サン・ジョヴァンニ洗礼堂の、壮麗な八角錐のクーポラのモザイクについては、残された資料が少ないこと、また、度重なる後世の修復作業のために、はっきりしていないことも多いが、昨日も書いたように、1216年にスタートし、全部終えるのにほぼ13世紀いっぱいかかったことがわかっている。
スポンサーとなったのは、当時のフィレンツェの主要産業であった、羊毛・毛織物組合。
それまで金地のガラスのモザイクによる装飾の伝統のなかったフィレンツェで、手間もコストもかかるこのモザイクを望んだのは、強敵ヴェネツィアがすでにビザンツ風の大きな教会を建て、その壁や天井をモザイクで飾っていることを意識してのことだったのかどうか。といっても、肝心の材料であるガラス片は、ヴェネツィアから仕入れたらしい。
主祭壇上部の、八角のうち3つを占めているのは「最後の審判」。こちらから向かって、キリストの右下。地獄の場面としては、トルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタの詳しさにはかなわないが、地獄のえんま様の姿はこちらに軍配が上がる。一度見たら簡単に忘れられない、強烈な姿をしている。
右側へ目を移すと、4重の物語絵巻のうち、一番上(中央に近い方)が、「天地創造」。
次の輪が、「ヨセフの物語」、その次が、マリアとキリストの物語、そして一番外側は、「洗礼者ヨハネの物語」。
そうして、同じころにできたはずのヴェネツィアのモザイクと、題材も同じながら、スタイルが全く違って面白い。例えば、
「天地創造」のクーポラを見ると、ヴェネツィアのモザイクは、アダム、エヴァとも、丸顔でずんぐりむっくり、3頭身くらいの姿をしているのに対し、この礼拝堂のアダムとエヴァは、しゃらっと細身で、なんというか、なんだか草食系っぽい。
東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国と関係が深く、ビザンチン風のモザイクに慣れていたヴェネツィアが、ビザンチンから離れて、リアルで表情豊かなイタリア風モザイクを実現するようになったとき、最初はどっぷりとイタリア・ロマネスクそのものだった。が、元々モザイクの伝統のなかったフィレンツェでは、最初から当時の絵画表現をそのままモザイクで置き換えた。それは既に、長身で装飾的な、のちに「ゴシック」と呼ばれるようになるスタイルだった、ということだろうか。
もっとも、「ノアの方舟」の場面などは、魚の絵がヴェネツィアより明らかに下手なのはさておき、構図といいタッチといい、なんだか現代の、東欧あたりの絵本の挿絵を思わせる。
また、1つ1つの場面は、円柱の絵で区切られているのだが、その円柱の色と形がさまざまで、まさに
ルッカの教会の飾り円柱のよう。
全部詳細に紹介していては、いつまでたっても終わらないので、比較的わかりやすい場面をいくつかピックアップして載せておくことにする。
一番内側、中央の草花模様の部分は、まるで繊細なレースのようでこれも美しい。それを、天使その他が囲んでいる。
22 novembre 2012