ローマ遺跡の中に今の町がある、ローマご本家に匹敵するとは言わないけれど、ローマを強烈に感じる町、プーラ(Pula)。
現在のクロアチア、イストリア半島ほぼ南端に近い西岸。
古くはギリシャ人の「逃亡者の地」として知られ、ローマ時代、およそ紀元前40年にローマの植民都市となる。東ローマ帝国時代には、ギリシャ・ゴート戦争の拠点に。イストリア半島のほかの諸都市同様、フランク族、そしてアクイレイア大司教の支配を経たあと、1330年にヴェネツィア共和国の支配下となる。
1856年にオーストリアの軍事港となり大きく近代化が進む。
だが、1947年、当時31,000人ほどいたイタリア系住民のうち、28,000人がこの街を去り、経済的、文化的な危機を招いた。
現在の人口6万人弱というと、ヴェネツィアとちょうど同じくらい。人口でいうとイストリア半島最大、港としてはクロアチア最大。
冒頭の「コロッセオ」、正確に「ローマ闘技場」(Amfiteatar, イタリア語でAnfiteatro romano)、何より、海から直接見えているのが一番の特徴かもしれない。(もっとも俯瞰でないと、わかりづらいけれども)
フラヴィア通り沿い、町の城壁の外に紀元後1世紀、ヴェスパシアヌス皇帝時代に建てられた。紀元後1世紀というと、ご本家コロッセオとほぼ同時期。楕円形で長い方の径が133m、短い方が105m、世界中に現存するローマ時代の闘技場として大きさは6番目、2万人の観客を収容したと推察される。
ヴェネツィアの建築物にもたくさん使われている、「イストリアの石」(pietro istriano)という白い石のためか、ご本家コロッセオ、あるいはやはり地元のピンク色の石を多用したヴェローナの「アレーナ」と比較して、純白な印象を受ける。
そこから、町の中心部へ向かう途中、城壁を囲む大通りを少し上がったところにあるのが、双子のアーチが美しいジェミナ門(Dvojna vrata, porta Gemina)で、紀元後2世紀建造、長く、町の城門であった。
その内側に、考古学博物館があるのだが、現在は休館中。
ぽっこりと丘の上にそびえるオーストリア時代の要塞を取り囲むように町の中を歩いて、ぱっと開けたところが、元フォロ・ロマーノ。ざっくり言えばローマ時代の集会場で、それ自体、ローマご本家のような「跡」は残念ながら残っていないようだが、その一角にあるのがアウグストゥス神殿(Augustov hram, tempio di Roma e Augusto)で、紀元前2年から紀元後14世紀の間に建てられ、現存する「アウグストゥス神殿」の中で最も美しいものとされる。
ビザンツ時代に教会に改造され、またヴェネツィア時代には穀倉庫に。(・・・ヴェネツィア人・・・!!!)第二次世界大戦中に爆撃を受け、戦後すぐに修復された。現在は小さな博物館として、ローマ時代の彫刻などを展示している。
お隣、アーケードのある建物は市庁舎。
(・・・と言いつつこのあたり、暑さで頭が朦朧としていたため、広場=フォロのまともな写真を1枚も撮っていなかった!涙)
さらにそのまま、道なりにぶらぶらと歩いていくと出会うのが今度は、セルジ門(Slavoluk Sergijevaca, Arco dei Sergi)。紀元前1世紀末、もともとは城壁に組み込まれる形で建てられたため、片面、町の側とアーチの内側にしか装飾がない。大きさもかなり小ぶりだが、そのレリーフがとても美しい。
このセルジ門から、冒頭の双子のジェルミ門をつなぐ通り、たいそう立派な「イタリア人コミュニティ」の本部などもあるのだが、ずうっとすてきなカフェなどが並んでいて、にぎわっていた。
8 luglio 2014