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ヴェネツィア ときどき イタリア

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そのころヴェネツィアでは・・・

・・・ヴェネツィアは、高潮のクリスマス・イヴとなった。午前4時少し前に、潮位145cmに達した。これは、予報より5cmほど低い値となったが、もちろんそれで被害を食い止められたわけではなく、歴史的中心区の58%が水に浸かった。もっとも不便を生じたのはブラーノ島で、実際、島全体が水没し、いくつかの住居では入口の仕切りの高さを上回った。(訳注:ヴェネツィアでは、アックア・アルタ時の建物内への水の侵入を防ぐため、ドアの枠の下から膝の高さほどまでのステンレスなどでできた板をはめ込むことができるようになっている。つまりこの場合、その防水板が無駄になったということ。)
これで3日連続で130cm以上のアックア・アルタが起きたことになる。水曜日144cm、昨日が133cm、今日は145cmで、市の予報センターによると、これまで記録したことがない、という。・・・
(ANSA通信 HPのニュースより抜粋)

写真リンク:http://www.ansa.it/web/notizie/photostory/curiosita/2009/12/25/visualizza_new.html_1649043505.html


25 dicembre 2009
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by fumieve | 2009-12-26 00:13 | アックア・アルタ(高潮)

北イタリアで悪天候~世にも不思議な・・・ヴェネツィアの場合

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朝起きたら、窓の外は完全な雪国になっていた。
とりあえず写真を取ろうと窓を開けると、冷たい風に乗った粉雪が吹きこんでくる。
そこへ、ううう~~~んと間抜けなサイレン。午前11時に最高潮位110cmのアックア・アルタ予想。

アックア・アルタは、大潮と、低気圧と、シロッコ(scirocco)というアフリカからの南風の影響で起きることがほとんどだから、アックア・アルタのときは実は気温はそんなに低くない。それにしても、いつも私は「アックア・アルタは、豪雪地帯の雪のようなもの」と思っているのだが、そこにほんとに大雪が降ることになろうとは・・・。
雪&アックア・アルタの同時発生という珍現象は、私も9年になるヴェネツィア生活の中でもたぶん初めて。

続き:あああ・・・
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by fumieve | 2009-12-20 10:07 | アックア・アルタ(高潮)

イタリアの見た日本人7・番外編:ない袖は振れぬ?2

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イタリアの見た日本人:これまでのお話

6・番外編:ない袖は振れぬ?
5・ヴェネツィアが失くしたもの

4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

Quattrocento(クアットロチェント、400)、すなわち15世紀の間に大流行した垂れ袖だが、Cinquecento(チンクエチェント、500)16世紀に入ると急にその姿をひそめてしまう。
15世紀に、特に「東方三王の礼拝」で豪華でさまざまなタイプの垂れ袖が描かれていたのは、前回紹介したとおり。それは何よりも、東方といえば、香辛料などのほかに豪奢な生地でも知られ、特に東方三王は裕福の代名詞でもあるからだが、ここでもう1つ、面白いことに気がついた。
16世紀に入ると、数はぐっと減るもののやはり「東方三王」に垂れ袖を見ることができる。

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たとえば、ヤコポ・バッサーノ(1562年、ウィーン歴史美術館蔵)では、聖母子の前に跪く最年長者メルキオール。その後ろに控える、バルダッサールは黒人として描かれており、ターバンに、長い垂れ袖を背中に回し、どうやらベルトにはさみこんでいるよう。

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あるいは、大ピーター・ブリューゲル(1564年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)では、三人三様、かなり独特の格好をしているが、やはりメルキオールが長い垂れ袖を地に引きずっている。
ロンドンではもう1つ、Bartholomaeus Spranger(1595年ごろ)でも同じような形を見つけた。

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つまり・・・同じ東方三王の中でも、15世紀中に垂れ袖を身につけていたのは、最年少者ガスパールと、せいぜい中堅のバルダッサールだったのが、16世紀に入ると最年長者のメルキオールが中心になる。
若者は最新の流行を追い、年長者は服装も保守的になるのは、古今東西どこも同じ。家族の肖像画の中では、だから父と息子、母と娘でスタイルが違うのはよくあること。これは結局、16世紀には垂れ袖はほぼ流行遅れになっていたということを示している。

が、もう1つ。東方三王以外で、わずかに見かけた垂れ袖の例を集めてみると、

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ジョルジョーネ「幼子モーゼの炭の試練」(1500-01年)、左端の玉座に座るファラオは、後ろに垂らした袖が床に届くほど長い。

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シエナ大聖堂内のピッコローミニ図書室、ピントリッキオによる「エネア・シルヴィオ・ピッコローミニ物語」のうち、例えば「アンコーナにおける法王ピオ2世の十字軍開始宣言」(1505-07年)の中、足元に跪くターバンを巻いた男性は、垂らした袖を優雅に腕に巻きつけている。

少し時代が下って、ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「水から救出されたモーゼ」(1530年ごろ)では、両腕を広げて幼子を受け入れるポーズのファラオの王女の後ろに控える、ちょっと不思議な格好で完全に回りから浮いた男性が垂れ袖を腕に巻いているが、よく見ると垂らした部分の下の方にも開口部があり、この部分だけ見ると実は、悩ましい少年使節団のヴァチカンのフレスコ画の袖にとてもよく似ている。

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そして、ヴェネツィア、スクオラ・ディ・サンロッコ内、ティントレットの「十字架降下」。たくさんの登場人物がいるが、右下、白馬に乗った、赤いターバンの男性を見ると、両袖を後ろに回し、袖同士をくるりとひっかけている。肌の色は完全に黒。

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すなわち、イタリア各地であれだけはやった垂れ袖も、16世紀に入るとそれを身につけているのは、東方三王は言うに及ばず、それ以外も全員「東方の外国人」。

ハタ!と気がついてもう一度、チェーザレ・ヴェチェッリオの「世界の古今の服装」(第2版、1598年)を見に図書館へ行った。1ページ1ページ、全部の挿絵を見る。お尋ねものの垂れ袖はいくつも登場するが、それはすべて、「昔の服装」または「外国人の服装」だった。特に1つ、象徴的だったのは、「貴族のホーム・ウエア」。「この時代に利用されるようになった『東洋風』の上着は、ゆったりとして、かつ、しばしば肘のところが開口しており、そこから腕を出せるようになっている」。

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少年使節団のあの袖、彼らがほんとうに身につけていたのかどうかは疑わしい。が、あれが「東方からの人」の象徴だったのだ・・・。

その後すっかり姿を消す垂れ袖だが、再び目にしたのは、W.Bruhn, M.Tilkeによる「各世紀の服装。欧州外を含むすべての時代、民族の服装の記録」というやはり世界服装図鑑(1945年)。

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「トルコ、1800-1825」、「西トゥルキスタンとアジア域ロシア」などに、垂れ袖、穴あき、後ろ縛り・・・などの例を見ることができる。
欧州では廃れた垂れ袖だが、広く東方、アジア一般では19世紀まで使われていたということになる。

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(続→8・「アジア」の姿


26 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-27 07:28 | 卒論物語

イタリアの見た日本人6・番外編:ない袖は振れぬ?

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イタリアの見た日本人:これまでのお話
5・ヴェネツィアが失くしたもの
4・ヴィチェンツァ
3・ローマの天正少年使節団
2・天正少年使節団
1・「日本の若者」

これまでのおさらい:
ざっくりと言えば、16世紀から18世紀の西洋から見た「日本服飾史」を作ろう、というのが卒論研究当初の案。が、ざっと調べ始めたところ、あまりにも対象となる絵が少ないことと、天正少年使節団の多いようで少ない情報に、まずすっかり足止めを食らってしまった。
結局、ここまでで出てきた「日本の服装」と明記されて描かれた絵は、

1585年にボローニャで出版された本の挿絵
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1598年にヴェネツィアで出版された、チェーザレ・ヴェチェッリオによるファッション辞典の「日本の少年」
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の2つのみ。この2つも、正直のところ和装とはいい難いのだが、もう1つ気になったのが、ヴァチカンのフレスコ画。こちらは、完全に洋装と思われるが、ほかの誰とも似ても似つかぬ不思議な格好、それも特にその袖の不思議なこと。
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実はこの袖の遊び、途中にあいた穴からあえて腕を出し、残りの部分を垂らすというのは、かつてイタリア・モード界を大席巻したスタイルだった。
袖の形はしていないものの、肘から後ろ側に長く布を垂らしている姿は、たとえば、14世紀の写本「音楽について」の挿絵にも見られる。(写真1番上)
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これの豪華版が、ヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂内のモザイク、「サロメ」で、垂れた袖はドレスのすそに向かって見えている裏地同様、毛皮になっている。
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一方、ちゃんと筒の形をした袖から腕を抜いた形としては、さらに時代を遡り、13世紀の写本の中の「鷹師」に既にみられる。
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もともとは、実用上の問題だったのかもしれない。が、これはいつのまにか貴族や上流階級のファッションとして取り入れられ、15世紀にはあらゆるバリエーションを伴った「抜き袖」「垂らし袖」が大流行する。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「東方三王の礼拝」(1423年)、
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ベノッツォ・ゴッツォリの「東方三王の行列」(1459年)
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のように、垂らした袖が筒になっておらず、マントのように先が開いているもの。

ベアート・アンジェリコ(1430-32年)、
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ドメニコ・ヴェネツィアーノ(1440-45年)の「東方三王の礼拝」
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ではなんと、アコーディオンのように襞のついた袖は垂れるというよりは後ろで大きく膨らんでいる。







15世紀後半に入ると、超豪華な袖は下火になるものの、「垂れ袖」スタイルは相変わらずあちこちで見られる。口が丸いもの、V字に開いたもの、など腕の出る部分の形はさまざまながら、垂らした袖は薄く細くシンプルになり、しばしばそれを腕にまた巻いたりしている。
ペルジーノや
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カルパッチョの作品には、垂らした袖をいろいろアレンジする姿が見られる。
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天正使節団の少年たちが、なぜ「垂れ袖」スタイルで描かれたのか?
どうアプローチしたものか途方にくれて、イタリア・モード史事典と、あとは片っぱしから手元の画集などのページをひたすらめくった。研究とは関係なく美術館に行っても、ついつい袖に目が行ってしまい、ああ、この人もあの人も、誰もかれもが「垂れ袖」をしている・・・。
夜ベッドに入って、眠りに落ちる前に、昼間見た絵の登場人物たちが一斉にこちらに向かって色とりどりの垂れ袖を振っている夢を見たのもこのころだった。

「日本の服装」から、ずいぶん遠いところにいる・・・と思いつつも、頭にひっかかって前に進めずにいた。

が、15世紀を通してあらゆる遊びをつくした「垂れ袖」文化は、16世紀に入ったころから変化を遂げる。そうして、自分なりにある1つの仮説にたどりついた。

(続)7・番外編:ない袖は振れぬ?2

10 maggio 2008
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by fumieve | 2008-05-11 06:36 | 卒論物語