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ヴェネツィア ときどき イタリア

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ドラクイラ~震えるイタリア

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Draquila L’Italia che trema
www.draquila-ilfilm.it

明日から始まるカンヌ映画祭(フランス)に招待されていたイタリアのボンディ文化相は、同映画祭でこの映画が上映されることを遺憾として欠席を表明した。つまり、イタリアの現政権を批判する内容らしい、ということと、タイトルからして、昨年4月に起きたアブルッツォ州(州都ラクイラ)の地震をテーマにしたドキュメンタリーらしい、というだけで、とりあえず見ておこう、ぐらいの気分で雨の中出かけた。




実は半島の大半が地震地帯であるイタリアは、日本ほど頻繁ではないにせよ、しばしば大地震に見舞われる。2009年4月6日午前3時半に起きた地震は、その被害の規模と、とくにイタリアらしい石造りの美しい町の崩壊した様子が印象的だったこと、そしてその夏にたまたまイタリアで行われることになっていたサミットの会場に急遽なったこともあり、イタリアはもちろん世界に広く、繰り返し報道されてきた。
がれきの山のまま、立ち入り禁止の旧市街、何カ月もテント生活を強いられる、あるいは、遠く離れた海辺のリゾート地のホテルで暮らす被災者たち。
たびたび現地に赴いては彼らに向かって、あるいはマスコミに向かって調子よく「数か月以内に、全員に新しい家を提供する」と、この国の首相のことばに、「ほんまかいな・・・?」と思っていたのだが。

この映画では、その表と裏、とはいっても、実態をあばくというほどでもなく、だいたい想像通りのことが次々と証明され、びっくり、というよりは、やっぱり・・・という感じ。そして、地震にまつわる裏表と、それを取り囲む環境の現状について、非常にわかりやすく説明している。
特に、地震はもちろん、特に、そこに救援隊として登場する「プロテツィオーネ・チヴィーレ(Protezione civile、市民保護)」という組織は、イタリアにいるとしばしば名前を聞くことになるのだが、そのプロテツィオーネ・チヴィーレとは何なのか?ということが、すっきり明確にされる。・・・そしてそのからくりと恐ろしさも。

映画なので、多少、面白おかしくするレトリックは使っている。とはいえ、内容はほとんど、被災者から行政、ジャーナリストやボランティア、徹底的に関係者に聞いた話の再構成。だが、それがいかに、我々がふだん、新聞やテレビの「ニュース」で見聞きしている内容と違うことがわかる。なにしろテキは、メディア王でもある。プロパガンダやサブリミナルはお手の物。だがそれを抜きにしても、マスメディアを鵜呑みにしてはいけない、ということを思い知らされる。一方、個人的には、例えほんのわずかとはいえ、報道に携わる(こともある)人間として、主の情報のみに踊らされることなく、公正で偏りのない取材と伝達ができているのかと、深く自省する。

そして、いいな、と思ったのは、一方的に現政権・・・というか、現首相批判だけではないこと。結局のところ彼に太刀打ちできない、弱腰でやられっぱなしの左派に関しても、さらりと、だが痛烈に批判している。

見終わってから友人に言われて「ああ、そうか」と思ったのだが、この映画の監督でありレポーターであるサビーナ・グッツァンティ(Sabina Guzzanti)は、かの首相のモノマネで知られる、お笑いの人(?)だった。テレビにうとい私は、ここで初めて知ったのだが・・・。

それにしても、カンヌはなぜか、イタリアの政治物がお好みらしい。数年前にはナポリのマフィアの現実に迫った「ゴモラ」と、やはり元イタリア首相を扱った「イル・ディーヴォ」がダブル受賞したのも記憶に新しい。フランスからみると、イタリアはよほど政治的に危うい国なのか、もしくは、案外フランスでは、この手の映画ができないのか。

私はこの国で参政権がない。でも、自分が好きで住んでいる国だからこそ、今ここで起きていることが恐ろしい。
いや、それとも、こんな女性がいて、こんな映画ができてしまうイタリアはまだ、もしかすると救いがあるのか?

11 maggio 2010
by fumieve | 2010-05-12 07:41 | 映画
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