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ヴェネツィア ときどき イタリア

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トスカ

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ヴェネツィア、フェニーチェ劇場

作曲 G. プッチーニ
指揮 Daniele Callegari
監督 Robert Carsen

Floria Tosca Daniela Dessì
Mario Cavaradossi Fabio Armiliato
Il balone Scarpia Carlo Guelfi

「歌に生き、愛に生き、生きた魂をもつものに悪いことなどしたこともない。
常に厚い信仰を持ち・・・祭壇にはいつも花を供え、聖母には宝石、そして歌を捧げた星と空は一段と美しく輝いた。
苦しみのとき、なぜ神は私をこんな目にあわせるのか?」
地元のイタリア人なのか、外国人観光客なのか、アリアだろうがデュエットだろうが、小声でおしゃべりしたり出入りしたりと、いつも何かとがたがたとうるさい劇場も、このときばかりは、しーーーんっと、水を打ったように静かになった。
トスカの悲痛な叫びが、声量たっぷりの澄んだ歌声に乗って劇場内を圧倒する。

プッチーニ年にあたる今年、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場では、1月の「つばめ(La Rondine)」に次いで2演目め。
ローマのサンタ・マリア・デッレ・ヴァーレ教会。1幕はほとんど、そこでマグダラのマリアの絵を描くカヴァラドッシと、その恋人トスカの痴話げんかと言ってよいくらい。
政治犯脱獄囚アンジェロッティをかくまうカヴァラドッシ、誰かほかの女を隠していると疑うトスカ。金髪で青い目、そのモデルは誰なの?誰でもない、自分が愛しているのは、黒い髪に黒い瞳のトスカ、君だけだ・・・あの目を黒く塗り直して!何をばかなことを!
上演機会の多いトスカを見たのは、私も今回初めてではない。が、言葉がわかるようになって、それもイタリア語字幕を一字一句辿りながら聞いていると、そのあまりのリアルさにびっくりする。
嫉妬深く自己中心的で、無理難題を言うトスカ。隠しごとを秘めながらも、そんな美しい恋人をなだめるために、口先の約束をするカヴァラドッシ。演出が現代に近い設定になっているためもあるだろう。・・・が、なんだかともかく、その辺にいるごくごく普通のイタリア人カップルの会話を耳にしているようだ。・・・しかも、しつこい。
決して大げさでも何でもない、イタリア人そのものの会話に辟易としてくるころ、教会で歌われる祝賀のコーラスが一旦その感情を静めるようにして、幕を閉じる。

サンタンジェロ城で展開する2幕。脱獄囚隠ぺいの罪で逮捕されたカヴァラドッシ。彼の命と引き換えに、トスカの体を求めるスカルピア男爵。あまりにも単純なストーリーだが、このスカルピアがまた、声といい顔といい、いかにもそこら辺にいそうな小ずるい男そのもの。
拷問に悲痛な声をあげるカヴァラドッシ、その声を聞いて悲嘆にくれるトスカ。迫るスカルピア。そこで歌われるのが冒頭に引用した「歌に生き、愛に生き」。1幕ではあまり本領を発揮していたと思えなかったソプラノだが、ここはさすがにさすが。
クラシックな家具を最低限置いただけの舞台や照明の扱いもいい。特にスポットが通常よりも多くいろいろなところに設置されて面白い効果を出していたり、壁に埋め込まれたドアを開けたときに、その向こうからあてた光がドラマチック性をより高めている。
中央でスポットを一身に浴び、嘆きの美声を聞かせるトスカ、そうして聴衆の大きな拍手を受けるトスカを横目に、その影にひそむスカルピアもまた、ここでは思い通りにいかぬ恋に悩む哀れな中年男に見える。
苦悩の末に、それでもスカルピアの提案を受けるトスカは、しかし隙をついて彼を刺し殺す。
3幕。銃殺刑を受けるカヴァラドッシ、それは空砲だから倒れるフリをして、と伝えるトスカ。それが終わったら2人で外国へ逃げよう!と。
ところが、銃は本物だった。あえなく命が果てるカヴァラドッシ。スカルピア刺殺が発見され、追手の迫るトスカは、そのままサンタンジェロ城屋上から身を投げる・・・。

終わって、ほっとした、と言っていいくらい、こわかった。荒唐無稽と思いつつも、結局息もつけぬほど引き込まれていたのは、やはり名作であり、名演だったのだろう。1幕では全体に飲み込まれていた感じのソプラノ(トスカ)だったが、2幕、3幕は、場を完全に圧倒し、君臨していた。カヴァラドッシ(テノール)やスカルピア(バリトン)も決して悪くはなかったが。

(上の写真は劇場の公式サイトより)

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30 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-31 18:36 | 聞く・聴く

渡邉麻子さん ピアノ演奏会のお知らせ

各種イベント紹介のうち、展覧会情報はともかく、演奏会などはどうしても後日談になってしまうので、たまには先にご案内を。

半年前に、ピアノでヴェネツィア音楽院の修士課程相当コースを修了した渡邉麻子さんの演奏会が、この週末、同・音楽院で行われます。これは、この1年間のピアノ科の卒業生のうち、最優秀者に与えられるMarina Pasqualyという賞の一環。
プログラムによると、ヴェネツィア出身のピアニスト、同音楽院で長く指導にもあたったマリーナ・パスクワリーを記念して2005年に創設されたこの賞は、今年が第4回にあたる。そして、外国人の受賞は今回初めてという。
(実は去年、同じ演奏会を聴きに行っているはずなのでご参考までにと探したのだが、どうやらブログに残さなかったらしい・・・残念。)

ヴェネツィアおよび近郊在住の方々、またはたまたまヴェネツィア旅行中の方々も、お誘い合わせのうえ、ぜひ足をお運びください。

日時 5月31日(土)18:00-
場所 ピサーニ館Palazzo Pisano
(ヴェネツィア音楽院Conservatorio di Musica Benedetto Marcello Venezia)
コンサートの間Sala Concerti
入場無料(要・招待券ですが、なくてもその場で券をもらえると思います。不安な方は、事前にコメントなどで私の方までお知らせください。)

プログラム
Mozart, Rachmaninov, Casella, Busoniより変奏曲

それでは、当日会場にて!

29 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-30 04:18 | 聞く・聴く

Riva Reno~危険な予感

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先日から、ちょっと気になっていた。
仕事&暑さを言い訳に、ここ数日全然歩いていなかったから、少し散歩をしようと外へ出て、運動不足解消のはずが、ついフラフラとジェラテリアに入ってしまった。先日紹介したLa Boutique del Gelatoと同じ通り。家から行くと少し手前にある。

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シンプルでモダン、ちょっとおしゃれな構えのジェラート屋。ケースをのぞくと、あ、これは見るからにおいしそう・・・!
保守的なイタリア、みんなのジェラートの好みも保守的で、まずは定番のFiori di Latte(ミルク)やCioccolato(チョコレート)、Limone(レモン)やYogurt(ヨーグルト)。
ところがここは、おなじみの味のほかに、何やら見慣れぬ表示が並ぶ。Leonardo(レオナルド)だの、Pistacchio di Bronte(ブロンテのピスタチオ)・・・など。
人のことは言えない、ついついいつも同じものを食べてしまう私も、これは何か、せっかくだから目新しいものに挑戦しよう!・・・と、迷った末に選んだのは、
San Luca(サン・ルーカ):ホワイトチョコレート、さくさくライスパフ
Contessa(コンテッサ、伯爵夫人):アーモンドとヘーゼルナッツのクリーム、アマレッティ(という名のビスケット)、キャラメルがけアーモンド
(我ながらものすごいカロリーだが・・・。)a0091348_4243122.jpg

壁には「牛乳、生クリームをはじめ、すべての材料に一級品を使い、水素脂肪(?)、保存料、防酸化剤、人工着色料は一切加えていません。また、伝統的レシピに加え、新しいレシピの開発にも取り組んでいます・・・」云々との但し書きが。
2スクープで2.5ユーロは、ヴェネツィア一高いのではないかと思うが、これだけのこだわりなら仕方がないか・・・。やっぱり、さすがにおいしい。それぞれのケースが小さめなのも、なんだか特別大切に作られているような、高級感をあおっている。

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注文したジェラートをベロベロ食べ始めてから、これまたとてもおいしそうなグラニータ(かき氷)があるのに気がついた。・・・イチゴ、桑の実、そしてパッションフルーツ。うーーーん、これはおいしそう・・・今日の気候には明らかにこっちのほうがよかったな・・・。

そういえば、先月はローマでも新しいタイプのジェラート屋を教えてもらった。イタリアの立派な大産業と言っていいジェラート業界も、競争の激化で安い大量生産品が出回る一方、昔ながらの味、ほんもの味を提供しようというお店もまだまだ頑張っているのはうれしい。
実は私の住む家のすぐ近くにも、有名なジェラテリアの支店が開店する予定。この夏のヴェネツィア・ジェラート戦争には否応なく巻き込まれてしまいそう・・・。

28 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-29 04:27 | 飲む・食べる

暑い・・・

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2,3日、じめじめと蒸し暑い日が続いて、今朝はなんだか久し振りにさわやか!・・・と思ったら、晴れたのはいいが、真夏本番な暑さ。イタリア全国で軒並み30℃を超える暑さだったらしい。

あまりの暑さにへたばりそうになりながら、出先から帰ってきたら、ヴェネツィアは風があってちょっとましかな・・・とも思ったが、やっぱり暑い。

とても何かを調理して食べる気にはならず、今晩は今年初のインサラトーネ(Insalatone、大サラダ)にすることにした。最近、冬の間はまったくサラダや生野菜を体が欲しないが、今日はレタスなどをバリバリ食べたい気分。
スーパーで安売りになっていたキュウリ、つい数日前は、まだ早い・・・と思っていたが、今日はきゅうりを刻んだときの匂いがいかにも涼しげ。まさに体が欲している。
モッツァレッラも、家で食べるのは久し振り。それに、いつもインサラトーネには欠かせない胡桃を刻んで、残り物のパンチェッタをさっとフライパンであぶってかける。塩分はこれで十分なので、あとは、オリーブオイル少々とバルサミコ酢をたっぷりかけて・・・
いただきまあす!

27 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-28 06:39 | 日常生活

イタリアの見た日本人7・番外編:ない袖は振れぬ?2

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イタリアの見た日本人:これまでのお話

6・番外編:ない袖は振れぬ?
5・ヴェネツィアが失くしたもの

4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

Quattrocento(クアットロチェント、400)、すなわち15世紀の間に大流行した垂れ袖だが、Cinquecento(チンクエチェント、500)16世紀に入ると急にその姿をひそめてしまう。
15世紀に、特に「東方三王の礼拝」で豪華でさまざまなタイプの垂れ袖が描かれていたのは、前回紹介したとおり。それは何よりも、東方といえば、香辛料などのほかに豪奢な生地でも知られ、特に東方三王は裕福の代名詞でもあるからだが、ここでもう1つ、面白いことに気がついた。
16世紀に入ると、数はぐっと減るもののやはり「東方三王」に垂れ袖を見ることができる。

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たとえば、ヤコポ・バッサーノ(1562年、ウィーン歴史美術館蔵)では、聖母子の前に跪く最年長者メルキオール。その後ろに控える、バルダッサールは黒人として描かれており、ターバンに、長い垂れ袖を背中に回し、どうやらベルトにはさみこんでいるよう。

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あるいは、大ピーター・ブリューゲル(1564年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)では、三人三様、かなり独特の格好をしているが、やはりメルキオールが長い垂れ袖を地に引きずっている。
ロンドンではもう1つ、Bartholomaeus Spranger(1595年ごろ)でも同じような形を見つけた。

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つまり・・・同じ東方三王の中でも、15世紀中に垂れ袖を身につけていたのは、最年少者ガスパールと、せいぜい中堅のバルダッサールだったのが、16世紀に入ると最年長者のメルキオールが中心になる。
若者は最新の流行を追い、年長者は服装も保守的になるのは、古今東西どこも同じ。家族の肖像画の中では、だから父と息子、母と娘でスタイルが違うのはよくあること。これは結局、16世紀には垂れ袖はほぼ流行遅れになっていたということを示している。

が、もう1つ。東方三王以外で、わずかに見かけた垂れ袖の例を集めてみると、

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ジョルジョーネ「幼子モーゼの炭の試練」(1500-01年)、左端の玉座に座るファラオは、後ろに垂らした袖が床に届くほど長い。

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シエナ大聖堂内のピッコローミニ図書室、ピントリッキオによる「エネア・シルヴィオ・ピッコローミニ物語」のうち、例えば「アンコーナにおける法王ピオ2世の十字軍開始宣言」(1505-07年)の中、足元に跪くターバンを巻いた男性は、垂らした袖を優雅に腕に巻きつけている。

少し時代が下って、ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「水から救出されたモーゼ」(1530年ごろ)では、両腕を広げて幼子を受け入れるポーズのファラオの王女の後ろに控える、ちょっと不思議な格好で完全に回りから浮いた男性が垂れ袖を腕に巻いているが、よく見ると垂らした部分の下の方にも開口部があり、この部分だけ見ると実は、悩ましい少年使節団のヴァチカンのフレスコ画の袖にとてもよく似ている。

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そして、ヴェネツィア、スクオラ・ディ・サンロッコ内、ティントレットの「十字架降下」。たくさんの登場人物がいるが、右下、白馬に乗った、赤いターバンの男性を見ると、両袖を後ろに回し、袖同士をくるりとひっかけている。肌の色は完全に黒。

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すなわち、イタリア各地であれだけはやった垂れ袖も、16世紀に入るとそれを身につけているのは、東方三王は言うに及ばず、それ以外も全員「東方の外国人」。

ハタ!と気がついてもう一度、チェーザレ・ヴェチェッリオの「世界の古今の服装」(第2版、1598年)を見に図書館へ行った。1ページ1ページ、全部の挿絵を見る。お尋ねものの垂れ袖はいくつも登場するが、それはすべて、「昔の服装」または「外国人の服装」だった。特に1つ、象徴的だったのは、「貴族のホーム・ウエア」。「この時代に利用されるようになった『東洋風』の上着は、ゆったりとして、かつ、しばしば肘のところが開口しており、そこから腕を出せるようになっている」。

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少年使節団のあの袖、彼らがほんとうに身につけていたのかどうかは疑わしい。が、あれが「東方からの人」の象徴だったのだ・・・。

その後すっかり姿を消す垂れ袖だが、再び目にしたのは、W.Bruhn, M.Tilkeによる「各世紀の服装。欧州外を含むすべての時代、民族の服装の記録」というやはり世界服装図鑑(1945年)。

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「トルコ、1800-1825」、「西トゥルキスタンとアジア域ロシア」などに、垂れ袖、穴あき、後ろ縛り・・・などの例を見ることができる。
欧州では廃れた垂れ袖だが、広く東方、アジア一般では19世紀まで使われていたということになる。

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(続→8・「アジア」の姿


26 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-27 07:28 | 卒論物語

友人と・・・

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たまには優雅にテラスでジェラート。

ちょっと蒸し蒸しした、日本の梅雨のような1日だったけど、こうして外でダラダラおしゃべりするには、暑すぎず寒すぎず、ちょうどいい。

日本からの友人はやっぱりうれしい。
(おみやげもたくさんいただいて・・・ありがとうございます!!!)

25 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-26 07:08 | 日常生活

「旅するみどり」

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11歳で衝撃のデビューを果たして以来、世界を飛び回るバイオリニストの五嶋みどりさんと、そのスタッフによるブログが開設されたそう。

http://www.47news.jp/culture/midori/

国連大使も務める「天才バイオリニスト」も、案外ふつうの人かも・・・

(写真は本文と関係ありません・・・)

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24 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-25 03:44 | 読む

ボローニャ、織物博物館

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Museo Storico Didattico della Tappezzeria
Via Casaglia, 3
Bologna
Tel. 051 6145512

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絹、麻、綿、毛・・・天然の繊維から作られた織物は、その有機的な性質ゆえに、いずれは朽ち果てる運命にある。数世紀を経て我々の手に残るものは、それだけで奇跡。貴重な財産の命を、せめて少しでも永らえて後世に伝えなければ、というのが私の指導教官の言葉。
ボローニャ中央駅からバスで20分ほど。ヴィッラ・スパーダという美しい公園の中の建物を使ったこの織物博物館には、イタリア全国各地からさまざまな寄贈品が届くという。

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衣類から壁紙、家具や祭壇幕、と、本来の役目を終えた布たちの終の住処として、寄贈者も安心して任せられるのだろうか。長年の埃を払われ、洗浄や、場合によっては修復され、あるいは補強され、心地よい温度と湿度に保たれた、静かで薄暗い棚にそっと収められる。そうして時々、展示されることもあるのだから、半永久の命を与えられて、舞台裏で出番を待つスターに蘇るところ、というべきだろうか。

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正確には、タッペツェリア歴史・教育博物館という。タッペツェリアは、壁紙や家具に貼る布地、あるいはそれを扱う店や職人のこと。日本語でいうと、ファブリック、だろうか?
この博物館は、現館長の父親、騎士称号を持つ織物職人であったヴィットリオ・ヅィローニ氏が、戦後直後より、博物館創設のための材料集めを開始したところから始まったと聞いて、まあ、ファブリックの商品見本などを集めた博物館であろう、と、正直のところちょっと甘く見ていた。それでも、数世紀前のものならば、現代のものとは比べものにならないほどの価値があるけれども。
ところが実際は、「織物博物館」と言って余りある本格的な博物館だった。

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最初に見せられたのは、奇しくもヴェネツィアから届いたという、元・壁紙。いや、壁に貼ってあった絹のダマスク織なのだが、それがきれいにロールに巻いてあるばかりか、なんと裏打ちされていたという。改装のためだろう、壁に貼ってあった絹地をきれいにはがし、それに裏地をつけて巻いて持ってきたのだから、寄贈者もたいしたもの。
館全体、あまりにもたくさんのものが展示されていて、目移りがして困ってしまうのだが、展示室は、織物の技法種別に分かれている。

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まずはビロード(Velluto)。


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同じビロードといっても、さまざまな異なる手法を組み合わせた豪華なビロードが所せましと並ぶ。単色で模様の効果を出したもの、「ジャルディーノ」(庭)と呼ばれる、ヴェネツィアの多色遣いのもの・・・15世紀から18世紀まで、模様の変遷も楽しめる。






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続いて、縦糸・横糸をそれぞれ2種以上使うことによって模様を浮き上がらせるランパッソ(lampasso)、そして金襴錦、ブロッカート(broccato)。重厚で威厳のあるビロードと比べ、色鮮やかに模様もより自由になり、明るく華やかに。


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間の大広間には、分類しきれないさまざまなものが。祭服やレース、それからダ・ヴィンチの最後の晩餐で使われていることで知られるペルージャの白いテーブル、あるいはファッション・ドールと呼ばれる人形なども。

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シリアのダマスカスが語源とされるダマスク織は、実際に織機と、図案、完成品が一緒に展示されている。織機の上には、ジャカールという機械が乗っかっている。これは18世紀にフランスで発明されたもので、複雑な模様を編みだすための仕組み。図案を、細長い金属の板に少しずつ写し取り、穴をあけることによってオン・オフになるということらしい。これまでは手と頭で行っていた作業が、自動になったのだから、機織り界の大革命だったといえる。

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もう1つ特筆すべきは、コプト織のコレクション。コプト(Copto)は、北アフリカ、特にエジプトにおける初期キリスト教信者のこと。
コプト織の特徴は、2色または多色のものもあるが、その多くが、麻の生成に茄子色で模様を入れていること。そして、織機で織った織物ではなく、タピストリーを織る手法を用いていること。
エジプトの極度に乾燥したその気候が幸いして、1500年も前の織物が数多く現代にも残され、世界各地の美術館に保管されているが、この博物館のコレクションもかなり充実している。
最上階には、保存・修復のための設備を備え、ベテラン修復士がフル回転で働いている。

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課外授業で、説明を聞きながらではとても全部満足に見学しきれなかった。もう1度自分でゆっくり見に行きたい。
興味がある人には必見の博物館。

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23 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-24 07:51 | 見る・観る

シンポジウム「1868 イタリアと日本:文化的交錯」

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ヴェネツィア大学カ・フォスカリ
外国語学部 東アジア研究科

1868 Italia e Giappone: intrecci culturali
Dipartimento di Studi suull’Asia Orientale
Facoltà di Lingue e Letterature Straniere
Universit`a di Ca’ Foscari di Venezia

1868年、日本は大政奉還の1年後。イタリアは1861年にトリノを首都に統一王国が成立したものの、ヴェネツィアの併合は1865年、ローマは1870年まで待たねばならない。
その1868年に、ヴェネツィアに、現ヴェネツィア大学の前身、王立商業専門高校が創立された。今年は創立140周年記念の年にあたる。そのわずか5年後の1873年に、日本語科ができたという。
そしてヴェネツィアにとって実は重要なのは、1869年のスエズ運河の開通。地中海が東洋に直接開けたとことによって、再びヴェネツィアにも商機が訪れた。

創立140周年を記念して、その1868年当時のイタリア、特にヴェネツィアと日本との関わりに焦点を当てた国際シンポジウムが開催された。

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学部長等々の挨拶のあと、トップバッターは、須賀敦子さんのエッセイなどでもおなじみの、アドリアーナ・ボスカロ教授。大学は数年前に退官されているが、イタリア日本研究協会(Aistugia: Associazione Italiana per gli Studi Giapponesi)会長としては現役。現在は、当時、日本に駐在していたヴェネツィアの新聞記者が書き送ったものを分析・整理されているという。
ヴェネツィアの日本に対する目が、文化的というよりはむしろ、はじめから商業的な関心が高いのは興味深い。ヴェネツィア初の日本語コースに関する記事のほか、北海道の塩鮭がノルウェー産のサーモンよりもよさそうだとか、そんな記事などを紹介された。
2人めは、ローマ大学サピエンツァのマリア・テレーザ・オルシ教授。夏目漱石を例にとり、夢とファンタジーとしての欧州について、特に漱石の中の絵画性と文学との関係について話をされた。

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コーヒー・ブレイクの後は、大阪芸大教授・石井元章氏の「イタリアにおける明治の芸術」。ルネッサンス以降、絵画・彫刻・建築を3大(真正)芸術とし、それ以外を小芸術とし軽視する伝統のあるイタリアにおいて、その枠に当てはまらない日本の芸術はどう評価されたのか。
日本は、1897年に、第2回ヴェネツィア・ビエンナーレに招へいを受ける。パリやロンドンの世界博とは違い、ビエンナーレはあくまでも「真の」芸術のみを展示する場とこだわるヴェネツィアも、日本に関しては「工芸」の出展を認める特例を作ったという。それが成功裡に終わったことはもちろんである。
その次が、ローマ日本文化会館館長・高田和文氏。「明治・大正期の日本におけるイタリア演劇」というテーマで、特に、ダヌンツィオ、ピランデッロ作品の初公演について話をされた。明治開国後、演劇はその特性から他の芸術に比べて日本での紹介が遅れた。
イタリアで最初に紹介された劇作家はダヌンツィオで、森鴎外の(ドイツ語からの)翻訳による。その後、歌舞伎への融合的な試みもなされるが、それはあまり成功したとはいえない。ダヌンツィオのデカダンス主義が好まれた一方、ピランデッロは、そのアバンギャルド性が強い衝撃を与えたものの、難解で理解不可能という印象もぬぐえなかった。

すっかり押せ押せの日程の中、お昼休憩をはさんで、コロンビア大学キャロル・グルック教授による「明治と近代化」。
ナポリ東洋大学のマッツェイ教授はあいにく体調不良で欠席。

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再び休憩の後、登場されたのが法政大学・陣内秀信教授。「水の都:東京の町にみるヴェネツィアのイメージ」というタイトルで、かつて水の都として栄えた東京(江戸)とヴェネツィアの比較、明治開国後の洋館建築における「ヴェネツィア風」、現代のディズニー・シーのヴェネツィアや愛知県のヴェネツィア村の紹介。
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そして、水の効用を一度は忘れた東京が、水の都としてその機能と役割を再び取り戻そうとしていること。
最後は、ピサ大学のクラウディオ・ザニエール教授による「イタリア・日本間の大シルク時代」。1860年代、欧州の蚕の間で大疫病が発生し、多くのイタリア人、特にヴェネツィア商人が日本へ蚕の買い付けに行った。横浜港から、高崎や上田へ、養蚕地へ直接向かった彼らの、日記や手紙が、これもほとんど手つかずのままたくさん残されているという。日本・イタリア間の養蚕産業交流史のみならず、当時の日本の状況を知る貴重な手がかりである可能性も十分にある。
また、彼らのほとんどは実際に養蚕業に携わっていた家族の出身者がほとんどで、文化や習慣、あらゆる不慣れなことに驚愕しつつも、買い付けそのものについては、コミュニケーションの不自由について一切言及していないというのは、大変興味深かった。

ヴェネツィア大学や、建築大学に籍をおく、日本人学生たちを中心に、ごぶさたしている友人たちにも久し振りに会ったりした。
参加された方々の中で、もし上記に誤りなど見つけられたら、どうぞご指摘ください。

質疑応答も活発で、終わったのが結局午後7時ごろ。ヘトヘトの頭を少し和らげてくれたのが、天使の羽のような雲・・・。

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22 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-23 07:22 | 学ぶ・調べる

ロベルト・サンボネット展

ロベルト・サンボネット デザイナー、グラフィック・デザイナー&アーチスト 1924/1995

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トリノ、マダマ館美術館
2008年7月6日まで

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ROBERTO sambonet. Designer grafico artista 1924/1995
Torino, Palazzo Madama
4 apr – 6 lug 2008
www.palazzomadamatorino.it

先日行ったマダマ館の中でやっていた特別展。
うかつにも名前を全然知らなかったが、どうやら20世紀を代表する、イタリアの工業デザイナーの1人らしい。いやむしろ、イタリアン・デザインのさきがけというべきか。

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スプーン・フォークやステンレスの鍋類など、キッチン・ウエアのサンボネット社といえば、ご存知の方もあるかもしれない。そのサンボネットの創立者かと思ったらそうではなく、メーカーの方は、なんと18世紀末にもともと金細工師だったジュゼッペ・サンボネット氏が始めたものらしい。1924年生まれのロベルトは、はじめはミラノで建築を学び始めたが、すぐに画家に転向する。
この展覧会では、最初から最後までデザイナーである前に、アーチストであろうとした彼の、デッサン、水彩、油彩、ポスター、そしていくつかのサンボネット製品を紹介している。

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壁一面に、リズムよく並べられた絵やデッサンを見て思うのは、やっぱり「うまい!」ということ。アイデア手帳のようなもの、ひと筆描きの作品としてのデッサン、たった1本の線が、決定的で、堂々と美しい。実際には作品になるまでに、たくさんの試行錯誤があるのだろう。それでもやっぱり、最初の線がうまい、と思う。
そして水彩。走り書きのような、色のにじんだ絵が、心憎いほど。

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1948年にはブラジルに渡り、そこでサンパオロ美術館のキュレターたちに出会っているというが、それだけでなく出身の北イタリアとは違う自然や生活にも強くインスピレーションを受けていることも間違いない。
53年にヨーロッパに戻るものの、今度はフィンランドに赴くなど根っから外への興味を持っているのだろう。このころから工業デザイナーとして仕事を始めるが、サンボネットのみならず、オリベッティ発行の雑誌、フランスのバカラ社、イタリアのデパート、リナシェンテなど活躍の幅も広い。

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天井の高さを利用した明るくきれいな展示もよい。たいして広くない会場だが、その狭さを感じさせない。
また、ロの字型の展示の中央には、おそらく本人が趣味と実用と両方で集めていたのだろう、たくさんの杖が、これまた中国か日本で買ってきたと思われる大きな樽にたくさんささっていたのが、彼の人間らしさを身近に感じるいい効果を出していた。

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21 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-22 08:00 | 見る・観る