ロヴィニからバスで小一時間、ヴェネツィアからの航路でも途中で寄ったポレチュ(Poreć、イタリア語ではParenzo)。クロアチアの、このエリアに行きたかった理由の1つに、実はこの大聖堂のモザイクがある。
紀元後313年、ローマ皇帝コスタンティヌスがキリスト教信仰の自由を認める以前より、すでにこの町には、キリスト教徒のコミュニティがあったらしい。キリスト教が公認となった4世紀より、したがってこの場所には信者たちのための聖堂が建てられたが、現在の建物は6世紀のもの。
3廊式、中央後陣は当時のモザイク装飾をよく残している。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス大帝のイストリア地方支配強化のため、皇帝の力添えをえた司教エウフラジオが建造させた聖堂は、平面プランこそ違うものの、後陣の装飾は、同時代、同皇帝の命により建てられた
ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のそれとよく似ている。
中央は、玉座の聖母子。そういえば、ラヴェンナの教会では、後陣中央に玉座の聖母子があるところはない。(現存しないだけかも。)色石で飾られた椅子やクッションなど、顔はだいぶ違うが、むしろ
イスタンブールのアヤ・ソフィア(サンタ・ソフィア)大聖堂の聖母子をも思い起こす。
だが、アヤ・ソフィアの聖母子は金地の中にただ2人だけ。孤高の存在なのだが、このポレチュの聖母子は両側を天使や聖人たちに囲まれていて、賑やかな様子はラヴェンナ風。
向かって左側、大きな建物を捧げ持っているのが司教エウフラジオで、手に持っているのはもちろん、自ら建てさせたこの聖堂。
その上部、12人の使徒たちを両脇に従えているのはもちろんキリスト。青いボール、すなわち世界の上に座った、丸顔でひげのない、若きキリストは、まさにラヴェンナのサン・ヴィターレと同じ。
ただし、こうして比べてみると、ポレチュのモザイクは、すでに古代ローマのリアリズムからずいぶん離れ、かなり形式化している。
神秘の羊ちゃんも健在。
明らかに、聖母マリアに捧げられたのであろうこの聖堂では、半円蓋の下、2枚のパネルにマリアの物語が描かれていた。向かって左側が「受胎告知」。
マリアの手からは、赤い糸が伸びていて、毛糸玉のようなものにつながっているが、おそらく糸紡ぎの一種と思われる。天使のお告げを受けた瞬間、こうした手仕事をしている姿で描かれるのは、初期キリスト教から中世にかけての特徴。
向かって右側は、「マリアのエリザベト訪問」。どちらもラヴェンナでは見られない図だが(たぶん)、緑を背景にした鮮やかな色合いのモザイクは、やはりラヴェンナとよく似ている。
「受胎告知」は、その前に置かれた祭壇のアーチ部にも描かれているが、これは13世紀のもの。完全なビザンチン様式で、
イスタンブールのサン・サルヴァトーレ・イン・コーラ教会のモザイクなどに近いが、ヴェネツィアの職人によって作られた。
モザイクもすばらしいのだが、思わずタメイキが出るのは、その後陣全体のトータル・コーディネート。
色大理石による幾何学模様の床と壁は、サン・ヴィターレにも共通するものだが、大きな真珠貝をそのまま使った大胆なデザインは、クラシックでエレガントなラヴェンナよりも大らかでやや素朴に見える。また、1つ1つ、模様違いの縦長のパネルが並ぶ様子は、イスタンブールのハーレムのタイルをも予見させる。
両脇の半円蓋のモザイクもお忘れなく。向かって左側が、「聖人コジモとダミアーノに戴冠するキリスト」。
右側が「聖ヴィターレと聖セヴェーロ、ラヴェンナの司教たちを戴冠するキリスト」で、どちらも6世紀オリジナル。
こちら側は、床にも貝がら模様のモザイクが残っている。
14 luglio 2012