これは企画展会場だけに限ったことではないのだが、今年は、鏡を使った作品が多かったように思う。
かつて、ヴェネツィアの貴族のお屋敷では、運河に面した縦長のサロンは大きな窓で広く採光をとり、さらに壁にしつらえた鏡に、ヴェネツィアン・グラスのシャンデリアの明かりを反射させて、そのまばゆい光の効果を倍増させていた。見栄っ張りかつ合理的なヴェネツィア人気質だろうか。よく言えば幻想的、実のところは実体のない、怪しい光。
そして大きな板ガラスを必要とする鏡そのものが、かつてのヴェネツィアにとって重要な輸出産業品でもあった。
だからもしかすると、この「鏡」は、ディレクターCuriger氏の、ヴェネツィアへのオマージュの意味もあるのかもしれない。
鏡を使った作品のみならず、このアルセナーレ会場の展示は、どこかけだるい、レトロな雰囲気を醸し出していた。
そしてこの会場でもう1つ際立ったのは、写真作品の多さ。それも、(例えほんとうはいろいろな撮影技術を要しているとしても)変にいじることなく、自然や日常生活を淡々を映したような、写真本来の面白さを教えてくれるような写真を楽しんだ。
一方で、造形作品でこれ、と印象に残る作品があまりなかったのも事実。
例外は、個人部門で金獅子賞をとった、Christian MarclayのThe Clockという作品。撮影禁止で、残念ながら雰囲気の写真すらないのだが、まず、長い廊下状の会場のどんづまりに用意された、大きなスクリーンと、その前に、ゆったりと鑑賞してくださいとばかりに並ぶ、何列ものソファー。映像作品は、いつも正直のところ、なかなかしっかり見る気になれないのだが、まあちょうど足も一旦休めたい頃だったし、休憩代わりに座る。
作品は、古今東西さまざまな映画をモンタージュしたもののようだ。映像の中で、3時半の時報が鳴る。あれ、そういえば今ちょうど3時半くらいじゃなかったかな。・・・「今何時?」「3時半だよ」・・・問いかけもあれば、腕時計や壁時計が写る場面も。鐘の音、あるいはタクシーの中で聞く、ラジオの時報も。
・・・そしてだんだん、その時間がずれていく。
!!!
いや、最初は、「3時半」にまつわる場面を集めたものかと思ったのだが、そうではなくて、なんとこの映像そのものが時計代わりに、中で表現されている時間が文字通り刻一刻と進んでいく。実際この作品、「24時間」というタイトルで、なんと作品自体24時間あるらしい。
ひえー!・・・よかった、最後まで見てみよう、なんて思わず途中で席を立って(笑)。実際これは、この会場にある以上誰も最後まで見ることができない。
・・・なにしろ、お世辞にも映画に詳しいとは言えない私でも、結構知っているなつかしの映画の、見覚えのある場面や登場人物がぽんぽん出てくるのだから、映画好きにとってはたまらないのではないだろうか。
これもアート?いえいえ、そう、正真正銘、これもやっぱりアート。完全にアイディア勝ちのこの作品、それでも、デシャンの「泉」(便器)よりはずっと多くの人の共感と支持を得るだろう。
もう1つ、やはりその見た目のインパクトで話題になったのは、この作品。
Urs Fischerの”Untitled(無題), 2011”は、イタリアの彫刻家、ジャンボローニャの「サビーナの略奪」という彫刻作品をそっくりコピーしたもの。ただし、まるごと蝋で作って、頭から火をつけた。かなりグロテスクな様相、おまけにその前に立つ鑑賞者も一緒に燃えている。期間中、燃やし続けるという話だったが、上の写真は開幕直後、6月3日に撮ったもの。以下、7月26日の時点でかなりシュールになっていたので、いつどんな最期をとげたものやら・・・。
燃えかけの途中で落ちて、床に散らばった腕や頭(?)のかけらは、カルパッチョの「竜を退治する聖ジョルジョ」(スクオラ・デッリ・スキアヴォーニ)を思い起こさせる。
これもアート?・・・そう、これもやっぱりアート。奇をてらうだけがアートではないけれど、こういうのも面白い。
29 novembre 2011