現代アートの面白いところはまさに、何がアートで何がアートでないのか、よくわからないところにある。
アルセナーレ(元・造船所)会場で、小さな船に金管合奏団が乗って、演奏をしながら行き来している姿はまるでフランドル派の絵のようで、わけのわからない「現代アート」を立て続けに見た目にはとても新鮮にうつった。ヴェネツィアならではの、オープニングの特別のイヴェントだろうぐらいに思っていたら、これはこれで、立派なパフォーマンス・アートだったらしいことを後から知った。
なかなかすてきな「アート」だった。
Ragnar Kjartansson
もう1つ、アップを忘れていたのがこちら。
車まで含んじゃった、野外劇場・・・とでも言ったらいいだろうか。写真で全体像が撮れていなくてわかりづらいが、舞台の代わりに映像をスクリーンだったかTVだったかがあった(と思う・・・)。
Erik van Lieshout
ここから、シャトル・ボートに乗って対岸へ。
アンドラ館・・・は、非人間化した現代社会の重要性(?)や悲嘆のメタフィー(暗喩)らしいのだが、こういうのはどうも苦手で、完全に腰が引けたまま、おそるおそる見学。
Andorra
Fixed in contemporaneity
アゼルバイジャンは既に紹介したように、国別参加は別にあるのだが、こちらは、アゼルバイジャンと近隣の現代アートというタイトルの展示。
“Love me, Love me not”
Contemporary Art from Azerbaijian and its Neighbours
こちらの塔は・・・
Shirazeh Houshiary によるインスタレーション、2003年に発表している作品の再現らしいのだが・・・うーん・・・。
Breath
そして、最初に
異変を感じたのは、まさにここからだった。
この倉庫群は、入口はそれぞれ表になっていても、実際は中でつながっていて、ゆるゆるっと歩いて回っていると、そのまま次の会場に突入していることがある。
それでもこちらは、最初から「中国」と思って入った覚えがある。
Voice if the Unseen
Chinese Independent Art 1979/Today
で・・・
・・・おや?
もしや・・・これも・・・?
・・・やっぱり!
Passage to History:
Twenty Years of La Biennale di Venezia and Chiniese Contemporary Art
さらに・・・
Mind-Beating
この倉庫街会場の、イベントの数として半分、だが展示面積と作品数、作家数からすると圧倒的な割合で「中国」なのだった。
なるほど、
アルセナーレ会場の「中国館」が、今年はなんだか比較的おとなしくおさまっていたと思ったら、実質はここまで中国館が広がっている、というよりも、なんだかもうそのままチャイナタウンになってしまったようだった。
だが、驚くべきことに、ほんとうにこれはまだまだ、序の口だった・・・。
10 dicembre 2013