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ヴェネツィア ときどき イタリア

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映画「終わりは私の始まり」

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(写真はcinema-tv.guidone.itより拝借)

La fine è il mio inizio

監督 Jo Baier
出演 Bruno Ganz, Elio Germano, Erika Pluhar, Andrea Osvart, Nicolò Fitz-William Lay
原題 Das Ende ist mein Anfang.
独・伊、98分、2011年

どこか遠くに暮らしているらしい息子に、父親から手紙が届く。
「この命を終える前に、自分の人生についてお前に語っておきたい。」
トスカーナの雄大な自然。
ひっそりと静かに暮らす、年老いた両親。慌てて駆け付けた息子に、しかしいつも厳しくあった父親は、「今やっている仕事はどうした?放り投げて来たのか?」
次々といろいろなことに手を出すも、一つも大成しないらしい息子。イタリアではよくあること、それも、父親が世の中で名を成した人であればなおさら。






左派ジャーナリストとして、70年代に憧れの中国、北京に赴任したティツィアーノ・テルツァーニ(Tiziano Terzani)。本人はともかく、同行した家族の苦労はいくばくか。現地校への通学が「はっきり言ってあのときは苦痛だった」と白状する息子。その言葉を笑って受け入れる父も、そのころは聞く耳も持たなかったかもしれない。やがて彼の関心は政治から離れ、チベット仏教へと傾倒していく。

そんな父が、自分の生きてきた人生について、今まであまり語る機会がなかった、だが、ぜひ今、知っておいてほしい、と息子に語りかける。息子は一語一句丁寧にメモを起こす。それはまた、テルツァーニの(最後の)回想録を求める出版社から、自分の名でなく、息子の名前で本を出させるための誘導作戦でもあった。(作戦としてはしかし、うまくいかなかったのか、同題の原作は、父、ティツィアーノの名で出版されている。)
映像に引き込まれながら、父の語りに耳を傾けながら、父親が息子と、自分の人生についてじっくり話し合える人が、世の中でいったいどのくらいいるのだろう、と思う。
ジャーナリスト、作家という、特殊な立場にいるためもあるだろう、だが、それが実現できた彼らはむしろ稀有ではないか。
妻と、その息子と、さらに乳児をつれてかけつけた娘と、自分の小さな庵の中で、家族に見守られて死を迎える。これほど幸せな最期はないだろう。

この映画はつまり、20世紀イタリアを代表する文化人、ティツィアーノ・テルツァーニの遺作が美しい映像をともなった絵巻になった、そういう作品だと思っていい。

息子フォルコを演じているのが、昨年カンヌで俳優賞を取ったエリオ・ジェルマーノ。いかにもカリスマ性ばりばりの父親を前に、ごくふつうの、とくに目立たないどこにでもいそうな息子を演じるジェルマーノがなかなかいい。アクが強くて、俳優の名前と個性がまず役柄以上に目立つことの多いイタリア映画界に置いて、こういうフツーっぽい存在は貴重。
(というか、カンヌといい、この映画といい、要するに外国人好みなのか・・・。)
そのジェルマーノの存在と、テルツァーノ役のBruno Ganzがほんとに生前の本人をよく模していることもあって、最初はうっかり忘れて見ていたのだが、これはイタリアの原作を元にイタリアで撮影した、ドイツ映画。もの静かに夫の末期を見守るアンジェラ夫人と乳児を抱えて飛んでくる娘サスキアはどちらもいかにもドイツ人なのだが、夫人はもともとドイツ系イタリア人だそうで、むしろ違和感なし。
確かに現在のイタリアでは、残念ながら、こういう映画は作れそうにない。

映画祭前後のばたばたですっかり忘れていたが、この夏見た中で、間違いなく最も心に残った映画の1つ。

6 ottobre 2011
by fumieve | 2011-10-07 03:17 | 映画
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