ブログトップ

ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

<   2008年 04月 ( 29 )   > この月の画像一覧

ローマ市長選

a0091348_7212046.jpg


週末にローマに行ったら、ちょうど市長選まっただ中だった。知らなかったわけではないが、直接関係がないしすっかり忘れていたので、駅を降りてバスに乗ってから、町にあふれるポスターを見て「そうだった」と思い出した次第。

25日(金)が祝日だったから、3連休となったイタリア、しかも4月に入ってからもずっとぐずついたお天気が続いていたのが、ようやくすっきりと晴れ渡って、日にあたっていると汗ばむほどの陽気。・・・となるともちろん、我も我もとさっそく海に繰り出すのが一般イタリア人。そういえば毎年、この25日と、今週5月1日の祭日を含む飛び石連休あたりから、みんな海を目指しはじめる。
こんな連休に、わざわざ投票に行く人も少ないだろうと人事ながら心配にもなるが、最初からそんな事態を計算してか、先日も書いたようにイタリアの選挙は、日・月が投票日になっている。
日本と同じように学校が投票所になるのだが、そんなわけで投票日の月曜日は学校はお休み。友人の話によると、消毒(!)のため、その翌日も休みになるとか。中学生と小学生のお子さんを持つ知人は、4月は先日の統一選、今週の市長・県知事選、その間に祭日もあって学校は休みばかり。ようやく終わって5月になると、あとはもう夏休みまで1カ月・・・で、まったく落ち着いて勉強する状態ではなくなる・・・と。仕事を持つお母さんたちの苦労が眼に浮かぶよう。

さて、話を戻すと、2週間前の前政権(中道左派)惨敗の記憶も冷めやらぬうちの首都の市長選だから、世の中はいくら連休だといったって、注目は注目。中道左派・民主党のルテッリ氏と、中道右派・自由国民党のアレマンノ氏の一騎打ち。現・副首相のルテッリ氏は、文化相兼任で日本にも行ったりしているから、ニュースなどで顔を見た方もあるのでは?彼は民主党党首となって市長を辞任したヴェルトローニ氏と交代で市長をやっているから、当選すれば今回は3期目。なんとなく変わり映えがしない感じはあるが、そうは言っても戦後一度も右派がとったことのないというローマ市長、当然ルテッリに落ち着くのだろう・・・と思っていた。

a0091348_7225939.jpg

昨日、深夜少し前にヴェネツィアに戻ってニュースを見てビックリ。即日開票の結果、なんとアレマンノ氏が大逆転を果たして、ローマ市長に当選したという。統一選の日の投票ではルテッリ氏が7%くらいの差をつけて上回っていたから、見事な大逆転といっていいだろう。

今日の新聞(Corriere della Sera)に、ヴェネツィア市長カッチャーリ氏のローマ市長選についてのインタビュー記事が載っていた。
「自らも所属する民主党の敗北の原因は、何よりもまず、政府(国)の政治と、地方行政の違いを有権者に明確に示せなかったこと、そしてルテッリ氏が「古さ」の象徴となってしまったこと。一方で、アレマンノ氏は変化を求める国民に新しさを感じさせた。
民主党のヴェルトローニ元市長が、ローマ映画祭をはじめ、ローマの「国際性」を強調するあまり、決して豊かでない庶民が置き去りになった。郊外に住む、ワリを食ったと感じていた有権者たちの間を、一軒一軒訪ねて回ったアレマンノの作戦が成功したということだ。
ヴェネツィア映画祭の脅威でもあったローマの映画祭を、新市長が廃止するなら、それはヴェネツィアにとっては喜ばしことだが・・・冗談はさておき、ルテッリが勝つために、ヴェネツィアの票を分けてあげられたらよかったのだが。(・・・と余裕の発言!)
アレマンノが極右?左派が勝てば共産主義、右派が勝てばファシストと騒ぐのはいい加減にしよう!だいじょうぶ、彼は賢い男だよ!」
滞在外国人としては、そうあることを期待するしかない。

a0091348_722760.jpg


(適切な写真がなかったので、とりあえずローマで食べたものの写真を合わせてみました)

29 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-30 07:23 | ほかのイタリア

‘800. カノーヴァから第4身分まで

a0091348_7535891.jpg


ローマ、スクデリエ・デル・クイリナーレ
6月10日まで

Ottocento. Da Canova al Quarto Stato
Roma, Scuderie del Quirinale
29 feb – 10 giu 2008
http://www.scuderiequirinale.it/canale.asp?id=781

1861年、紀元後5世紀に西ローマ帝国が崩壊して以来始めて、イタリア半島は約1400年ぶりに1つの王国として統一する。ナポレオンの侵攻に始まり、国王の暗殺で幕を閉じるイタリアの19世紀は、近代化と近代国家の確立へ向かうための大きな社会変化を伴った世紀だった。

展覧会の入口で我々を迎えるのは、幻想的な風景の中、天使たちに見守られながら子に乳を与える母の姿を描いた、プレヴィアーティの「母性」(1890-91年)。そして、メイン会場へと向かう広いスロープ階段の壁にかかるのは、ペッリッツァ・ダル・ポルペドの、イタリア人ならおそらく誰でも知っている「第4身分」(1896-1902年)。が、ここは順路の最後に戻ってくることになっており、年代順から言っても、最後にじっくり見るのがいいだろう。
上階に上がって最初の展示は、カノーヴァの彫刻。ネオ・クラシック主義と呼ばれる、端正で理想的な美を追求した作品は、前世紀の名残りともいえる。が、ナポレオンに重用され、彼のためにも多くの作品を残した。一方、絵画でもナポレオン賛歌な主題からこの世紀は明ける。
やがて、ロマン主義と称される時代、ナポレオン侵略の反動で、各国で民族回帰の意識が芽生え、過去、特にルネサンス以前の「中世」を「発見」し、歴史や伝説に題材を求めるようになる。特に他国の支配下にあったイタリアでは、マンゾーニによる小説「いいなづけ」やヴェルディ作曲のオペラ「ナブッコ」など、時代は違えど、他民族の圧政に苦しむ民族がやがて立ち上がる、そんな作品がイタリア独立のシンボルとして書かれる。
絵画の世界で特筆すべきは、ヴェネツィア出身の画家ハイエツ。ネオクラシックの流れを汲む美しく理想的な画法で、歴史的・伝説的場面を多く描いた。1859年に発表された、あまりにも有名な「接吻」は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世と、ナポレオン3世の「結婚」による新しい国家の誕生を暗示しているという。

その上の階では、イタリア統一後、すなわち19世紀後半の作品が紹介されている。
ロマン主義は姿を消し、画家たちは新しい国の、国民の現実に目を向け始める。外の厳しい労働、あるいは家の中の、女性たち。そして風景。
テーマの変遷と同時に彼らはまた、色を混ぜて使うという、従来のテクニックにも疑問を覚える。色を細かい原色の粒や線に分け、視覚の効果で色を「混ぜる」、マッキャイオーリ(macchaioli)、ディヴィジオニスム(divisionismo, 色彩分割描法)が生まれる。
一方で、当時の芸術の中心地であったパリへと向かう画家たちも。

1つ気になったのは、ここ数年、マッキャイオーリや19世紀をテーマにした企画展が続き、いくつかの代表的な作品に関してはあちこちの展覧会で続けて目にしているように思えること。デジャブとまではいかないが、なんとなく、企画展としてあまり目新しさを感じなかった。ほかと比べると、テーマが広い分漫然としてしまっている点も否めない。ただ、これだけを見れば、とりあえず19世紀のイタリアを代表する画家は一通り揃うだろう。

a0091348_755120.jpg


28 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-29 09:36 | 見る・観る

「セバスティアーノ・デル・ピオンボ」展、ローマ

a0091348_22494457.jpg


ローマ、パラッツォ・ヴェネツィア
5月18日まで

Sebastiano del Piombo: Venezia 1485-1547
Roma, Palazzo Venezia
Fino al 18 maggio 2008

階段をのぼって、展覧会入口を入る。薄暗い、天井の高い、広い空間にあっと息を飲む。ついつい説明の多くなりがちな展覧会の導入部が、いきなり広い部屋というのも意外だが、屋敷のサロンと思われる部屋、四方の壁が分厚い黒っぽい壁に覆われていて、大小の窓が切ってある。その分厚い窓枠それぞれの向こうに、絵が1つ1つ掛けてある。よほどの大男でもない限り、どう手を伸ばしても作品には届かない程度に観客と離されているが、届かないとわかっている分、段差や手すりで隔てられているよりもむしろ大胆に身を乗り出して作品を見ることができる。ガラスなどの仕切りがないのも好ましい。強いていえば、周りはかなり暗い上に、各作品の表示や解説が字も小さく読みづらいが。

セバスティアーノ・ルチアーニ、通称デル・ピオンボ。
画家として認められ、名声を得るには才能や実力だけでなく、運やタイミングも重要な要素なのは今も昔も一緒。ヴェネツィア生まれのセバスティアーノが青年期に入る16世紀初頭、そのヴェネツィアは後世に名を残す絵画の大家がひしめきあっていた。15世紀末から活躍しその頃には既に巨匠の域に達していた、ジョヴァンニ・ベッリーニやカルパッチョ。そして、その次の世代、若かりし頃のティッツィアーノにジョルジョーネ。なみいる競合相手にヴェネツィアでは入り込むすきなし、としてローマに活躍の場を求めて旅立った。
特別展は、まずヴェネツィア時代の作品群から始まる。師であったベッリーニ、そしてジョルジョーネの影響を強く受けた作品は、緑濃い風景、あえて輪郭をぼやかした人物像、ほんのりとやわらかな光のもとで遊ぶ色合いが特徴。圧巻は「ソロモンの審判」。1人の幼児をめぐり、どちらも自分の子だと主張する2人の女性を前に、「それなら子どもを2つに割って分けろ」と命を下し、そこで引き下がった女性を本物の母親と裁定したという旧約聖書の逸話を描くはずだった油彩は、残念ながら未完成に終わっている。が、未完なだけに、最初の構図(下絵)が、その上から変更した構図の下に透けて見えている。白大理石の整然とした建築的背景の前に、登場人物の色とりどりな衣装が映え、およそ半世紀後にヴェネツィアで活躍するパオロ・ヴェロネーゼの前兆を思わせる。

a0091348_22512764.jpg


そしてローマへ。ここで彼は自分のスタイルを確立している。大きく伸びやかな構図、特に人物の迫力、その肉の厚さ、不自然なまでの手足の長さなどはまさにマニエリズム。
巨大な古代遺跡に囲まれ、屋敷や教会も1つ1つが大きい作りのローマ、増してや壁や天井の装飾もフレスコ画が中心だったから、伸び伸びとした構図が適し、また好まれたのだろうか。湿気が多くフレスコ画に向かず、油彩画法の確立とともに室内装飾を油彩に積極的に切り替えたヴェネツィアと、好みや必要性が違うのは考えてみれば自然のことのように思う。

a0091348_22524679.jpg
セバアスティアーノの絵は、トスカーナ(フィレンツェ)・ローマ派の構図にヴェネツィア派の色、とよく例えられるが、私にはむしろ、特にヴェネツィアの「色」というほど、その特徴を保っているというよりは、完全に脱皮して独自のスタイルを作っているように見える。
このドラスティックな変化は、彼自身の嗜好によるものなのか、それともやはりローマという落ち着き先の需要に合わせたものなのか。どちらのスタイルも存在し、まるで2人の違う画家によるかのようにスタイルの違う作品が並ぶ肖像画を見ながら考えていたのだが、次の素描の部屋で、その疑問が解決したような気がした。
緻密で隅々の線まで正確で繊細なセバスティアーノの素描は、ざっくりとラフなスケッチのみできちんと輪郭まで描き込まないヴェネツィアの画家たちの素描とはずいぶん異なるものだった。彼はヴェネツィアから逃げたのではなく、ローマこそが「肌に合う」、ほんとうの活躍の場だったのだろう。
デル・ピオンボ(Del Piombo)は、教皇庁の中で鉛(piombo)の印章を管理する役職を得ていたことから。

特別展の会場となっているヴェネツィア館(Palazzo Venezia)は、1455年にヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボ、のちのローマ法王パオロ2世の住居として建てられ、1564年からはヴェネツィア大使館住居として利用されていたもの。セバスティアーノ・デル・ピオンボの初の企画展を、ゆかりのある同時代の建物で楽しめるのはすばらしい。

a0091348_22503829.jpg


27 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-28 17:02 | 見る・観る

コントラバス・コンサート、ローマ音楽院

a0091348_314571.jpg


ローマ、サンタ・チェチリア音楽院
Concerto finale della Masterclass di contrabbasso del Maestro Thierry Barbè
Conservatorio di Musica “S.Cecilia”, Sala dei Madaglioni

a0091348_3161264.jpg
Mozart: Concerto in la magg. per c.basso e piano. (I mov)
Bottesini: Elegia per c.basso e piano
Bottesini: Nel cor più non mi sento. per c.basso e piano
Gliere: 4 pezzi. oer c.basso e piano
Lancen: Concerto per c.basso e piano (I mov)
Barbè: Nior, Nicar, Occimental per c.basso e piano

所用のためにローマに来たところ、ここの音楽院でコントラバスの演奏会があるからこないか、というお世話になっている友人のその友人のお誘い。コントラバスの演奏とは珍しい!と喜んでお誘いに乗ることにした。

a0091348_3204285.jpg
ローマの音楽院に入るのだってこちらは初めてなので興味津々。なんとあのスペイン広場からすぐ近く、週末で観光客のごったがえすコルソ通りから1つ入ったところに、何気なくある建物の1つだった。中はさすがに大きくて、きれい。階段が広くて曲がっていない、とか、廊下がまっすぐ・・・とか、ヴェネツィアの音楽院に何度か潜入したことのある身からするとさすがローマという感じ。芝生の青々とした中庭には椰子の木がすくっと1本。






a0091348_321262.jpg


プログラムを見て、友人と作曲家の名前もモーツァルトしか知らないね~と言っていたのだが、ボッテジーニというのはまさにコントラバスの作曲家なのだそう。確かに、モーツァルトはやはり最初に持ってきただけあって、モーツァルトらしい、きれいで美しい曲だがまあ想像できる範囲というか、あまりびっくりするものではなかった。
その後からが、ほんとうに驚嘆の連続。オーケストラならボン、ボン、と最も地味に一番下の音階を、ジャズでもせいぜい階段を上り下りしているくらいの動きを(多少ソロがあったりするが)、あくまでも「ベース」の役割のコントラバスが、実はここまでの表現力を備えていたとは。美しい旋律から軽快なリズム、それもまさに大は小を兼ねる・・・なのだと思ったのは、その音程の広さ。本来のベースの部分はもちろん、あるときはチェロ、あるときはヴィオラ、ヴァイオリンまではわずかに届いていないようだが、自由自在な音程をその大きな体で深い響きにして聴かせる・・・。楽器が大きい分、細かい動きを弾きこなすのはそれだけ難しくなるそうだが、弦楽器の魅力をたっぷり詰め込んだコントラバス、これからちょっと気になってしまいそう・・・。

a0091348_3172082.jpg


本日の演奏会は、ここで行われていたコントラバスのマスター・クラスの最終日で、そのマエストロ、Thierry Barbè氏によるもの。もちろん知らないと来られないが、来るもの拒まずというか、パリ・オペラ座のソリストで、パリ高等音楽院教授という方の演奏が一般に無料で公開されているのはすばらしい。
友人と、その友人と、そのご主人に感謝!!!

a0091348_3182363.jpg

26 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-27 19:22 | 聞く・聴く

サン・マルコの日~ヴェネツィア藤散歩

a0091348_41713.jpg


Giorno della Liberazione, di S. Marco

イタリアは本日、解放記念日で祝日。ヴェネツィアにとっては、守護聖人・聖マルコの日でもある。が、そういえば、この日のヴェネツィアは、ミサがあるのはもちろんだが、あまりそれ以外お祭りらしいお祭りがない(ような気がする)。ただ、サン・マルコと関係があるのかどうなのか、どういう由来なのか調べてもいないのでよくわからないのだが、この日、ヴェネツィアでは男性が女性に、特に大切な女性にバラの蕾を1輪、贈ることになっているらしい。

a0091348_419470.jpg
植わっているバラはまだ花をつけているのチラホラだが、この時期、一斉にその見事な花を競うように咲かせているのは藤。藤の花は、ヴェネツィアだけでなく、北イタリアでは比較的よく見かけるから、きっと気候に合うのだろう。・・・そういえば、ローマではどうだろう?
それでも、ヴェネツィアはアルターナという屋上テラスや中庭を大切にする文化があるからだろうか、他の植物に比べて圧倒的に目に付く割合が高いように思う。

a0091348_4265970.jpg


自然のままにぐんぐん大きくなってしまったもの、他の木にまとわりついて乗っ取ってしまいそうな勢いのもの。ちょっと見上げたところにあるテラスにしつらえた藤棚や、レンガの壁からこぼれる藤の花、あちこち歩いて人のお宅をのぞきこみながら、すてきな藤を見つける楽しみは、ちょっと日本の桜のような感じでもある。

a0091348_4215546.jpg


a0091348_4202737.jpg


a0091348_4195075.jpg


a0091348_4223133.jpg


a0091348_4233318.jpg


a0091348_42463.jpg


a0091348_4242982.jpg



25 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-26 04:27 | ヴェネツィア

セビーリャの理髪師~怒れるイタリア人

a0091348_215620100.jpg


Il Barbiere di Siviglia
Teatro la Fenice

フェニーチェ劇場で「セビーリャの理髪師」の公演を見て、家に帰ってきたら知らない人からメールが入っていた。たくさん届く迷惑メールの1つだろうと思い、よく見もせずに捨てようとしたのだが、なんとなくタイトルが気になってつい開いてしまった。
「フェニーチェの親切なサービスの答え方」。
いわく、このメールを送ってきたGSさん、フェニーチェのシーズン・チケットを持っている。今回、この公演にあたり直前になってキャストの変更がなされて、それがメールで知らされたこと、苦情のメールを書いたところ、フェニーチェの担当者の不適切・不親切・失礼な返答があり、怒っている。メールでお邪魔をして申し訳ないが、こういう事実をぜひみなさんも知っていただきたいので、これまでのやりとりを以下に添付する、と。
それが同送で50人ほどに送られていて、ざっと見るかぎり、正直のところなぜ私が含まれているのかがよくわからないのだが・・・。

補足すると、シーズン・チケット(イタリア語では「定期券(abbonamento)という」)は、シーズンの始まる数カ月前に販売され、そのシーズン全ての公演日時の組み合わせがその時点で(理論上は)確定している。フェニーチェの場合は、AからEまでの5種類の定期があり、Aは全初日公演、残りは原則的に、Bは日曜日、Cは土日含むいろいろ、D,Eは平日となっていて、価格で言うとAは特別に高く、D,Eが一番安い。ちなみに初日は、ふつうのチケットでも他の日に比べて高くなっていて、それは伝統的な劇場の場合どこもそうなのではないかと思う。
そして、オペラの場合はこれも一般的なことだと思うが、公演の回数や日程にもよるが、1つの公演に対しキャストが2組(以上)あって、交代で公演を行う。
歌手だって人間だし、それがやむを得ぬ事情で変更になることある。当日券を買ったって、当日直前に変更になることもないとはいえない。それが映画とは違うところ。
が、今回、このGS氏が問題にしているのはまず、そのキャストの組が、シーズン・チケット購入時にはA公演と同じ第1キャストのはずだったのが、直前に第2キャストに変更になったということ。名前、すなわちレベルが明らかに違うキャストに一方的に変更になるのはおかしい、今後はこういうことがないことを望む、とメールした。ところが、マーケティング&コミュニケーション担当のC氏から来た返答は、「名前が違うのはたまたま有名かどうかだけで、第1、第2キャストで質には全く違いはない。どちらのキャストも同じように喝采を浴びた。また、価格的に差のある他のチケット(Aなどのこと)に関してはある程度の優先権を持つと考えられるが、あなたのチケットに関してはそれは主張できない」。
GS氏「この返答は嘘と偏向に満ちている。第1、第2の差は、聴いた観衆も認めていること。実際、私の聴いた日には一部でブーイングも起こっていた。Aと価格差があるのは当然のこと。問題は、購入時のメニューと実際の公演内容に違いがあったということ。レストランでスズキを注文したのに、出てきたら鰯だったというようなもの。しかも会計はそのままで。」
スズキは確かにレストランで食べるご馳走、という感じで一方鰯は庶民の食事、この辺の例えがやっぱりヴェネツィア人なのかな~とちょっと笑ってしまった。
そして、昔からのファンをないがしろにして、文句を言わない観光客のほうだけを向いているといつかバチがあたるぞ、みたいな風に終わっている。
それに対するC氏の返答、「ともかくAとはこれだけ値段が違うのだから、文句は言うな、気にいらないなら払い戻しをするから正式に申し出よ。そもそもシーズン・チケットを買えるだけ幸運だと思え。その席が買いたくても買えない人はたくさんいるのだから。マスコミにリークしたいならご自由にどうぞ」。

a0091348_21565391.jpg


しばらくすると、同送を受けたらしい人から返答が入っていた。
「私がいえるのはただ、その日の歌手たちは受け入れられるものではあったが、それ以上ではなく、まったく感動をよびおこさない冷めた公演だった。まあ観光客向けに企画されたものということだろう。
シーズンチケットのサービスに関して言えば、それを持つ「幸運」に恵まれる我々は、譫妄状態にある。世はもはや形式を失い、公式な発表ですら、既に完全なでまかせだといえる。」

24 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-25 21:57 | 日常生活

イタリアの見た日本人5・ヴェネツィアが失くしたもの

a0091348_3392765.jpg


イタリアの見た日本人:これまでのお話
4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

順番が前後するが、少年使節団は、もちろんヴェネツィアにも滞在している。
ローマを発った後、中部イタリア各地を通り、キオッジャからヴェネツィアへ入ったのが6月26日。この時に何を着ていたのか、当時の記録の間でも若干食い違いがあるのだが、旅の間はおそらく、法王から賜った「イタリア式」の服装でいたと思われる。
28日、ヴェネツィア総督ニコロ・ダ・ポンテの謁見にあたっては、「日本風の服装」で現れた、と、ヴェネツィアの年代記者、ジャコモ・サヴィーナは書いている。が、「模様の入った絹でできた、短い上着に幅広いズボン、刀と短剣を携えている。刀には長く高価な柄がついており、鞘は蒔絵でできている。」とだけ。
「何を着ていたのか?」に興味のある私にはちょっと物足りない。

a0091348_3395385.jpg

ところが!なんとこのとき、彼らはヴェネツィア共和国に、装束一式をプレゼントした。こちらについては詳細な記録が残っていて、
1白いタフタでできた、長く幅広いズボン
2鳥や花、植物が多色で描かれた中着
3ターコイズ・ブルーや黄色で模様の描かれた、浮き織の錦の短い上着
4タフタでできた半袖の上着、赤で裏打ちされ、表は多彩に模様が入ったもの
・・・そして、その後、刀や短剣についての詳細が続く。

これらの贈答品は、長いことパラッツォ・ドゥカーレ(Palazzo Ducale、総督館)で展示されていた。そう、サン・マルコ大聖堂の横に建つ、湾に向かって建つピンクと白のレース模様でできた建物。ヴェネツィア観光に来ればたいてい1度は訪れることになる、あのパラッツォ・ドゥカーレの中に。
確かにあそこは見学したけど、広すぎてどうも・・・そんなものがあったかどうか・・・と頭を悩ませてしまったら申し訳ない。残念ながら、現在はもう、あそこには存在しない。
では、一体いつどこへ行ってしまったのか?
わかっているのは、2つのデータだけ。1773年8月1日付の目録には、まだそこにそのまま展示されていたことが記されている。が、1799年の記録からは全く跡形もなくなくなっている。その間に何があったのか?
1797年、ナポレオンのイタリア侵攻により、1000年以上続いたヴェネツィア共和国はその歴史の幕を閉じる。パリを名実ともに世界の中心とするために、世界一の美術館を作るために数多くの美術品をヴェネツィアから没収していったナポレオンが、この小さな宝も奪っていったのだろうか?・・・正直のところ、何百年も前の古ぼけて色も褪せていたであろう数枚の絹製品を、ティツィアーノやヴェロネーゼの巨大な油絵と共に持ち去ったとは思えない。刀剣類は、ひょっとしたらひょっとするが、衣類が、そこで目をひいたとはちょっと考えにくい。
そして話がややこしいのは、近代ヨーロッパでフランスとオーストリアのはざまにあったヴェネツィアは、その2国間でまるでピンポンのようにコロコロと支配が代わる。一旦フランスに占領されたヴェネツィアは、半年もたたないうちにオーストリア占領下に移っている。パリのルーヴル美術館と、ウィーンの歴史美術館、両方の倉庫を隅から隅まで探せば、ひょっとしたら絹の布きれ1枚、色のあせた鞘が見つかったりすることもあるかもしれないが・・・。

a0091348_3401810.jpg

ヴェネツィアにはもう1つ、少年使節団に関連する謎がある。彼らがやってきたとき、共和国政府は、当時を代表するヴェネツィア画家ティントレットに彼らの肖像画を依頼している。前年までにパラッツォ・ドゥカーレの大評議の間、評議の間などの一連の絵を仕上げていたティントレットは、ほぼ同時に、スクオラ・ディ・サン・ロッコ(Scuola di San Rocco)の1階、聖母マリアの物語のシリーズにもかかっていた。一大プロジェクトを前に、国賓扱いとはいえ東洋の小さな少年たちの肖像を描く余裕がなかったのか、既に巨匠の域に達していた大画家の気が向かなかったのか?
a0091348_3382741.jpg
どうやら、4人のうちの1人だけ、伊藤マンショの肖像は描いたらしい。1648年に、ティントレットの一生とその作品についての本を書いたリドルフィはそれが「ティントレットの自宅にあった」と書いている。マンショの肖像画は1度も政府に届けられることはなく、どこかで公開されることもなかった。そして、他の3人については、手をつけることさえなかったようだ。政府から、きちんと支払いがあったにも関わらず。何かと細かく口うるさかったはずの共和国政府が、催促もせず、何も言わずにいたのも不思議な気がするが・・・。
a0091348_3385514.jpg
そうしてあくまでも個人の所有であったために、1664年、1674年にボスキーニによるヴェネツィアの公共財産の目録には、全く名前すら出てこない。
ティントレットと、その息子たちの死とともに、工房も家も財産は離散しており、どこでどうなったのか、これも全くその後の記録はない。

ヴェネツィア・・・少年使節団に関して言えば、あまりにも貴重な財産を失っている・・・。
(続)6・番外編:ない袖は振れぬ?

a0091348_3404412.jpg


23 apr 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-24 03:51 | 卒論物語

東へ西へ・・・

a0091348_17572060.jpg


ヴェネツィアから本土へ向かって、自由の橋(ponte della Libertà)を渡るとき、天気がいいと右側正面にずーっと、真っ白に雪の積った山が見える。ずっとアルプスの山だと思っていたが、正確には「前アルプス」(Pre Alpi)というらしい。
本土側に入ってメストレの駅に着くとそれが見えなくなるのだが、電車に乗ってしばらくすると、北側に今度はもっともっと近く迫って山が見えてくる。トレヴィーゾを通って東、ウディネ方向へ行くときはポルデノーネあたりから。まっすぐミラノ方向へ向かうと、ヴェローナあたりで一旦ぐぐっと迫り、その後一度少し離れながらも、ずっと稜線が見えている。
今年は特に、3月4月になってから山では雪がたくさん降っているから、晴れているときにはそれがいっそう真っ白で鮮やかに見える。

a0091348_17574123.jpg
雨が多くて、いつまでも寒いと思っていたが、ヴェネツィアではいつのまにか、藤の花が満開になっている。





そして電車に乗って走ると風景が着実に変化しているのに気付く。ちょっと前までは、裸の土だった畑は一面緑に覆われ、葉をすっかり落として寒々としていた枯れ木は、いつのまにか新緑を芽吹いている。緑・緑・緑・・・。
あ、と思ったのはミラノからさらにトリノに向かう途中。ノヴァーラに入ると、突然周りが水だらけの風景。イタリア一の米どころで知られるノヴァーラ、なるほどこれが田植え前の水田というわけ・・・。畔道を自転車で走るおじさんなどが見えて、のどかな風景。
a0091348_17581784.jpg


一方、昨日は陽光のもとで絶景を見せていたガルダ湖周辺、帰りに写真を撮ろうと思っていたら、今日はもうどしゃぶりに近い雨になっていた。

15日(火)から昨日21日(月)までの1週間、全部で約2700kmくらい移動した。たまたま仕事その他重なって、北イタリアの中であっちへこっちへといろいろ無駄も含めて動いていたので、試しにざっと計算してみたらこんな数字になった。それも飛行機でなく全部、鉄道または車。
ヴェネツィアにいるときはせいぜい半径2km、それもそのうち半円の間くらいで行動しているから、やっぱりすごい距離のように思う。

時間にしておおよそ、車5時間半、電車は23時間プラス、遅れの合計1時間弱とキャンセル1回。ちなみに、これだけ乗って大幅に遅れたのは1回で30分ほどなのは、かなり運がいいと言えるかも・・・が、暗いうちに起きて駅まで行って、乗るはずだった電車が簡単に運休になっていたのにはほんとうに参った。早朝のことで、もちろん、切符売り場の窓口だって開いていない。

昨夜11時過ぎ、再び自由の橋を渡って、ヴェネツィアの光が見えてきたときには、さすがにほっとした。おつかれさま、私。

22 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-23 17:59 | 旅先にて

フオーリ・サローネ(サローネ番外)~ミラノ散歩のススメ

a0091348_20122825.jpg


フオーリ・サローネ(サローネ番外)~ミラノ散歩のススメ
ミラノ
4月21日まで

Fuori salone
Milano
15-21 aprile 2008

最初はきっと、「ミラノ・サローネ」に出展している企業が、ミラノの町の中心部にある店舗でもこの期間、展示会に合わせたディスプレイをしたり、あるいは、展示会場への参加は費用がかかりすぎて断念せざるを得ない企業などが、代わりに町の中に小さな展示場を独立して設けたり。ほんとのとこはよく知らないのだが、おそらくそんなふうに最初は始まったのではないだろうか。大きすぎて結局目新しいものがなかなか見つからない、ほんものの「サローネ」よりも、「フオーリ」(fuori、外)のほうが実は面白い、と聞いていて、それは一度機会があったら回ってみたい、と思っていた。

「ミラノ・サローネ」が、本来はあくまでも家具売買の商談のための真剣勝負の場とすると、こちらは完全に家具、デザインをコンセプトにしたイベント。家具・インテリア関連の企業、店舗はもちろん、ファッション、デザイン、現代アート・・・などがそれぞれ、ちょっとした展示を行ったり、カクテル・パーティーを開いたりしている。
今回初めて知ったのだが、これ、それぞれの店や企業が独自でやっていることなのかと思っていたら、「フオーリ・サローネ」、サローネ番外編、とでもいうべきか、無料で手に入る公式ガイドまであり、その参加数、なんと413。
このガイドがとてもよくできていて、アルファベット順の参加者リストと、日付別のイベント情報とダブル仕立てになっていて、どちらかもお目当てが検索できる。そして全会場を示した地図もついているので、エリア別に探すことも可能。イタリアのイベント会場の地図は、しばしば見た目ばっかりでわかりにくいことが多いが、これは地下鉄の駅も、それもちゃんと路線別に色分けされていてとてもいい。

a0091348_2081113.jpg
短い時間で、どこへ行ったらいいか見当もつかなかったので、とりあえず、ブランド・ショップ街として知られるモンテナポレオーネ通りへ行ってみた。
a0091348_20142763.jpg
が、こちらは、ディスプレイに、ソファなど多少それらしきものを使っている程度で、そう特別、いつもと変わらない。違うのは日曜日の午前中だったために、圧倒的に人が少なかったことくらいか・・・。
a0091348_20133598.jpg
それでもさすがにディプレイがきれいなので、いろいろ写真を撮ってみるが、ここはミラノ?というくらいの青空で、ガラスに全部外が反射してほとんどうまく写らない。
サンタンドレア通り、スピーガ通りと抜けて、ブランド・ショップのウィンドウ・ショッピング終了。






a0091348_209254.jpg

どうしようかな・・・と、なんとなくぶらぶらとブレラ方向に向かい、その手前で喜多俊之さんの展示に入った。
a0091348_20101344.jpg
「自然とテクノロジー」をテーマに掲げた作品は、丸太に金属を組み合わせたいす、和紙を使った照明。サクラの無垢材そのままのテーブルに、桐の箱に真っ白の有田焼を入れた”Hanabako”など、シンプルで美しい。なつかしくモダンで、これぞ日本のデザインと、なんだかほっとする。






a0091348_2011198.jpg

a0091348_20114384.jpg
フィオーリ・キアーリ通りへ曲がると、石畳の狭いこの通りではのみの市開催中。もともとちょっとおしゃれな通りだけあって、フオーリ・サローネ参加の目印、INTERNI(中)と書いたのぼりがあちこちに立っている。
ランツァ駅から地下鉄2番線(緑)に乗って、サンタゴスティーノへ。

a0091348_20125959.jpg
Japan Industrial Design(JIDPO、日本工業デザイン)の展示に向かう。ちょっと遠いので、ほんとうはここまで来るつもりはなかったのだが、前述の喜多さんがキュレターになっているので、急にどうしても見なければいけないような気になった。よくできているはずのガイド、よりによってここの表示が間違っていたために、同じ通りを何度も何度も行ったり来たりして、ようやく見つけた会場は、いわゆる日本のハイテク企業の、「デザイン」ものがちょこっと並んでいるだけ。内容もディプレイも、(わざわざ来たのに)え?これだけ?と正直のところちょっとがっかりしてしまった。
ここはトルトーナ通りを中心に、「フオーリ」イベントが集中しているエリア。たくさんの人が地図を片手に、マークを目印に次々とイベント会場を回っている。

デザインやアート、ミラノらしいテーマをたよりに、ミラノの町をあちこち歩いてみる。宝探しをしながら、ミラノの町そのものの楽しさを再発見する、そんな機会のように思った。
課題はトラムで、あれを乗りこなせるとミラノ散策はもっと楽しい。

a0091348_2073813.jpg


20 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-21 08:06 | 見る・観る

4月の土曜日

a0091348_024190.jpg


ようやく1日晴れたかと思うとまたすぐに雨、と、まるで梅雨のように雨ばかりだった4月、今日はようやく明るい日差しの週末となった。
午後になって、また雲が出てきたものの、サンタ・マルゲリータ広場(Campo S.Margherita)は土曜日の夕方を楽しむ人々でいっぱい。
明日も晴れるといいね!

a0091348_033345.jpg


19 aprile 2008
[PR]
by fumieve | 2008-04-20 08:00 | ヴェネツィア