がなく、斜め読みした、と言ったほうがいいくらいなのだが、そうだ、セグーゾ氏の作品には『いき』があるのだ、と思った。正円や正方形。完璧な幾何形。バランス。何かそれをほんの少し崩すことによって生まれる美しさ。そして何より、『いき』は、何か人を惹き付けるものなのだが、それがあからさまであってはならない。
使いなれたガラス、クリスタルという素材で究極にそぎ落とした美を完成したセグーゾ氏は、やがて別の素材に出会っていく。はじめは大理石。そして木。大理石ももちろんだが、それこそ木材は彼の完成した世界からは程遠い素材だったのではないか。だが、はじめに無の美を追求した彼だからこそ、曲線や不規則な動きを持つ「木」ですらも、彼の美学の中に取り込んでいってしまう。

氏の意向により、本格的な展覧会ながら入場は無料。近隣在住の方は、ぜひ足を運んでほしい。

19 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-20 07:47 | 見る・観る

カケモノとマキモノ

Kakemono e makimono : una filosofia che si esprime come opera d’arte
A cura di Barbara Biciocchi

Museo d’Arte Orientale a Ca’ Pesaro, Venezia

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カケモノとマキモノ。
それぞれ何を示しているか、違いは何か、きちんと説明できますか?

先日、13日付けで書いた「文化週間」の一環で、ヴェネツィアの東洋美術館では、なんと期間中ほぼ毎日、日本文化や美術を中心に、いろいろな講演や実演を行っている。
で、今日の講演会のテーマが、「カケモノとマキモノ、美術品として表現される哲学」。
カケモノ、はいわゆる掛け軸。
マキモノ、は、巻本といったほうがわかりやすいだろうか。
つまり、いずれも中国を起源とし日本でも普及した、絵や書などの美術を、タテに収めるのがカケモノ、横に収めるのがマキモノ。カケモノは、文字通り壁に掛けて愛でるものなら、マキモノは手にとって、目の前に広げて楽しむもの。
講師は、この美術館の紙関係の修復担当者。もともと、イタリア内の修復研究所で紙の修復を学び、日本でも研鑚を積んだという人で、イタリアでこの分野の修復を専門にしているのは他にほとんどいないとか。掛け軸の各部分の名称や材質、作業の苦労など、「哲学」というよりはむしろかなり具体的な話だったが、恥ずかしながらほぼ無知な私にとっては、かなり新鮮だった。

平日の午前中で、人が集まるのかと心配したが、20人ほどの小さな映写コーナーはすぐにいっぱい。年配の方が多かったが、学生も何人か。毎日通っている、という女性もいた。

明日、あさっても別の講演があるので、興味のある方はこちらを:
www.artive.arti.beniculturali.it

18 mag 07
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by fumieve | 2007-05-19 07:56 | 学ぶ・調べる

Quattro minuti 4分間

Quattro minuti 4分間
(Vier Minuten、独、2006年)

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監督 Chris Kraus.
Monica Bleibtreu, Hannah Herzsprung, Sven Pippig, Richy Müller, Jasmin Tabatabai, Vadim Glowna, Nadja Uhl.

最近、ドイツの映画が元気らしい。(少なくともイタリアでは。)
映画はもともとたくさん見るほうでないし、増してドイツ映画なんて、今までにいったい何本見ただろうか?
はじまりは、郊外を走るトラックのシーン。あ、いいな、と思う。ふだんあまり映画を見るほうではないが、昔からヨーロッパの映画が好きなのは、空気の色がリアルだから。アジアの映画にもあるのだが、アジアの場合は、しばしばその湿気と熱気の合わさっているのが、少々重すぎてダメなことがある。それはもう理屈でなくて感覚だからどうしようもない。

予告編を見た限りでは、「のだめ」ちゃんの凶暴版かな、とも想像していた。実際、お話は、もっと単純で(だから万が一これから見る人がいても、書いても差し支えないと思うが)、殺人容疑で刑務所に入っている女の子が、ピアノの才能を持っていることを見出され、紆余曲折を経て、コンクールに出る、というもの。最終選考のコンサート・ホール、再逮捕を待ち受ける彼女に赦されるのは、あと4分間・・・。
だからそれ自体は凡庸だが、伏線が、強烈にドイツ。そして、全体を支配するのは、やりきれない重さ。救われない人々。

美男も美女もいない、ヒーローもヒロインもいない。誰もが、ちょっとしたきっかけであちら側にもこちら側にもなる可能性がある。これが現実。
救いはしかし、やはり音楽なのだろう。ほぼずっとバックに流れるピアノの音は、大げさすぎず、絶妙の効果音として見ているものに安らぎを与える。まあ正直のところ、これがピアノの話でなければ、私は見なかっただろうが・・・。そして、そのピアノの才能はまた、彼女自身のみならず、他の人にとっても救いであり、また望みともなる。

が、では、そんな特別な才能をもたないものは?

16 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-17 07:02 | 映画

フェニーチェ劇場オーケストラ定期公演

Teatro La Fenice

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Franz Schubert
Ouverture nello stile italiano in re maggiore D 590

Franz Schubert - Luciano Berio
Rendering – Allegro, andante, Allegro

Hector Berlioz
Tristia per coro e orchestra op.18b (H119b)
-Méditation religieuse, La mort d’Ophélie. Ballade, Marche funèbre pour la dernière scène d’Hamlet
Benvenuto Cellini op.23 (H76) : Ouverture – versione Paris 2/Weimar

指揮 Hubert Soudant
演奏 フェニーチェ劇場オーケストラ及び合唱団

数日前に、ずいぶんご無沙汰していた友人から携帯にメイル。日曜日の午後、5ユーロでフェニーチェ劇場のコンサートに行きたい?という内容で、一応、何の公演かとチェックすると、通常のオーケストラ公演の年間プログラムの1つ。どうやら、カトリック系の学生支援団体の後援、ということらしい。
金・土と普通に一般・および年間定期購入者のための演奏会があり、今日はそのために特別追加された1日だったよう。
開演前、劇場内、と確かに見るからに不慣れな学生たちでいっぱい。見たような顔の、いつもはちょっとスレたような今どきの彼らがみんな、見るからにどきどき・わくわくしている様子がなかなかほほえましい。

さて、まずはシューベルトの華やかな序曲で幕開け。
びっくりしたのは、2曲目の前に、指揮者がこちらを振り返って、観客に語りかけたこと。曰く、
「みなさん、どうぞ怖がらないでください。・・・これから演奏する音楽は、途中でメロディーを全く失って、『凍りついた雰囲気』になります・・・その雰囲気を、どうぞ楽しんでください」。
会場が急に打ち解けた暖かい空気に包まれ、大きな拍手でその2曲目が迎えられたことは言うまでもない。明らかに不慣れな学生達の雰囲気を察したのか、それとも、昨日・おとといも同じようにやっていたのか・・・(としたら、それはそれでびっくりだが。)
そしてこの2曲目。今日は、全部知らない曲かと思っていたが、これ、なんといつも愛聴しているRadio3のテーマ音楽。高らかなファンファーレと、艶やかな弦の旋律が折り重なるように出てくる、いかにもオーケストラなこの曲に、指揮者さんのいうように確かに「メロディーを完全に失う」部分を併せ持っているとは。もっとも、私の感覚からすると、直線的でとがった角のある「氷」、というよりはむしろ、無数の粒々がいっぱい「泡」という感じだったが・・・。

休憩をはさんで、後半はベルリオーズ。そう大きくないこのホールで、大編成のベルリオーズ、おまけに1曲目は合唱つきとあって、舞台の上はぎゅうぎゅう。トランペットやトロンボーンも数が多いけど、その前の列の人、耳は大丈夫だろうか・・・と余計な心配をしてみたり。
いつも私は、ここでかなりエラそうなことを平気で書いているが、音楽は全くの素人、自分が好きで、楽しめればいいというスタンス。だから、演奏する側の人も、もちろん最低限というか、プロとしてやるべきことはきちんとこなしてもらうにしても、やはり楽しく演奏していてほしい。
その点で今日は、彼らが「ノッてる」のがよく伝わってきて、楽しい演奏会だった。
実は、まさに不慣れが学生たちが大半を占めていたからだろう、楽章と楽章の間で拍手(それも堂々と!)があがるというハプニングつき。が、演奏者たちも苦笑しつつも、それを乗り越える、そんな些細なことは吹き飛ばせるような「何か」、強さがあった。
久しぶりの友人たちに会って、いい音楽を聴いて、ご機嫌で歩いていたら、もう1人また別の、久しぶりの友人に出くわして、軽くおしゃべり。
いい日曜日でした。

13 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-14 06:27 | 聞く・聴く

美術館へ行こう!

文化週間 2007
Settimana di cultura 12-20 maggio 2007
C’è l’arte per te

イタリア在住・現在旅行中の方にお知らせ!
5月12日から20日間、今なら国立の美術館・博物館の入場がすべて無料!!!

文化省のイニシアティブで行われる「文化週間」。今年で第9回、毎年行われているのだけど、時期がいつも違うような気がする・・・のは気のせい?が、これまでは1週間7日間だったのが、週末を2回はさんで9日間になったのは大歓迎。

この期間中、国立の文化施設、博物館や美術館が無料になります。
イタリアは国立の施設が多くて、例えばヴェネツィアのアッカデミア美術館、フィレンツェのウフィッツィ美術館、ミラノのブレラ美術館など、ローマならコロッセオをはじめ、考古学博物館やボルゲーゼ、バルベリーニの両美術館とたくさん。ほかにも州都レベルの都市ならたいてい国立の絵画館や考古学博物館があります。
ただし、予約料や、特別展の別料金などはそのまま取られる場合がほとんどのはずなので、念のため。

入場無料だけでなく、この期間中は、ふだん未公開なものや場所の特別公開や、特別ガイド・ツアーや講演会なども多く用意されているのが特徴。ここ数年はやりの「開館時間延長」で、ふだんは18.00や19.00までの展覧会が、22時までになったりするところもあります。
また、国立の機関のみならず、地方、私立などの文化施設も参加し、さまざまなイベントを組んでいます。こちらは無料とは限りませんが、やはりそれぞれ趣向を凝らしているので、一見の価値あり、です。

そういう私も、今週はあまり身動きがとれないけど、せめてヴェネツィアで見逃しのないよう、プログラムをチェック中。

全国の詳しいプログラムは、
www.beniculturali.it/settimanacultura/index.html
をどうぞ。

12 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-13 03:11 | 見る・観る

チェッキーナ

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チェッキーナ

La Cecchina
Teatro Malibran

ヴェネツィアの音楽院の学生による、オペラ公演があった。
18世紀ヴェネツィアを代表する喜劇作家ゴルドーニの台本に、ニッコロ・ピッチンニの音楽(1760)。今回の演奏は、原作のテキストを変更することなく、かつ、話の流れを損なわないように編曲して1幕に仕上げたもの、とのこと。
5月9日から11日の3日間、キャストを代えての公演。9日(水)、10日(木)は午前中の公演だったのは、地元の小学生たちを観客に迎えるためもあったらしい。最終日、今日は、午後8時からだった。

公爵と庭師娘チェッキーナ、身分違いの恋に悩むが、娘は実はドイツのさるご貴族の娘だったことが発覚しめでたし、めでたし、というわかりやすいシンデレラ物語。
注目は、友人の友人でもある、タイトル・ロールを演じたOlivia Badiu。セリフの部分で、時々聞き取りにくい部分があったものの、若いのに落ち着いた深い声で、安定して最後までして聞かせていた。
特に目だって、圧倒的に会場を盛り上げていたのは、メイドの2人、サンドリーナ役のChiara Isotton, パオルッチャ役のElisabetta Montino。ばかばかしく大げさな演技も余裕でこなし、ぴったりと息のあったところを見せる。あまりの堂々たる迫力にてっきり学生ではないのかと思ったが、後でプログラムをよくみたら、サンドリーナ役は日替わりになっていたので、やはり学生なのかもしれない。へんてこりんな演技もものともせず、顔を真っ黒に塗って明るくて調子のいい黒人メイドに完全になりきっていた・・・うまい。
男性陣は、個人的にあまり惹かれなかったが、場をずっと支配していたのは、実は一言のセリフも歌もない、浮浪者役、Claudio Civiero。最後が、とんでもない演出になっていたが・・・。
もともとふだんからジェスチャーが多く表情が豊かなイタリア人たちは、あえて「演技」をすることもなく、舞台でもそのままで十分魅せるのだが、いい意味で、学生芝居の「悪乗り」とでもいったらいいだろうか。変な演出が続々だった。
もっとも、主役の二人のみによらず、こうして脇でどんどんいい味が出てくるのが、喜劇の楽しみともいえるだろう。そういえば、チェッキーナに恋するメンゴット役のEdoardo Cavalliも、ほとんど声よりも目で魅せていたといってもいいくらい。

20世紀初頭におきかえた舞台背景や衣装も、効果的でよかった。ただし、個人的には、肝心のチェッキーナの衣装が残念だった。庭師ではなく、花売りスタンドの娘、という設定になっていたのだが、まったく花売りらしくない上に、バレエ・ダンサーならともかく、一般の女性があまりきれいに見えない。
それ以外のキャストの、摩訶不思議な「かつら」や、付け髭ならぬ、「描き」髭はご愛嬌。

観客の大半は、音楽院の学生やご家族、関係者と思われるが、喜劇らしく、あちこちでくすくす、ところどころでわっと客席が沸く、楽しい公演だった。

彼らの今後の一層の精進と活躍を大いに期待したい。

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11 maggio 2007
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by fumieve | 2007-05-12 20:23 | 聞く・聴く

Festa イタリア流

Festa all’italiana

知人のFesta(フェスタ、要するにパーティのこと)に行った。
そもそも、知らない人に会うのは得意なほうではないし、それが複数多数となるともっと苦手。ふだんならあまり気が乗らずについつい断ってしまうところ。が、暇・・・というわけでもないけど、最近めっきり友人が減っているし、土曜日の夜くらい出かけよう、と勇気を奮ってみることにした。
とはいえ、誘ってくれたのも実はつい最近知り合ったばかりの人。「なんのフェスタ?」と聞いても「友だちばかりよ!」という、まったく要領を得ない回答。・・・まず、困ってしまうのは、何かを用意すべきなのか?ということ。ところが、会場が、わりとまともなレストラン。実は、前から1度行ってみたいと思っていたところで、まあ、それもあって行ってみる気になったというのもあるのだけど。・・・うーん、しかし、ということは、ワインも食べ物も×。彼女の仕事の関係でこのレストランになったのだろうというのは察するところなのだけど、バールで立ち飲み、立ち食いとはちょっと様子が違う。会費制?あんまり高かったら行きたくないし・・・。
となると、次に困るのが、何を着ていけばいいのか?ということ。ワードローブにそうたくさん選択肢があるわけではないけど、ふだんはジーンズとTシャツに毛が生えた程度で、あとはオペラに行くときなどの一張羅、と両極端。それなりに年齢を重ねているし、やはり一歩間違うと怪しい東洋人だし、「下に外す」よりは「上に外す」ほうがまし、というのがいつものモットーなのだけど、ほんとに若い「友人同士のフェスタ」だとしたら、「オペラ」はかなり浮くだろう・・・と悩んだ末に、なんとか自分なりの中間着地点に。
そうして、19時から、と言われていたのでこれも迷った末に19時15分過ぎに到着してみたところ、レストランを覗いても、人が皆無。しかもテーブルには全部クロスがかかっていて、本格的ディナー仕様。間違えた?・・・ともう1度、数日前の携帯メッセージを確認するも、間違いなし。
「あの~・・・今晩、Aさんのフェスタがあります?」「フェスタはあるけど、8時か、9時くらいからかな~。でも本人ならもう庭にいるよ。」・・・8時か9時・・・?いやーさっと顔を出して、できれば9時すぎには失礼しようと思っていたのに・・・。
小さなレストランを通り抜けて、庭に出ると、そこもクロスにワイン・グラスの並んだ本格的な、30人くらいの大テーブルが用意されている。・・・ひょっとして、何か正式なディナー???
と、手前の籐のカウチ・セットみたいなところに、ご本人と・・・先着1名様。はー。
人によって、8時に来たり9時半に来たりするというし、最終的に何人になるかわからないし、ビュッフェ形式にしたかったのだけど、こうなっちゃってね~。全くイタリアは、ほんとに何もかも頭を入れ替えてもらわないと、と笑う彼女も実は外国人。確かに。
それでも、30分くらいするうちに、パラパラと人が来始め、まあ、待ち時間に、と、プロセッコ(地元の発泡白ワイン)と、おつまみ代わりに出てきたのが、バカラ(干鱈)のカナッペとツナ・クリームの乗ったミニパイ。
ようやく、テーブルに移動したのは、8時半くらい。そしてここで・・・前菜として登場したのが、ハム・サラミ各種と、またもや形や詰め物を少しずつ変えたパイ類。今ひとつ行動の鈍い私は、気がついたら周りの人がさっさと私の分まで(しかも山盛り)取ってきてくれてしまう。ありがたいけど、こんなに食べたら、後が入らない・・・。
が、時間がたっても、「できたて」のミニ・パイが続々と出てくるだけで、次に進む気配がない。ひょっとして、立食じゃないけど、食べ物はこれだけなのかも?と思って、さっさとワインも赤に代えて、人々のおしゃべりを聞いていたら、9時半ごろになって出てきたのが、なんとエビとアスパラガスのリゾット!あ・・・赤ワイン飲んじゃったんですけど。
大きなアスパラガスが上に1本、まるまるとしたエビがごろごろ入っていて、確かにおいしい。・・・おいしい、けど・・・リゾットということは、セコンド(メイン)もあるはず。
半ばヤケでリゾットを平らげ、次を迎え撃つ気分。どうやら、周りの話によると、メインはお肉らしい。
その噂のお肉が登場したのは、10時半過ぎていただろうか。ここで「私はもう結構です」と断れないのが、悲しいところ。ともかく味見はしないと。オーブン焼きのポテトの上に豚肉のソテーが一切れ、あとは、牛肉を、ちょっとアジア風に、野菜と一緒に炒めたもの。思っていたより少なめだったのが救い。だけど、この人数(いつのまにか、20人以上のテーブルがいっぱいになっていた)のものを一斉に作って出してくるから、まあ、こんなものかな~という感じ。途中、席をたって、室内のほかのお客さんのお料理をちらっと見たら、もっとおいしそう~なものもあったので、個人で来たらまた違うかもしれない。
当然、デザートにコーヒー、と続くのかと思ったが、深夜12時になってもそれ以上変化が見られなかったので、私はここで失礼することに。

というわけで、お食事がでてきたのはほとんど闇の中だったので、写真はなし!

長い夜の、長いブログでした。
5 mag 2007
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by fumieve | 2007-05-06 09:32 | 飲む・食べる