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ヴェネツィア ときどき イタリア

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第10回建築ビエンナーレ

10. Mostra Internazionale di Architettura
Venezia, Arsenale- Giardini Biennale
10 settembre - 19 novembre 2006

Padiglione Giapponese
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第10回建築ビエンナーレ
ヴェネツィア、アルセナーレ、ジャルディーニ会場ほか
2006年9月10日~11月19日まで

日本館
日曜の午後、絶好のお天気の割に、なんとなく人の少ないジャルディーニ会場。
見ると、日本館の前には人だかりがしている。・・・と思ったのは買いかぶりすぎ、入り口で靴を脱ぐことになっているため、それでどうしても、人がそこに溜まるということらしい。
建築史家・建築家の藤森照信氏を総合ディレクターに迎えた日本館は、受け付け前で靴を脱いだ後、お茶室よろしく、背の低い小さな入り口をくぐって中へ入る仕組み。土足厳禁の展示場というのは時々あっても、下がカーペットだったり、靴の上にビニールカバーをつけさせられたりと、居心地悪いことが多いが、ここは一種のござというのか、葦(?)の敷物が敷き詰めてあって、靴下を通しても足が気持ちいい。
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入るといきなり、縄で編んだ網で作った、「かまくら」のような丸い小屋が目の前に。写真では見ていたものの、目の前にするとまた違った迫力がある。
壁一面に展示されているのは、藤森氏の設計した「自然ハウス」とでもいうべき建築群。ニラハウス、一本松ハウス、高過庵・・・写真を見ると、なるほど藤森氏は、お茶室にも、この会場同様の敷物を使っているらしい。(畳でないのは、軽量化のためだろうか?それとも厚みの問題か。)
「縄かまくら」の中に、これも小さな入り口をくぐって入ると、中では「路上観察学会」による、町で見かけたさまざまな「変なもの」の写真を、映像に並べてひたすら見せている。入ってはすぐ出て行く人もいるが、適度な暗さと、床にぺったり座るようになっているからか、寝そべってすっかりくつろいでいる人も。
最近は、インテリアも東洋風というか、ソファやテーブルをうんと低くしたスタイルが流行ってきているが、考えてみれば、(土足の場でも)床に直接座ることに抵抗がない若い人たちにとっては、このゴザというのも案外すんなり受け入れられるシステムなのではないだろうか。もちろん、ある年代以上の人には全く受け入れられないだろうが。

今日はジャルディーニ会場の国別パビリオンのおよそ半分ほどを回ったが、この日本館が圧倒的に、群を抜いて異質であることは間違いない。
建築は、現在の日本が、最も多く世界に誇るレベルの人材を輩出している分野だと思うが、2年前の「オタク」に続いて、あえてその「カッコイイ」「最先端の」日本を代表する部分ではないところを持ってきているのは、低迷のようでもあり、余裕のようでもあり。いろいろな意味で今の日本を象徴しているのかも、と思う。

8 ottobre 2006
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# by fumieve | 2006-10-09 07:30 | 見る・観る

ダッラ・マリーザ

Dalla Marisa
Cannaregio 652b (Fondamenta San Giobbe)
Venezia
Tel. 041.720211

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典型的昔ながらの食堂。狭いホールに木製のテーブルと椅子、紙のランチョンマット。メニューがなく、定額統一料金。一方的に出てくるものをひたすら平らげるのも、ほとんと労働者用の食堂といっても過言でないくらい。労働者用の食堂との違いは、要・予約。
ここでは、肉か魚の選択もない。その日の予約を晴れて「1番最初に」入れた人が、肉か魚か、どちらかを指定するらしい。そして、それ以外の人は有無を言わさずそれに従うという仕組み。単純かつ豪快。今まで何度か行ったことがあるが、魚、肉、いずれにしても満足は間違いなしなので、そこはおとなしく従うのみ。
問題は、その量。日本人にはおそらく半分でも多いのではないだろうか。イタリアの食事に慣れた私の胃にもかなりハード。どれもおいしいので、ついつい最初から全部食べてしまうと、最後の方に出てきたものにまったく手をつけられなくなるおそれが。
どうやら魚の日は、アンティパストが多く、これも冷たいものから温かいものまで、何種類も出た後にパスタ。お肉の日は、前菜を飛ばしていきなりパスタ、そしてメインと続く。なので、よくよく胃に相談しながら平らげたほうがいいかも。
こういうイタリアらしいご馳走は久しぶり。日ごろ粗食なため(量は食べてるけど、なにぶん自炊なので)、1カ月くらい分の栄養を一気に補充した感じ。

本日のメニュー
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平打ち面のミートソースあえ
キノコとチーズのラザニア
牛肉のトマトソース煮込み
豚肉のハーブ巻き、ラディッキオがけ
キノコのソテー
フォンド(アーティチョークの根元)の煮込み
ポレンタ

赤ワイン

コーヒー

しめてお1人35ユーロ。なんだか前はもっと安かった気もするけど、これだけ食べておいて文句もないというもの。ちなみに、私は今日は、お昼は軽くサンドイッチのみ、自宅から食堂まで35分の道のりを歩き、おなかペコペコで臨んでほぼ完食。われながら、ものすごい胃袋。

7 ottobre 2006
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# by fumieve | 2006-10-08 07:33 | 飲む・食べる

ロミオとジュリエット

Romeo e Gilietta
Musica: Sergej Prokof’ef
Coreografia : John Cranko
Bayerisches Staatsballett
Teatro la Fenice di Venezia
Giulietta : Lucia Lacarra
Romeo : Cyril Pierre

ロミオとジュリエット
音楽 プロコフィエフ
振付 ジョン・クランコ
バイエルン国立バレエ団
ヴェネツィア、フェニーチェ劇場

専属バレエ団のないフェニーチェ劇場では、毎年、バレエは客演のみ。というわけで、実に久しぶりの正統派・古典バレエ。
まず、イタリア・ルネッサンス期をテーマにしたという衣装は見事。時代が多少、15世紀初頭から16世紀まで比較的広い範囲からモチーフがとられているとはいえ、見苦しいほどの混合もなく、スタイルの違いが、敵対する両家の別、あるいは人物の年齢や身分による差などに効果的に使い分けられていて、◎。もともと、「ロミオとジュリエット」はヴェローナ(北イタリア)中世という設定になっていることもあるが(そして正確に言うと「ルネッサンス」は「中世」ではないが)、初期ルネッサンスの服装は、ちょうど体のほっそりしたラインを強調したスタイルであることから、古典バレエにはまさにしっくりくる。
一方で、その衣装を際立たせるためなのか、あるいは予算の都合だったのか、背景のあまりのちゃちさにはがっかり。学芸会ばりの、描いた背景にするくらいなら、いっそ無地のほうがましでは?
肝心のダンスは、「ロミオとジュリエット」といえばなにしろ、お膝元のイタリアだけにカルラ・フラッチ、アレッサンドラ・フェリなどイタリア人ダンサーが十八番としているし、ヴェネツィアでも伝説の公演などもいろいろあるらしい。そんな中で、いろいろと踊りづらいこともあるだろう。「大絶賛」とまではいかないまでも、まあまあ、無難に、そこそこ期待に違わずにこなしていたのではないかと思う。
私個人は久々の古典に、ただただうっとり。わかりきったストーリー、それを盛り上げる音楽、美しいダンス、と、王道を十分に楽しんだ。

28 settembre 2006
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# by fumieve | 2006-09-29 07:48 | 見る・観る

ジャン・ミッシェル・バスキア ショウ

The Jean-Michel Basquiat Show
Milano, La Triennale di Milano
Dal 20 settembre al 28 gennaio 2007
www.triennale.it

ジャン・ミッシェル・バスキア ショウ
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ミラノ、トリエンナーレ
9月20日~2007年1月28日まで

彼に限らず、もともとストリート・アート系には、はっきり言ってしまえばあんまり興味がない。今回たまたまミラノに行く用事が他にあったこと、トリエンナーレという会場はいつもいい展覧会をやると聞いていたので1度は行ってみたかったこと、ついでに、この展覧会自体、開会間もないけれどもなかなか評判がいいらしい・・・というので、行ってみることにした。
百聞は一見にしかず、ということもあるし。
バスキアが訴えたかったこと、この絵で表現していること、よくわかったかというと、そうはとても言えないと思う。が、とりあえず、これだけの作品をまとめて見るというのは、なかなか見ごたえもあるし、結局はドラッグ中毒で若死にしてしまったバスキアという人を少しはのぞきみることができたかもしれない。
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気にいったのは、
“Anthony Clarke”(1985)という、「すのこ」に描かれた作品。結局のところ、彼の場合、真っ白なキャンバスはかえって窮屈なのかもしれない。一見、筆の早いタッチで、全く計算外のようにも見えるけれども、すのこの、細長い板と、その板と板とのすきまとの活かし方、その上への色の乗せ方が絶妙。素材に対して、きらっとそれに合った構図が浮かんでくるのだろうか。
あとは、”Black”(1986), “Jazz”(1986)という、やはり木箱を上にはりつけた作品。彼の場合、こういう、オブジェに近いもののほうが、より生き生きしているように見えるのは気のせいか?
純粋な「絵」の中では、”Horn Players(Trittico)”(1983), “King Zulu”(1986)がよかった。ジャズなどをテーマにした作品なら「安心して」見られるからかもしれない。

24 settembre 2006
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# by fumieve | 2006-09-25 06:28 | 見る・観る

「ルーチョ・フォンターナ、ヴェネツィア・ニューヨーク」展

Lucio Fontana-Venezia/New York
Collezione Peggy Guggenheim
fino al 24 settembre

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「ルーチョ・フォンターナ、ヴェネツィア・ニューヨーク」展
ヴェネツィア、グッゲンハイム美術館
2006年6月3日~9月26日まで

フォンターナ、というと、少なくともイタリアで美術史を学んでいる者としてはまず、「わかって当たり前」みたいな面があると思う。これを芸術として認めることができてこそ、というような。だけれども正直のところ、なるほど確かに、キャンバスをナイフで切り裂く、そのアイディアは画期的ではあるけれども、ではこれを私はほんとうに「理解」しているのかというと、それははなはだ疑問だった。今まで、いくつかの美術館や展覧会で目にすることがあったけれども、その作品の前に立って、私の頭の中に浮かんできたのは、ただただ「なるほど。」という単語だけ。
できることならわかりたい、でも半信半疑で、何の予備知識もなく会期終了間際に飛び込んだ展覧会で出会ったのは、フォンターナが1961年、パラッツォ・グラッシでの展覧会に出品を依頼され、そのために作った「ヴェネツィア」という一連の作品だった。
“All’alba Venezia era tutta d’argento”(明け方、ヴェネツィアはすべて銀色だった)
“Notte d’amore a Venezia”(ヴェネツィアの、愛の夜)
ふだんは金色ヴェネツィアだけれども、それがすべて銀色になる瞬間がある。それはある時期の明け方、月明かりの夕べ。この画家は、その銀色をしっかり捕らえて、そのまま、その彼のスタイル、手法にすっぽり包んで、表現していた。そしてもちろん、金色に輝くヴェネツィアも。例えば、
“Venezia era tutta d’oro”(ヴェネツィアはすべて金色だった)
“Piazza San Marco al sole”(太陽の下のサン・マルコ広場)。
そして、青い空や、暗闇の中に怪しく浮かぶ、ヴェネツィア風ゴシックの装飾。
そんな、いろいろな表情のヴェネツィアが、それぞれ見事に現されていた。あくまでも抽象なのだけれど、「そうそう、ほんとにこの通り」なのだ。
展覧会は、タイトル通り、画家がその後、ニューヨークを見て、その美しさを称賛して作った、ニューヨークと題した作品群に移る。もちろん、彼のトレードマークである、「切り裂き」と「穴あけ」という手法には変わりないが、これらは全て金属の薄板を使っている。刷毛目をあえて残し、粗い色ガラスのかけらがそのまま貼ってあったりする「ヴェネツィア」シリーズとはえらい違いだ。個人的好みでは、やはり「ヴェネツィア」シリーズに軍配が上がってしまうが。
それにしても、少しはフォンターナという芸術家が見えてきたように思う。期待を大きく上回る、充実した展覧会だった。

21 settembre 2006
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# by fumieve | 2006-09-22 05:39 | 見る・観る