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ヴェネツィア ときどき イタリア

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ヴィッラ・デステ、ティヴォリ

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Villa d’Este, Tivoli
ローマから約30km、なだらかな丘陵地帯を延々と走り抜けた後、ぐるぐると坂道を小高い丘の上に上ったところにこの「ヴィッラ・デステ」がある。
ティヴォリは、その地域に鉱泉があること、水の豊かなこと、交通の要所であることに加えその景観の美しさのため、太古の昔より文人をはじめ多くの人々を魅了してきたという。丘のふもとにある、ローマ皇帝ハドリアヌスの別荘(Villa adriana)、この丘の上にあるエステ家の別荘Villa d’Esteなどが、特に知られている。

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元々、ベネディクト修道会の建物だったところを、1550年、この地の統治者に選ばれた枢機卿、フェッラーラ出身のイッポーリト・デステがその居住地として全面的に改修・改装を指示する。
フレスコで彩られたルネサンス様式の館も美しいが、やはり圧巻はその庭園。丘の上に建つ館の窓やバルコニーからは、その庭園を含む眺望を見下ろす格好になっている。自然の地形を生かした庭園は、濃い緑の下、灼熱の太陽を避けながら歩いてみるとかなりの勾配がある。そして大小さまざまな噴水。巨大な滝のようなもの、一列に並んで緑の中から水が落ちているもの、洞窟の中のくじゃく型のもの・・・。めまいがするほどの暑さの中、噴水に近づくと、ふっと涼しくなる。これぞ自然の冷却装置、見た目だけでなく、実用にかなっているということだろう。
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巨大な木の茂る広い庭園は迷宮のようだが、下のぶどう棚からふと上を見上げると、屋敷が一直線上に見えている。規模は違うが、日本と同様、「借景」を生かすのがイタリア式庭園の特徴。上からみても、下から見ても眺望を楽しめる、それどころか、庭園内、ちょっと歩くとその度に目の前に広がる表情が変わるのは見事としか言いようがない。

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行くのに苦労したが、それだけの甲斐があった。

29 giu 2007

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追記:今日6月29日はローマの祝日にあたるため、市内はお休みのところが多いだろうと郊外に出ることにしたのだが、地下鉄Ponte Mammolo駅から出る中距離バスCotralは、座れないどころか通勤電車のようにぎっしりだった。おまけに連休になったこともあって道路が大渋滞。海に向かう道ならともかく、そうではないのに、ローマからティヴォリへはともかく1本道のため、混むときはどうやらこうなってしまうらしい。早ければ40分ほどのところ、到着までに2時間以上もかかってしまった。
ハドリアヌス帝の別荘(Villa adriano)にも行くつもりにしていたのだが、思っていたよりもその2カ所の場所が遠く(歩いてはいけない距離)、また帰りのローマ行きのバスでも大混雑・大渋滞にはまるのを怖れて、今回はエステ家の別荘で十分満足して帰ってきてしまった。どうしても2つ行きたい場合は、よほど朝早く出るなどする必要があるだろう。
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by fumieve | 2007-06-30 07:25 | ほかのイタリア

ローマのタクシー


日本からやって来た人々をローマの空港に迎えに行った。
あまり知られていないようだが、実はローマでは、フィウミチーノ空港から市内、及びその逆ともに、タクシーで通常40ユーロで均一料金。テルミニ駅から空港までの「エクスプレス」が片道11ユーロだから、その後の移動も考えれば、3人いればほぼ元がとれ、4人ならタクシーのほうがお得、という計算。
今回は、到着した4人と私を加え総勢5名。大きいスーツケースが2つに中型が2つ。
イタリアの場合、たいてい主な町では「ムルティプラ(multipla)」というボックス型のタクシーがあって、利用料金は同じ。今日は荷物もあるから、全員で1台に乗れるかどうか疑問だったが、とりあえず試してみることにして、タクシー乗り場へ。
日本人ご一行、荷物たくさん、・・・とみて、乗り場に向かう前にさっと近づいてくる輩1名。首から下げた名札のようなものを見せ「正規のハイヤーです、どうぞあちらへ」。正規なのかどうか、名札の字は見えないくらい小さいし、だいたいそんなものはいくらでもどうにでもなる。「市内までいくらですか?」「85ユーロ」。「no, grazie」、即刻却下。
乗り場に並んで、大型が来るのを待つ。1台大きめのが来たので聞いてみると、その車はダメだけど、乗れるのもあるから待て、という。OK。数台待って、前のより一見小さいかと思いきや、荷物スペースが広いためなんとか全部押し込む。人間は、後部座席に4人ぎゅうぎゅう。
念のため「市内までいくら?」と尋ねると「メーターによるよ」。ん!?「均一料金のはずだけど?」「メーターを使って、29ユーロとか32ユーロとかになれば、そのほうが得だろ?」
「そんなことありうる?」「だからメーターをつけてればいいだろ」
で、走り出してすぐに「ガソリン入れなきゃならないから、スタンドによるよ。」む?ちょっと怪しい。案の定、メーターつけっぱなしでガスを入れている・・・「ちょっと!メーター止めてよ」「だめだよ、メーターは止めたらゼロに戻っちゃうんだよ、そんな馬鹿なことできないよ。」イタリアで、確かに乗ってからスタンドによることはたまにあるけど、その場合は、恐縮しながら、メーターをとめるのが普通。(当たり前!!!)均一料金なら2,3分どうってことないけど、これは絶対におかしい。
ここからはもうけんか腰。「ともかく、40ユーロ以上はビタ一文払いませんから。」
「均一料金は、アウレリア壁の領域内と決まっているんだよ。お客さんのホテルは域外だからメーター!」むむ・・・方針を変えてきたな。「あ、そう?じゃ地図で確認するから。」と地図を取りだすと「そんな地図じゃダメだよ、こっちの専用の地図じゃないと。」
ここで、ありがたいことにローマ在住の友人から電話。事態を説明すると「そんなはずはない、絶対市内料金のはず!」という強いお言葉。「やっぱり壁内だし、市内料金のはずだけど。友人もそう言ってるし。」
「じゃあ、このリストを見てみろ、ここに通りの名前が入っていれば、認めるよ」と、取り出したのはローマ市のタクシーの規定が書いてある数ページにわたる文書。示されたところに確かに通りの名前(住所)がずらずらと羅列されている。アルファベット順でもなんでもなく、かなり見づらい。2,3度、見るが確かに、目指す通りの名前がない。・・・いや、まてよ?ローマの市内の通り名を挙げてあるにしてはずいぶん少ない・・・と思って、文書をよく見ると・・・
「ちょっと!これは境界線にあたるところだけじゃないの!!!中に入っていたら、載ってるはずないでしょ?」
地図だの文書だの取り出して、こっちを見てがーがー言ってる運転手はもちろんハイ・スピードで運転中。高速を抜け、そろそろ市内に入っている。後部座席では、イタリア語がまったくわからないままに、やりとりを予測してバカウケしている笑い転げている4人・・・(日本のおばさん、強し・・・失礼!)前述の友人が、途中何度も電話をくれて、「ともかく40ユーロ以上払う必要がないから。もしそれ以上言われたら、ここに連れてきて!!!」とありがたい応援。日本語とイタリア語交じりでしゃべっていたから、運転手も形勢不利を認めたのだろう。「・・・で、どこだっけホテルは?」さっきから何度も繰り返している住所を言うと「思い出したよ、それなら壁内だ・・・」。
しかし口が減らないイタリア人。私が最初に料金を聞いたときに釘をさすつもりで「”Striscia Notizia”見てるから。」と言ったのが相当気にいらなかったらしい。それはイタリアで高視聴率を保つテレビ番組で、アナウンサーやタレントのNG、政治家や有名人の文法の間違い、などを指摘するお笑い番組なのだが、怪しいテレビ・ショッピングや、詐欺行為などを暴いてみせることでも知られている。もう数年前になるが、ローマの空港からのタクシーで「日本人が騙される」というのを結構しつこく見せていたのだ。「俺はStrisciaなんて見ないから知らないよ、お札を2枚受け取って1枚騙し取ったりしないよ。」・・・見てるじゃないの・・・。
あとはずーっと、私がその発言をしたことで、いかに自分が傷ついたかを延々と語りつづけていた。ま、何を言おうとも悪いけど今回は君の負け。
最初っから素直に規定料金を言ってくれば、こっちだって人数も荷物も多いんだからチップだって多めに渡すつもりだったのに。
最近は無駄に怒ったりすることのないように気をつけて過ごしていたので、まったく、こんなに戦ったのはほんとに久しぶりで、もうぐったり・・・疲れました・・・。

28 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-29 07:45 | 旅先にて

ダンス・フェスティバル もろもろ

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6月18日付けの本ブログで紹介したように、ヴェネツィアでモダン・ダンスの公演が連日行われている。今回、開催前から大きく話題をさらっていたのが、今日公演のあった
Felix Ruckertの「Messiah Game」(ドイツ)。「最後の晩餐」を含む、新約聖書の場面にヌードと性描写を持ち込んだ、というので、ヴェネツィア大司教からは正式に上演停止の文書も届くなど、内外から批判が集中していた。
同フェスティバル関係者、ヴェネツィア市長(「哲学者」、著書も多い有名人)とも、批評は作品を見てから、あらゆる「検閲」行為を拒否。キリスト教関係団体による、公演妨害が心配されたが、ちょうど公演2時間前にあった激しい雷と夕立のためか、ビラと垂れ幕、メガホンで反対を訴える人々はわずか10数人と寂しい限り。懸念されたトラブルも何もなく、無事に公演にこぎつけた。
肝心のダンスは、というと、確かにそう思ってみると聖書の場面の引用と知れるところはあるし、少々過激なところもあるが、全体としては、むしろ「さわやか」なダンス。今回は、フェスティバル自体のテーマ「ボディ&エロス」だったこともあり、もっと過激で、もっと嫌悪感を与えるものはたくさんあったし、そもそもビジュアル・アート(美術)と呼ばれる中では、聖書やキリストの冒涜にあたる表現も、もっともっと過激なものもたくさんあるのではないか。(それがいいか悪いかという問題はさておき。)
完全に話題先行、悪評も宣伝のうち、という印象を受けた。

さて、ざっとおさらいをすると、ダンス・フェスティバルの開幕を飾ったのは、日本のカンパニー、Batikの「花は流れて時は固まる」。女性ばかり8人の、自由でいて、計算されつくしたダンスは会場となったマリブラン劇場の観客を魅了した。実は私は、現代ダンスの魅力に、あっさりとここでとりつかれた。
ダンスは、人間の体による表現がもちろん基本中の基本であるが、同時にこうした舞台美術となると、よく言われるように「総合芸術」であることを改めて認識した。体のライン、動きを、もっとも美しく、みせる衣装。現代ダンスでは衣装は最低限、レオタードなどが多いのだろうと思うが、ここでは、ひらりとしたワンピース。それもシンプルなようでいて、一人一人少しずつ形が違ったり、白と青の色使いの変化などが効果的。そして、照明によって、体のラインが衣装を透かしてシルエットとして映る。さまざまな要素が一体となって生み出される効果に、感嘆した。同カンパニーの「SHOKU」もよかった。
Batikを見て、唯一、現代ダンスでは音楽は録音を使うのは仕方がないのか、と残念に思っていたのを、見事に覆してくれたのが、森山開次さん「The Velvet Suite」。スペースの使い方、静かな表現など、しばし日本の能を思い起こさせるエキゾチックな作品。バイオリニストも同じ舞台上に登場し、演奏して、去っていくところがまた、能舞台を思わせた。
もう一組、日本から参加だったのが、山川冬樹さんの「Spontaneous core」。プログラムに「心臓の音をマイクで拾い、電球に明かりをつける」システムなどが紹介されており、なにやら面白そうだとかなり期待していたのだが、耳障りで大きすぎる音、見るに耐えない映像の濫用、途中、素っ裸になって踊りつづける女性ダンサー、と、個人的には全く好きになれなかった。昨年もこの大会に招聘されたらしいのだが、これをダンスといっていいのか疑問。アヴァンギャルド音楽、またはパフォーマンス芸術と紹介されたほうがしっくりくるだろう。もっとも、その境目のないのが現代の芸術なのだが。
1997年に、アート・ビエンナーレ展で金獅子賞をとっているMarina Abramovic(セルビア)は、「The Erotic Body」というパフォーマンスによる参加。巨漢の女性とぶ男が裸で見つめ合う、かなりショッキングなポスターが事前に目をひいたが、パフォーマンス自体はそれ以上でもそれ以下でもなかった。
実験的試みとして注目された、フェスティバルの総合ディレクター、Ismael Ivo(ブラジル)により演出された「Mercato del corpo. Vendita all’asta di danzatori e danze」。ベリー・ダンス(女性)やフランメンコなど、出身や内容の異なる男女6人のダンサーを実際に競売にかける、というもの。競り落とせば、ホテルの1室で、たった1人でそのダンサー10分間の独演を堪能できる。ただしこれは、入場者にその意図が予めきちんと伝わっていなかったこともあり、競売自体になかなか声のあがらない、寂しいものとなった。
韓国のLDP(Laboratoru Dance Project)は、「Boulevard」と「Position of body」の二本立て。10人ほどの男性ダンサーたちが、今時の男の子風だったり、ショーツ1枚だったり、次々と衣装をかえてリズミカルなパフォーマンスを繰り広げる「Boulevard」は楽しい作品だった。「Position...」のほうは、はじめに、その男の子たちが全員全裸でびっくり。
Francesco Ventriglia(イタリア)の「Il mare in catene」。
スカラ座のバレエ団員らしい、クラシック・バレエの動き、ライン。体そのものが圧倒的に美しい。ともかく、バランスがいい。極端に細すぎず、といって、筋肉隆々すぎず、手足の長さ、女性の腰のくびれ、男性の尾骨のライン。このクラシックな美には、我々東洋人はやはりどう頑張ったって追いつかない。1人1人の体形はやはりかなわない。
が、日本のBatikにせよ、韓国のLDPにせよ、見ているうちに、はっと、とても「美しい」、「面白い」と思える瞬間がある。思わず引き込まれる。これが舞台のよさだろう。彫刻ではない。生きた1人1人の人間の表現力、そしてグループにより編み出される・・・。
モダン・ダンス側からイタリアを代表するSimona Bucci。音楽が、単なる効果音楽ではなく忠実に「語り」になっている点、具体的な舞台セットなどに加え、踊りも具体的な表現に終始していた。会場となっている、アルセナーレの小劇場を後にして、帰る道々の声を聞いていると、Francesco Ventrigliaが概して好評だったのに対し、こちらのBucciはさんざんだったようだ。

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「ボディ&エロス」というテーマ、そうでなくとも元来「ダンス」というのは、独演でない限り男女のペアが基本中の基本であることは疑いないだろう。その中で、女性だけ、男性だけで舞台を作り上げている日本のカンパニーはかなり異色なはず。韓国のLDPは、誘惑的な女性ダンサーも登場し、絡みもあるが、主役はあくまでも男性陣。その意味で日本とやはり近いものがあるだろう。
ところで、いくつかダンスで見られたのだが、いくら体そのものをみせる芸術だからといって、全裸にならなくてもいいのではないかと思う。全裸になられても、美もエロスも全く感じない、と思うのは私だけなのだろうか?

3年契約だった総合ディレクターも、今年が最後。来年も続投となるのか、交代となるのかはまだ未定。どうなるにしても、また来年、いろいろなダンスを見るのを楽しみにしていたい。

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27 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-28 07:34 | 見る・観る

テレコムの謎、ふたたび

un altro mistero del Telecom

それは1週間ほど前のこと。携帯に電話をもらって「家の電話が通じてないようだけど?」
え?また?
実は、6月の初めにも同じようなトラブルがあったばかり。その時は、確か1日、ものすごい嵐があって、一時的に電話が不通になった。直後はインターネット回線も落ちたが、それはすぐ復旧したのと、電話も、こちらからはかけられるようになっていたので気付かずにいたら、どうやら外からかからなくなっていたらしい。何人かから、「家の電話がお話し中になっている」と指摘された。自分で携帯からかけてみると、確かに、ツーツー・・・。
それはまさに、卒論提出前でテンパっていた時だったのと、1度落ちたときに下の階の住民が「電話使える?」と聞きにきてくれたので、おそらくTelecomに連絡してくれているだろう、と人頼みにして放置した。
しばらくすると、今度は電話がかかってくるようになったが、混線するようになった。というか、話し始めて最初の1分間くらいは、ずっと奥でツーッツーという音が(かなり大きな音で)聞こえていて、そのうちに、今度は明らかにヘンな雑音が混じる。いかにも盗聴されている風なのだが、まあ盗聴されて困る話をしているわけでもないし、忙しさにかまけて、放置し続けた。
まともになったのが、かれこれ2週間くらいたってからだろうか。
電話がまともになったと思ったら今度は、電話セールスがひっきりなしにかかってくるようになった。料理中、出かける前などに攻撃にさらされて辟易としていたが、そういえば・・・ここ数日、パタリとやんでいた。そうか、彼らがやめたんじゃなくて、電話が通じてなかったということらしい。
今度は完全に不通で、さすがに困るのでTelecomに電話すると、なんじゃかかんじゃか言って「月曜日までに調査をします」。なるべく早くお願いします、と念を押したものの、月曜日を過ぎて変化がなければ、催促しようと思っていた。
昨日、日曜日の朝9.00。久々の何もない休日で惰眠をむさぼっていたら、誰かから携帯にメッセージ。こんな時間にいったい誰?と思いきや、なんとTelecom Italia「回線041.xxxx」の復旧作業は無事完了しました」。ほんと???日曜日の朝に???予定より早く???
起き上がって受話器を取り・・・
やっぱり、うんともすんとも、何も言ってなーーーーーーーーい!!!
再び、テレコムに電話。ずいぶん待たされて、やっと出たのは、妙に低いダミ声の男。しかし、話が多少は通じそう。「こちらの記録では、作業終了になってますね。」「何の変化もありませんが。何なら試してみたら。」「見てみましょう・・・ああ。なるほど。事態は深刻で・・・」(おおーーーい!!!)「ふむふむ・・・回線は生きているのですが」(困るよ、生きてなきゃ)「地域で4世帯が同じ問題に陥ってますね。」「もう今月に入って2回目だし、一刻も早く直してくれなきゃ困ります!!!」「明日、月曜日の朝一で確認させます。」

こちらの、技術者の「朝一」は、朝8時だったりするので、少々早起きしてスタンバイ。
11まで待って何の連絡もないので、とりあえず新聞などを買いにでかけようとすると、郵便受けには、テレコムからの請求書が・・・。おのれ~~~6月は結局ほとんどまともに使えていないのに、使用料を払えと???
・・・と、お昼前に携帯に連絡。在宅しているなら1時から1時半頃に直しに来る、とのこと。何をおいても在宅しているから、早く来てくれといって電話を切る。
さてさて、ほんとうに1時20分にやってきて、なにやら外で作業が必要なので、終わったら呼び鈴を鳴らすから、自宅で確認させてくれ、とのこと。「深刻な問題」だった割に、作業は30分以内に軽く終了し、無事電話復旧。はあー。
気になって、「そういえば、昨日、携帯にメッセージが届いたんですけど」「誰から?」「テレコム」「へ?何て?」「回線が回復した、と・・・」「ありえませんけど?外で回線が切れてたんだから・・・」。
私にメッセージを送ったのはいったい誰?

25 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-26 04:30 | 日常生活

コンサートのサンテレナ

S.Elena in Concerto

Sant’Elena(サンテレナ)は、ヴェネツィア本島の1番先っぽ、もうこれでいよいよヴェネツィアも終わり、というところにある。水上バスに乗ると、リド島に渡る1つ手前の停留所。正確に言うと、小さな独立した島で、いくつかの橋で本島と結ばれているが、観光的名所が特にないためか、地図を見るとしばしば切れている!ごくごく普通の住宅街だが、実は、小さいながらも一応サッカー・スタジアムがあるので、ひょっとしたら聞いたことがある、という方もあるかもしれない。

そのサンテレナ、もちろん、同名の教会がある。今は「先っぽ」でも、過去には表玄関に近かったこの地の教会の歴史は古く、建造は12世紀。現在は15世紀に改築されたときの姿をとどめている。

6月の金曜日、3回にわたって、この教会で室内楽のコンサートが開かれた。”Suonar da camera”という、音楽院の学生や卒業生を会員に、演奏会などの機会を設ける活動をしている会の主催。「室内(楽)を奏でる」という会の名の通り、室内楽演奏が中心である。

元々はロマネスク時代に建築され、ゴシック風の窓を組み込んだ典型的な混在様式、内部は単廊式で広々としている。かつてはフレスコ画で埋められていたであろう壁は、しっくいがほとんど剥げ落ちレンガが剥き出しになっている。教会として現在も機能しているため、祭壇は整えられているし、信者席もきれいに磨きたてられている。
少々不便なところだが、無料というのと、街中にずいぶんポスターが貼られていたからだろうか。聴衆もざっとみて、100人はいないだろうが、7-80人はいるだろうか。地元の住民以上に集まっているようにみえる。

問題は音響で、まあ教会建築の場合はたいていそうなのだが、残念ながらともかく響きすぎる。ほんとうはこの催し、教会脇の廻廊で行われる予定だったのだが、悪天候、とまではいかまいまでも、今晩はちょっと風が強すぎる、というので室内での演奏となった。

F.J. HAYDN
Divertimento per archi n.1
(弦のためのディヴェルティメント1番、以下同様)
Divertimento per archi n.5
Divertimento per archi n.6

S. PROKOF’EV
Sonata per violino solo op.115
(ヴァイオリン・ソロのためのソナタ作品115)

R.KREUTZER
Quartetto per clarinetto, violino, viola e violoncello
(クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための4重奏)

Margherita Busetto, violino
Francesca Canova, viola
Caterina Rossi, violoncello
Francesco Socal, clarinetto

実は私の最大のお目当ては、クラリネットだったので、プログラムを見て、1曲しか登場しないのにちょっとがっかり・・・まあ、弦の3人も音楽院の中でも、レベルの高い人々と聞いていただけあり、確かに上手。が、なにしろ音が響きすぎて、かえってよく聞こえないのでなんとも言えないのだが、なんとなく、きれいにまとまりすぎている、という感じもする。特別な可もなく、といって不可もなく、というのか・・・。
と思っていたら、最後に登場したクラリネットのFrancesco、やっぱりうまい!すばらしい!!!弦の3人を軽くかわし、明らかにその場の空気を圧倒していた。
盛大な拍手で、アンコールもかかった演奏会。週末前のいい夕べとなった。

22 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-23 17:02 | 聞く・聴く

ジークフリート


Siegfried
Richard Wagner
Teatro La Fenice, Venezia

ここのとこすっかりダンスにはまって、大小の劇場に通っていたものの、オペラは久しぶり。それも、いつも以上に楽しみにしていたのは、おととしの「ワルキューレ」が期待以上によかったから。(おととしの様子は、こちらを参照:http://blog.goo.ne.jp/fumiem2005/e/c4c935cd1abbbc62716a6b722fd46e90 )
歌手はもちろんほぼ入れ替わっているものの、指揮、監督、背景&衣装は同じ。昨年唯一がっかりだったのが、背景&衣装で、これはやっぱり想像を外さず、20世紀風まま。森?の中なのか何なのか・・・ガラクタの散らかった中に、壊れた(?)キャンピング・カーに住む小人で鍛冶屋のミーメと養い子ジークフリート、という設定。ミーメは浮浪者風ならば、ジークフリートは某国の一イラク派遣兵、といった風貌。
会場が静かになるのを待つ間もなく、演奏がばらばらばらっと始まり、なんとなくしまりがない。そして、長い1幕のほとんどがミーメとジークフリートの、歌というよりはセリフが続く。それも、演出というか演技に懲りすぎているのか、なんとなく歌がおろそか。そこでほんとに料理はしなくていいから、もう少し声を聴かせて!と思う場面しばしばあり。見るべきところも、聴くべきところもなく、・・・少々飽きてきたころ、突然、ジークフリートが刀を打ち始める。音楽のリズムに合わせてかなづちをふっていたのはいいとして、その音の耳障りなこと。ほんとに金属を金属で叩いているので、脳天に直接突き刺さるかのよう。本人の声どころか、オーケストラの音までもかき消しているのだから、同考えてもやりすぎではないだろうか。
演出がともかくジークフリートの荒っぽさだけを強調しているために、彼が実は神に選ばれた者であり、世界を治めるために「指輪」を得る資格がある、というところが全く見えてこない。単なる乱暴で恩知らず、わがままで醜い荒くれ者が、たまたまその役を得てしまったように見える。古今東西、「英雄」の物語は暴力と戦いの上に成り立っているとしても、そこには(例え一方的だとしても)正義と倫理が欠かせないはず。
3幕2場、最後の最後の、ブリュンデルヒルドとのアリアではようやく、なんとか歌を聴かせてくれたが、ここでも、若き英雄や賢者の風格を全く供えていないその姿には、心底がっかりした。

後から考えると、これはこういう作品なのであって、同じワーグナーの、4部作として数えられる続きの作品でも、ワルキューレは始めから緊張と盛り上がりの場面があるし、全体にいわゆる有名なフレーズが多いから聴いていて飽きないが、だからこそ、このジークフリートの方がきっとずっと難しいのだろう。
他の劇場、他のプロダクションでもう1度見てみたい。

20 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-21 20:23 | 聞く・聴く

第5回 現代ダンス 国際フェスティヴァル

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5° Festival Internazionale di Danza Contemporanea

Venezia, 14-30 giugno 2007

国際現代美術展ビエンナーレが開幕したヴェネツィアで、それを追っかけるように、先週末から現代ダンスの国際フェスティバルが始まった。もともとは、毎年秋に開かれている現代音楽フェスティバルから独立したというダンス部門、これまではなかなか縁がなかったのだが、今年はいくつかの公演を見る機会に恵まれている。
ダンスについては素人も素人、それぞれの公演を詳しく伝えるのはとてもおこがましいが、せっかくなので全体の様子などを簡単に紹介しようと思う。

6月14日から30日、この半月の間に世界から14のカンパニーがヴェネツィア入り。それぞれが1つまたは2つの公演を、ほぼ2回ずつ行っているほか、写真展、ワークショップなどの関連の行事も。
まず驚いたのはその人気。会場がそう大きくないせいもあるが、連日連夜、完売、満席らしい。前売りも早い段階で売り切れ、当日券もあっという間になくなるらしい。
超ビッグネームではないにせよ、その世界ではそれなりに知られているダンサーやカンパニーが多いらしい。ただ、いくつかの公演を見て気がついたのは、観客は必ずしもダンスおたく、マニアばかりではなく、むしろごく普通の人が多いこと。チケットが1枚8-16ユーロ、6公演のパスで60ユーロ。通常映画が7ユーロ、最近は展覧会なども10ユーロ近くするところが多いことを考えると、比較的リーズナブルな価格設定ということもあるだろう。地元の住民や学生が、ちょっとした楽しみ、好奇心で公演を見に来ているらしい。例え素人でも、期間中いくつかの作品を見たり、毎年通ったりするうちに目が肥えてくる。元来が批評好き、議論好きのイタリア人だから、あれがよかった、これはどうも、と話が盛り上がり、人が人を呼ぶ。
もともと、アートのビエンナーレや、映画祭の歴史を持つヴェネツィア。オペラ劇場でのコンテンポラリー・ダンス・カンパニーの公演から、ミニ・シアターにおける実験的・挑戦的な作品まで、「まずは見てみよう」という気概、土壌が、ここにはあるのだろう。
残念ながら、アートや映画は巨大化しすぎて、特に映画祭はパスを買っても希望の上映になかなか入れないとか、必ずしも住民にとってメリットがあるわけでもなくなってしまっている中で、このダンスという新しい分野のイベントが地元の恒例行事として受け入れられ、定着しつつあるようだ。
それにしても、やはりこういう機会を持つことができるヴェネツィアの住民は幸せだと思う。日の長いこの時期の、夜の楽しみとしてこれからも毎年続いてくれることを期待したい。

17 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-18 09:07 | 見る・観る

すりにご用心

いつも書いているように、なにしろ「ものぐさ」でちょっと足を伸ばすというのがめんどくさい。ずっと先送りにしていたのだけど、いよいよ用事郊外のショッピングセンターにでかけてきました。
必需品を買って、無料のシャトルバスをローマ広場で降り、家に向かっていました。徒歩20分、倒れるほど暑いというわけでもないけど、特別に急いでいないし、わりとゆっくり歩いていたのだと思います。いつも馴れた道のり、教会の前の小さな広場を通りすぎ、教会の脇の細い路地に入り込んで数秒。それまであまりたくさんの人がいなかったのに、背後に妙に近く人の気配がしました。は!と振り返ると、若い(と思われる)女が、私のリュックの背のポケットのファスナーをあけていました。
「ちょっと、何してんのよーーー!!!」と声をあげると、「・・・別に」とにやにやして離れる。いや「別に・・・」じゃないでしょ、ポケットさぐろうとしてたんじゃないの、と思ったけど、そこにはまずお財布などは入れていなかったし、と思いつつとりあえずポケットの中を、確認。典型的ジプシーの縮れた長い黒髪、ピンクのピッタリしたTシャツから微妙におなかが突き出ていて、妊娠?しているのかどうか。にらみつける私を一旦は追い抜いた後、くるりと振り返って元へ(他のカモを探しに)戻っていきました。
貴重品、特にお財布は絶対にリュックに入れて背中にはしょわないけど、一瞬、買い物の間などに入れてしまうことはあるし、開けられた外ポケットには、家の鍵、手帳を入れていました。それはどちらも彼等には不要の品だけど、もし携帯電話を入れていたら、あの一瞬でも絶対やられていたと思います。幸い、携帯は手に持っていたし、お財布その他の貴重品は、肩にかけた布バッグの内側にひっかけた小さいバッグに入れて、それごと左手でにぎっていました。
すごく嫌だったのは、なんとなくやっぱり集中力が散漫だったところを狙われたこと。そして、私が1人になる瞬間を狙っていたのだろうけど、実際はどこからつけてきていたのかがわからないこと。シャトルバスを降りた瞬間?それなら、絶対に観光客でないことは一目瞭然。まあどっちにしても、リュックに入っていたのもメロンだのシャンプーだの、生活用品ばかり(まさに買い出し)で、やはり観光客には見えてなかったはず。まあでも買い物なら絶対お財布を持っているから?(実はきれいに現金を使い果たして、2ユーロ以下しか残っていなかったけど)

今までヴェネツィアにいたジプシーはそれらしいぞろっと引きずるスカートをはいて、グループで行動していることが多かったこと、明らかにわかるときは気をつけているのに、油断したところを狙ってくる敵は一枚も二枚も上手です。
ちょっと前までは、ヴェネツィアは(毎日通勤してくる)物乞いはいても、襲ってくることはなかったはず。観光地に「すり」が多いのはきっとどこも同じだけど、最近は生活者も狙われることがある、と聞いてへえ~と思ったのは数年前。やっぱり自分が遭ってみるとびっくりです。

ヴェネツィア在住のみなさま、これから観光においでになるみなさま、どうぞお気をつけください。

16 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-17 21:46 | 日常生活

河童


髪を切りました。

以前、留学してきたばかりの友人に「イタリアに長くいる日本人の女の人って、みんな髪が長いんですね」と言われたことがあります。こちらでは基本的には「黒くてまっすぐで長い髪」というのがお世辞を含めてでもまあ称賛されるし、まあ、せっかくほめられるなら伸ばしておくか、という心理が働くというのも無きにしもあらず。あくまでも一般論ですが。
ということに加え、というよりは実はほんとのとこは、いい美容院が見つからないから結果として伸ばしているほうが楽、というところも大きいのでは?
日本のように心地よくて思わず居眠りしそうなシャンプー台などなく、それどころか妙に首を緊張した状態のまま後ろにそらし、耳はもちろん、うっかりすると目まで水がかかるのはあたりまえ。
そして、外では褒められる日本人の黒髪も、美容院では不評らしく、硬くて太いから切りづらい、多いから腕が疲れるとか、果てははさみが傷むとまで言われるそう。
私は幸い、細いへなちょこ髪なのでそれは無いのですが、だから簡単なのか、ともかく早い。だいたいの希望の長さを伝えると、横一直線に一発でざっくりと切って、「出来た!」・・・その間、約3分くらい。クレオパトラくらいの絶世の美女ならともかく、それじゃ単なる「オカッパ」。すみません、少し、段を入れてくれますか?「そうね、OK」。
そして出来上がりは・・・やっぱり見事なカッパ(の2段重ね)。

ものぐさな私は、美容院などを探したりするのがとてもめんどくさい。日本にいたときは、かれこれ20年くらい同じ美容院(美容師さん)に通っていました。しかも、そのうち15年くらいは、父も弟も含め、家族全員通っていたという・・・。
新しい美容院に飛び込みで入る勇気もないので、今行っているところも、最初に人に勧めてもらって、まあまあかな、と思ってそれ以来常にそこに行っています。家から1番近い、という理由もありますが。ものぐさとはいえ、ずっと同じところに行っているのは、ここはとりあえず、だいたい2回に1回くらいはうまくいくから。
あ、そうか、ということは、たぶん前回はうまくいったから、今回はカッパになっちゃったのかな?

・・・て、前回、髪を切ったのはいつだったっけ?
去年の8月に「そろそろ髪を切りたい」と思ったところまでは覚えていて、ただ8月はいつも切ろうと思うと美容院が夏休みでタイミングを失う、ということを毎年繰り返し。だから去年はどうだったか、ほんとうに行ったかどうか、いまいち記憶にない・・・。

美容師さんは「ほーら、すっごくよくなったでしょ?」と一方的に大満足。私本人は、といえば「やっぱりカッパ・・・」しかもちょっと切りすぎたかも。強いていえば、バッサリ加減が、「あさきゆめみし」(言わずと知れた漫画版「源氏物語」)の、女主人公たちが髪を下ろしたときの姿に似ている。・・・って、いいんだか悪いんだかよくわかりませんが。
まあ、さっぱりはしたし、1カ月もすれば落ち着いてくるだろうから、いっか・・・。

14 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-15 08:52 | 日常生活

戦いは続く・・・

先週、6月7日付けのこのブログで、意気揚揚と「卒論提出しました!」と書いてから、すっかり脱力して、自分で持って帰ってきたものもろくろく見もせず、そのまま仕事だの難だのにかまけていました。
昨日、友人にメイルを書いていて、ふと思いついたことがあって取り出してみると・・・なんと表紙に、重大なミス発見!!!印刷する前に、こういうのって、焦ってやってると案外自分の名前とか間違えたりするのよね、と思って、自分と、指導教官二人の名前は確認したのだけど、その指導教官のタイトルのスペルが間違っていました。あああ・・・
穴があったら入りたいとはまさにこのこと。本文の中なら、「すみません、間違えました」でごまかしちゃおうと思うけど、表紙は・・・いくら私でもちょっと・・・見逃せない。しかも人のタイトル・・・まずすぎる!!!
D指導教官にはとりあえずメイルを書いて、差し替えをしたい旨を伝えると「たいしたことないからいいわよ。こちらで直しておくから」との返答。とはいわれても、やはり差し替えたい。彼女も、サブ指導教官のM教授も幸か不幸か、面談日は今日の水曜日。

昨日、うっとうしい雨の降る中、再びコピー屋へ向かい、またもや2冊分、印刷と製本。
今日は朝9時からM教授の面談にかけつけ、ごにょごにょ言い訳して新しいほうを差し出すと、快く受け取ってくれたものの、なにしろたくさんの卒論が積まれていて、私が先週出した分はその場で発掘できず・・・。気付かれないうちに回収したかったのに・・・。
が、数週間前に1度渡していた、まだ8割方だったゲラについては「読みました」とのこと。曰く「話題は面白いけど、イタリア語が破壊的」。・・・いや、それはもうわかってはいるんですが。「章にもよるんだけど・・・特に1章がひどいよ。」一応、D教官の目は一通り入っているはずなのだけど、後で自分で整理したり追加したりしたところがまずかったのか・・・で見ると、確かに、第1章の始めの2行に、既に「小学生レベルの基本的な文法の間違い」が3つ。あらら・・・ほ、ほんとだ・・・。何でこんなこと間違えちゃったのか、自分でも理解に苦しむ間違い。英語で言うと、an apple のところを、a appleと書いてしまったようなもの。しかも1行目。多分、文章を切ったり貼ったり、移動したりと「作業」しているうちにヘンなことになっちゃったんだろうな・・・それにしても、製本に持ち込む前、何度も読み返したはずなのに。
なんだかもう自分の感情が制御しきれず、思わず笑っちゃう気分。
午後4時から、D教官の面談に行って、ことの成り行きを伝えると「そんなはずないわよ、厳しいわねー」というので、実際のページを見せると「・・・ど、どうして?」「すみません、自分でもわかりません。」と泣き笑い。
イタリア語の文法をおろそかにしてきたツケがまともに出ているということなのだけど、なんだかがっかりーというか、自分の注意力のなさにあきれる、というか。なんでこうなの???
これに基づいた卒業討論まで、まだあと約1カ月。やっぱり、まだまだ読み返して、直すべきところは直していくべきなんでしょうね・・・。

13 giu 2007
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by fumieve | 2007-06-14 20:05 | 学ぶ・調べる